第46話 寮に来たシオンとダリウスの過去
講義が終わり寮に戻ると、談話室に人だかりが出来ていた。だが不思議なことにその場所には近づき難いのか、生徒達は一定の距離をおき遠巻きに見ている状態だ。
どうやら共用のソファーに来客がいるらしい。人だかりの間からチラリとその人の髪色が見えた。美しい銀色。そこからキラキラオーラが立ち上っている。
あれはまさか。
「――シオン?」
生徒達は背後にいる私の姿に気づいた途端、あっという間にサァッと散っていく。けれど散らばっても尚、遠巻きに私達を見ているのは変わらなかった。
生徒という壁が取り払われると、銀髪の青年の姿が現れる。彼は本を読んでいたようで、それを閉じると私の方を見てふわりと微笑んできた。
いちいち仕草が麗しすぎて心臓に悪い。
「リリアナ、何の知らせもなく急に来てすまない」
「ううん。シオンこそ何かあった?今日はお仕事なのに、こんな時間に寮に来て平気なの?」
いつもなら手紙を寄越したり、何らかの連絡が事前にある。仕事が終わりそのまま来たのか、彼は補佐官の制服を着ていた。私は首を傾げ、シオンの側へ歩み寄った。
談話室では今も皆が興味津々で私達を見ている。かなり恥ずかしい。
そのため私は部屋で話しましょうと彼に伝えた。夕食の時間にはまだ余裕がある。少しの話なら大丈夫だろう。
彼を自室に招き、設えられた小ぶりのテーブルにある椅子に座り待っていてもらう。そうして私は厨房から急いで湯を貰ってきて、お茶を用意した。
「どうぞ、シオン」
「ありがとう」
テーブルにカップを置き、自分も椅子に座る。彼はお茶を一口飲むと興味深げにその中身を覗く。
「美味しい。これは前に口にした覚えがある。……ああ、確かジュドーの所の物だな」
「そう、ハーブティーよ。この間、フィオナさんからいただいたの」
きっと彼はお勤め後で疲れている。だから気持ちや体の休まる効果があるものをと考え、淹れてみた。表情をみると気に入ってくれたようだ。良かった。
お茶を飲み落ち着いた辺りで、シオンは上着の内ポケットからそっと小箱を取り出した。そしてそれをコトリとテーブルに置く。
「今日はリリアナに頼まれた物を渡そうと、持ってきたんだ」
シオンが中を開けて見せてくれる。そこには指輪が入っていた。私は確認し頷く。
「すごい。もう出来上がったのね。大変だったでしょう。ありがとう、シオン」
礼を言い、仕上がったばかりの指輪を細かく見ていく。これは私が薬指に嵌めている指輪そっくりの贋物として特別に造ってもらった物だ。
ほとんど同じだがよく見ると石の色が僅かに違う。本物は空色。これは濃い青色をしていた。
シオンが贋物の指輪を指差す。
「金属部分の細工は本物と同じだ。でも全てが同じだとこちらも見分けがつかなくなる。だから石の色だけ変えておいた」
これなら本物の指輪をよく知る者であれば、見間違うことはないはずだ。
「だがこの指輪を君はどうする気なんだ?」
「それは――」
今、私が嵌めている魔導具の指輪はシオンがくれた物だ。これは持ち主に危害を加えようとする者には姿が見えなくなり、そうでない者には姿が見えるという不思議な力を持っている。
確かにこれは身を護るには頼もしい道具だ。けれど今後、夜会や公式行事に出席した時、貴族や身分のある者と対面する機会がある。その中には自分に対し『危害を加える者』にまみえる事だってきっとある。
その時、いくら相手が怪しくても、シオンの隣に添う私の姿を見せない訳にはいかない。
社交は人脈を築いたり、他者に自らをより良く見せる場でもある。時には交渉する場面だってあるだろう。これは仕事の一環だ。
私はこの事を彼に話す。
「学園内や普段の生活では、あなたから貰った指輪をつけるわ。でも社交……公式の場はなるべく贋物を身に付けようと思っているの」
「……リリアナ、」
シオンの顔が曇っていく。彼は聡い。私が贋物の指輪の加工を依頼した時、既にこちらの考えを見抜いていたはずだ。
それが証拠に今、理由を話しても彼から何一つ否定の言葉は出てこなかった。
不意に指輪を嵌めている方の手を彼は引き寄せる。そのまま顔を近づけ、そっと指輪に口づけた。
「ごめん。リリアナ」
「もう、謝らなくていいの。シオンは何も悪くないもの。それに少し心配し過ぎよ。出会う人全てが、善人ではないかも知れないけど。それでもどうにか上手く周囲と渡り合っていかなくちゃ」
分かっている。
彼は私をあらゆる危険から遠ざけ、守りたい。
でも私は――
シオンは黙ったまま指輪と私の手を見つめる。それからそっと頬に触れてきた。私達は互いに見つめ合う。濁りのない空色の瞳の中には私が映っていた。
「……本当は何が最善かなど分かっている。だが離してはやれない。君を――ずっと側にいてほしい。これは俺の我が儘であり、願いだ」
大きな手が私の背に回り、彼の胸へと引き寄せられる。
