第44話 初めての社交と新たな友人とシオンの焼きもち
「出来ましたよ、リリアナ様」
「わぁ、ありがとうございます」
室内にある磨かれた鏡の前で、私はくるりと回ってみた。
今日の私は向日葵の花弁を彷彿とさせる黄色のドレスを着ている。化粧や髪、着付けはリュミエール家の侍女が手伝ってくれた。
さすが公爵家の使用人。手際良く作業をし、しかもその動きは美しい。だが彼女の話によると思いの外、時間が押しているらしい。
すると扉がそっと開く気配がした。何かと思ってそちらを向くと、扉の奥からシオンが覗いている。ちょっと遠慮がちにこちらをうかがっているようだ。
「リリアナ、準備できたのか?」
「ええ。お待たせしました」
侍女がさっと道具を片付け、シオンに礼をし部屋を出ていく。
彼が私の前へやって来る。今日の彼はいつにも増して美しい。艶やかな銀髪に整った容貌。細身に見える服装だが、その下にある逞しく引き締まった身体。間近でみると、つい余計に想像してしまう。
そのどれもが輝いて見えて、私は目眩を起こしそうになった。
「リリアナ?立ち眩みか?」
「あっ、ううん。何でもないの、ありがとう」
シオンがサッと私の腰を支え、気遣わしげに見つめてくる。
「いや、無理はしない方がいい。緊張しているんだろう。これから茶会だが俺だけ出ても構わない」
「違うの。本当に大丈夫よ。……今のは、その、シオンがあまりにも素敵過ぎたから、ついクラッと――」
「クラッと?」
これはもう仕方ない。不可抗力だ。
シオンの輝きはすでに私の許容範囲を超えている。子供の頃から美しい容姿で頭も良く品行方正。神童とも呼ばれていた。
今はもう青年だが、さらに彼の煌めきが増していて正直もう私的には限界だ。
――うう、鼻血出さなかっただけでも褒めてほしい。
そう思って鼻と口を押さえたら、シオンの胸に引き寄せられた。そうしてこめかみに唇が落とされる。
「リリアナ、」
甘ったるい声だ。耳元で話すせいか、くすぐったさに私は身をよじる。
「今日の君はとても可愛い」
「……」
本物の淑女ならこういう時、上手く殿方の言葉をかわすことが出来るのかもしれないが。
無理。これ絶対無理なやつ。
この台詞を聞いた瞬間、あっという間に力が抜けた私の体は完全にシオンの腕によって支えられる事となった。
「まぁシオン!折角、侍女が腕によりをかけてリリアナさんを美しく着飾ったのに。髪が乱れてしまうわ。ほらお化粧も」
「お義母様」
朗らかな笑いを含んだ声がし顔を向けると、扉の所で瞳を和らげこちらを見ているシオンのお母様の姿があった。
「さぁ、そろそろ行きましょう。皆様をお待たせしてはいけないわ」
「は、はい」
「……」
渋々といった風に腕の拘束が緩んだ。私はすぐにそこから離れる。チラリと横目でシオンを見ると、何だか少し面白くなさそうな顔をしていた。
今日はこれからリュミエール公爵夫人主催の茶会が開かれる。場所は邸の庭園。私達が下に降りていくと、もうすでに会場準備は整っていた。
シオンからのお願い。
それは社交の場に出ること。
ただし、いきなり大きな催しに出るのは慣れていないし緊張する。そのためまずは手始めにお義母様の主催する茶会に出てみようという事になったのだ。
「リリアナ、手を」
「はい」
シオンに促され、私は彼の手をそっと取った。
もうちらほらと招待された人達が集まって来ている。お義母様の後について、私とシオンも一緒に外に出た。
今日の招待客は全てお義母様のご友人。ちなみに全員女性で大体は既婚者だそう。
私達はやって来るご婦人達に挨拶をしていった。
「あら、リュミエール公爵夫人。ご子息がいらしているなんて、珍しいことですわね」
「ふふ、そうでしょう?本日の集まりは息子の婚約者の御披露目も兼ねていますの」
「まぁ!ご子息様は昨年、ご婚約されたとお聞きしております。ぜひお相手のお嬢様にもご挨拶したいですわ」
お義母様に促され、私達は前に進み出て礼をした。
「お初にお目にかかります。このたびシオン様と婚約致しました、メロゥ伯爵の娘リリアナと申します」