「贋物を嵌めている間は必ず本物も持ち歩く事。万が一、嫌な感じや危険だと思った時は、俺や周りの事など気にせずすぐに魔導具の指輪を使うんだ。絶対だ、リリアナ。約束してほしい」
「うん、」
私はシオンの言葉に頷くと、同じように彼の背に腕を回した。この密着度合い。やっぱりドキドキして緊張する。でもすごく温かい。
何だかホッとするなぁと思った瞬間、お腹がぐぅと鳴った。横を見ると、私の右肩にある彼の頭が揺れている。笑いを堪えているのだ。
私はカッと頬を赤くし、慌ててシオンから離れた。
「……! こ、これは、その――」
「フッ、そういえば夕食の時間だな。そろそろ食堂に行こうか」
「シオンも明日お仕事でしょう?私、玄関まで送るわ」
「いや、大丈夫だ。というか実は今日、俺もここで食事をすることにしたんだ。勿論、きちんと許可は取ってある」
ほら、と彼は寮長から貰った食券を見せてきた。ここは家族や婚約者は許可さえあれば宿泊や食事が許される。
「俺も久しぶりに学園の料理を食べたくてね」
寮の食堂は男女共用で、厨房職員は学園のそれと連携している。そのため料理の味付けやメニューは同じだ。
公爵邸で出される料理はどれも素晴らしく絶品だ。彼のように普段からそういった料理に慣れ親しんでいる者でも、学園の料理はやはり懐かしく思い食べたくなる時があるのだろう。
「それに君と食事がしたかったんだ。学園ではたった一年しか一緒にいられなかっただろう?」
寂しそうに呟く彼に私は眉を下げた。
「もう、シオンたら。週末は大抵あなたのお屋敷で一緒に食べているじゃない」
「それとこれとは話は別だ。寮とは言え、こんな風に学園で君と過ごす事に意味がある」
「?」
「行こう。夕食の時間が終わってしまう」
どういう意味かと首を傾げる私に答えず、彼は私の手をひいた。
食堂に着くと、もう生徒達はほとんどいなくなっていた。私達は端にある窓際の席に腰を落ち着ける。料理は学園のラウンジ同様、トレイに自分の好きな料理を持ってくる仕組みだ。
今夜は豆のスープにサラダ。白身魚のクリーム煮。パンは幾つか種類があり、好きな物を選ぶ。デザートは果物、食べやすいよう小さく切り分けられている。
食事をしながら二人で最近の出来事を話す。
「そういえば、ダリウス・ディートリヒ伯爵子息について少し分かった事がある。やはり彼は昨年までエルディア国にいたそうだ。父親はエルディア人、母親はディートリヒ伯爵の娘。何でもかの国で彼は庶民の子として育てられていたとのことだ」
「庶民の、子?」
何だか境遇がジルと似ている気がした。彼もまた庶子として孤児院で育てられたのだ。
シオンの調査では彼の父親はエルディア人の男という以外わからなかったらしい。奇妙な事に名前すらも不明だった。
「彼は預けられた先の家で育てられた。だが大きくなるにつれ、下町の貧民街に住み着く素行の悪い少年達のリーダー役を任される事になったらしい」
エルディアはフェリシア王国と違い、とても貧しく治安が悪い。ダリウスが本当に下町の少年達をまとめあげるリーダーをしていたのなら、それは良い行いとは逆の事をしていたとも考えられる。
シオンは私の考えを察し、頷く。
「そう、あの国はフェリシアとは違い、貧しい者を救済する制度はない。それでも大人はまだどうにか働き生きていけるが、身寄りのない貧しい子供達は貧民街の一角で身を寄せあって暮らしている」
そのため子供達は生きるため、飢えを凌ぐために小銭を稼ぐ。大人達の手伝いをしたり、路頭で裕福な者から食べ物や僅かな金を恵んで貰ったり。
「だが中にはどうしても足りず、犯罪に手を染める子供もいる。その一つが窃盗。他には悪い大人に騙され、密売や薬の受け渡しに使われる者もいる」
「そんな!」
「彼がリーダーとして当時、どのような役割をおっていたのかは不明だ。そして気になるのは、そんな過去のある男がいずれこの国である程度の地位、いや爵位を得るという事……」
話の途中でシオンは思案気に息を吐く。
「何も起こらなければ良いのだが」
食事が終わり、玄関まで彼を見送る。そこにはすでにリュミエール家の家紋の付いた馬車が待機していた。彼が私の方を見る。
「リリアナ、彼には気をつけるんだ。図書室での勉強のことだが、あそこは他の生徒達の目があるし、密室ではない。だが君は女性だ。外聞もある。婚約者である俺以外の異性と何度も共に居るのは良くない」
しばらく図書室へは行くな、とシオンが忠告するように髪に触れてくる。そして額に唇を寄せた。
「それでも何か言われたり、されそうになったら、俺の名を出すんだ。わかった?」
「うん。シオンの名前出すようにする。……その、ごめんなさい。心配かけて」
顔を上げ申し訳なさそうに彼を見ると、空色の瞳が優しげに見つめてくる。
「とにかく俺以外の男に気を許さないで。君は俺だけ見ていれば良い」
「! ……はい」
平然と彼が発した恥ずかしい台詞に頬を染め、私はどうにか返事をした。
その様子に満足した彼は「いい子だ。リリアナ、おやすみ」と私の耳元で囁き、馬車に乗り帰っていった。