ご婦人方に会うたび、私とシオンは挨拶し婚約を交わした事を伝えていく。その数およそ三十人位だろうか。
つ、疲れた。
ひっきりなしに訪れる来客に笑みを向けていた為か、だんだん顔がひきつりかけてきた。
シオンをみると彼は来る者全てに対し、一片の崩れもない爽やかな笑顔で応じている。流石、公爵令息。完璧だ。
一通り挨拶も終わり、私達も席につく。庭園内に設えられた円卓上には新鮮な果物や焼菓子が所狭しと並べられている。とても美味しそう。
ポットを手にした給仕が次々とカップに紅茶を注いでまわっている。
ここからはゆったりとお茶を楽しみながら、談話する時間らしい。お義母様やご婦人達は最近の流行や出来事など話が興に乗ってきたようで盛り上がっている。
何となく周りを見ていたら、目の前に切り分けられたばかりのブルーベリーの乗ったタルトが寄せられていた。シオンが取ってくれたのだ。横で彼がふわりと笑った。
「リリアナ、この焼菓子好きだろう?」
「ありがとうございます。シオン様」
周りから、まぁと言う声が聞こえた気がした。
普段二人きりの時畏まった言葉は使わないが、こういった公式の場では敬語を使うようにしている。
どうやら今日の私達はご婦人方の興味の対象になっているようだ。観察されているようで顔を上げると何度も彼女達と目が合う。そのたび笑みでお返しする。
「私、シオン様が微笑まれるのを初めて見ましたわ」
「リリアナ様は特別な方なのですわね」
「なんて微笑ましい。ご結婚はいつ頃になりますの?」
どっと押し寄せる質問の波。その都度シオンが人好きのする笑みを浮かべ答えている。こういう事はやはり彼に任せるに限る。
その間に私はブルーベリーのタルトを口にした。
紅茶を飲みそのカップを置いてふと顔を上げると、斜め向かいの女性と目が合った。だがすぐに目を逸らし、俯かれてしまう。
よくみると彼女は他のご婦人達より若い。隣にいるのは母親だろうか。庭園口で彼女らに挨拶したかも知れないが、緊張と忙しさで正直あまり記憶に残っていなかった。
母親らしき方とも目が合う。彼女は私に会釈してきた。
「リリアナ様。隣の私の娘ですが、今年からエドワルド学園に通っていますの」
「まぁ、そうなのですね」
「もし学園でお見かけした際は、どうかよろしくお願い致しますね」
「はい」
娘さんの名前はシャーロット。緑がかった金髪の可愛いらしい顔の子だ。緊張しているのかモジモジと下を向いていたが、漸く俯きがちの顔を上げ私をみた。
「……リリアナ様。どうぞよろしくお願い致します」
微かに震える細い声。典型的なモブだ。ものすごく好感が持てた。
それから少しだけ時間をもらいシャーロット様と庭園を散歩することにした。
「シャーロット様、こちらに可愛らしいお花が咲いていますわ」
「は、はい。本当ですわ。わぁ、なんて可憐なのでしょう」
庭園を散策中、花壇の脇に咲いていた薄紫の花を彼女と一緒に見る。ついでに二人して芝生にしゃがんで四葉のクローバー探しに没頭した。
「あっ、見つけた。これ。葉が四つあります」
「すごいリリアナ様。どうしましょう、これ後で押し花にしましょうか」
私もシャーロット様もまるで淑女らしくない行動だ。まぁ誰も見ていないし良いだろう。木陰のベンチに座り、シロツメクサで互いに花冠を作り合った。
彼女がふふと微笑んだ。
「私、リリアナ様のことを少し誤解しておりました。あのリュミエール公爵子息様とご婚約された方ですもの。どんなご令嬢かと思って……正直ドキドキしていました」
どういう意味のドキドキだろう。ちょっと聞いてみたい。
「以前夜会に出席した時、ご子息様のお噂を聞いたのです。いつも感情を面に出すことのないお方だと。別名、氷の貴公子とも呼ばれていますわ」
「氷、」
「はい。冷静沈着でとても優秀で。ですからそのような方の妻になられる人は才色兼備、全てを兼ね備えた女性かと……そう思っておりました」
「ごめんなさい。想像と違ってしまいましたね」
いいえ違うんです、と慌ててシャーロット様が言う。
「リリアナ様に接する時の公爵子息様のお顔が柔らかで。素敵なお二人だと思いました。そしてこのように私にもお声をかけてくださって。とても嬉しかったんです。……その、リリアナ様さえ良ければ、これからもどうか仲良くしてくださいませんか?」
「もちろんです。もし学園でお会いすることがあれば、遠慮なく話しかけてくださいね」
ベンチに腰掛け二人で色々お喋りをしていたら、向こうから背の高い男性が歩いてきた。あれはシオンだ。
「リリアナ、そろそろ戻ろう。君の演奏を聴きたいと、皆が首を長くして待っている」
「演奏、ですか?」
隣でシャーロットがキョトンとしているので、ピアノが少しだが弾けることをお伝えする。
「まぁそれは素敵!私もリリアナ様の演奏、ぜひお聴きしたいですわ」
「ふふ、では戻りましょう」
私達三人は茶会の会場へ戻る。
歩いている間にシャーロットから聴いてみたい曲のリクエストを聞いておく。
「恋の曲を聴いてみたいですわ」
「いくつかあります。ちょっと弾いてみますね」
恋か。明るい曲が良いだろう。他にも夏をイメージしたものも入れよう。
用意された椅子に座り鍵盤に手をおく。楽譜は事前に準備していたけれど、即興でも幾つか弾いていく。
演奏の最中、あまり周りの声は聞こえない。聴こえるのは鍵盤を叩くたびに紡ぎ出されるピアノの旋律だけ。
弾き終わると感嘆の声と共に大きな拍手が沸き起こる。もう一曲をと頼まれ、それも弾いた。
やっぱりお義母様の親しいご友人ばかりのせいか、皆が優しい。今日はこの茶会に出席出来て良かった。
茶会が無事に終わる。着替えを済ませリュミエール家にあてがわれた自分の部屋にいるとシオンがやって来た。
「お疲れ様でした。シオン」
「俺はそんなに疲れていないよ。それよりリリアナこそ初めてだし、疲れたろう。今日はゆっくり休むといい」
「うん」
学園は明日もお休み。今夜はこの邸に一泊する。ちなみにシオンも同じだ。まだ寝る時間には早いので二人でソファーに座る。
それにしても今日はシャーロットという可愛らしい友達ができた。今度、学園で会ったらランチに誘ってみよう。
うふふ、と内心ウキウキしていたらシオンが眉を寄せ、私を見ている。
「? シオン、どうしたの?」
「……今日、茶会で俺を放ってシャーロット嬢と仲良く戯れていただろう」
ふぅと彼が息を吐く。
私が居ない間、彼はとても大変だったらしい。何せ周りは皆、噂話など色々聞きたがり知りたがりの方々だ。囲まれ、質問攻めにされて凄かったそう。
「いくら俺でも母の友人でもある彼女らを存外に扱う訳にはいかない。君は全く戻ってくる気配はないし、どうにか理由をつけてあの場から逃れたが」
「……ごめんなさい」
私はシオンを置き去りにしたことを謝った。
「茶会やサロンで親しい者ができるのは良いことだが、大切な婚約者を蔑ろにするのは感心しないな」
「本当にごめんなさい。今度から気をつける」
「言葉だけじゃなくて、態度で示してほしい」
「え?」
態度。私は瞳を瞬かせる。
いつの間にか彼の整った顔が間近にある。
「今度から謝罪や感謝の気持ちを現す時は、口づけで返してほしい」
「!?」
私はぎょっとした。これって絶対シャーロット様への嫉妬も含まれている。だって目の前の彼は揶揄うような、ちょっと笑いを堪えているような顔をしている。
「……あの、」
すると彼がふっと笑った。
「今のは冗談。……でも今回だけは欲しい」
切実な瞳だ。これは狡い。こんなの拒否するなんて出来ない。だってこれはシオンの本音だ。
頬でいいからと言われたので、私は彼に目を瞑ってもらいゆっくりと口づけた。シオンの顔が僅かに赤く染まり、瞳が伏せられる。
これで機嫌、少しは良くなったかな。
それにしてもこんな風に茶化したり笑ったり、すぐ感情的になる。この人の何処が氷の貴公子様なんだろう。甚だ疑問だ。
「シオンは猫被りなのね」
「猫?それは心外だ。リリアナの前では俺はいつだって従順だろう?」
どちらかと言えば犬だ、と彼は言う。
だからいつも従順であるように君は大人しくしていてくれ、と彼は私の頭上にそっと唇を寄せた。