第43話 リアム・ガードナーとの話とグドルフの秘密とシオンとの約束
今日もいつものように何事もなく授業が終わった。私は教本をそろえ鞄にしまうと、真っ直ぐ音楽室に向かう。
久しぶりにピアノを弾いてから帰ろう。
婚約者のシオンの邸に行けば、いつでもピアノが弾ける。けれど寮にはないので今すぐ弾きたい時はやっぱり物足りなく思うのだ。
音楽室にたどり着き扉を見ると、何も書いていない木札がぶら下がっている。それをみて私はほっとする。良かった。今日は誰もいない。
私は木札を返し『使用中』という文字が確認出来るよう、扉にかけ入室した。
慣れた手つきで鍵盤に手をおく。
さて今日は何の曲を弾こうかな。
早速、前世で覚えている簡単な曲を幾つか弾いてみる。思わず顔がほころぶ。うん、やっぱり楽しい。
あれもこれもと鍵盤を叩いている合間に、ふと思い出す。
「……そういえば、この曲を弾いたのは一年ぶりね」
もう一年か。感慨深げに呟く。
昨年、リルに扮して学園祭でジルと一緒に演奏した曲をいつの間にか弾いていた。譜面は無いので当時の記憶をたよりに弾いてみたのだけど、大分前の事なのに不思議と手は覚えていた。
連弾用にジルがオリジナルで作った難しい曲。だが自分一人でもどうにか形になっている。
ふふ、意外と弾けるものね。
我ながら感心しながら小一時間ほど弾いて満足し音楽室を出ると、赤茶髪の生徒が一人扉の前に佇んでいた。
「……?」
その人は黙ってこちらを見ている。その姿が誰かわかった途端、私は喉から心臓が飛び出そうになった。
なにせその人物は先日まで療護院で医師代理をしていたリアム・ガードナーだったからだ。
もう会うことはないと思っていた。なのにどうしてこんな所に彼がいるのだろう。
「ガ、ガードナー様?」
「リリアナ・メロゥ伯爵令嬢。申し訳ないが、少しいいだろうか?」
彼は私に用があるらしく、ちょっと違う所で話そうか、と手招きしてきた。
そのままリアムについていくとそこは食堂だった。ここの一角には少人数用のカフェスペースがあり、気軽にお茶を楽しめる。
今は放課後。生徒達は各々好きな時間を過ごしている。図書室で読者をしたり勉強する者や趣味活動に勤しむ者もいる。
カフェでは生徒同士の話し合いやお茶だけを飲みに来ている者もいた。
「こちらへ」
「はい」
彼に促され、私はカフェの端にある窓際の席に座った。
現在、療護院の一件は大方片付いている。彼ももはや医師代理を務めることはなく、学園の生徒会長としてその業務に励んでいる状態だ。
「急に来てもらってすまない。今日は君に礼を言いたかったんだ」
「お礼、ですか?」
何のことかとキョトンとしていたら、リアムがふ、と笑みを浮かべた。その表情は柔らかだ。
そして私の疑問に答えることなく、そのまま続けた。
療護院の件は本来の主であるザドア医師を保護したことにより解決したが、根本的な問題は未だ山積みだということ。
シオンやジュドーに協力してもらい、王宮医師筆頭である父に今後の改善案を提起し議会で議題として上げてもらえるよう掛け合っていること。
今回の療護院に関する進捗状況をすべて私に教えてくれた。
「リュミエール先輩から聞いた。彼が今回動いたのは君が原因だそうだね。あと俺は君がただの令嬢だと高を括っていたのだけど、どうやら間違いだったらしい。……今まで俺は学業の成績だけで人の優劣を判断していた。だがそれは全く当てにならない事がよくわかったよ」
シオンは私について何を話したのだろう。よくわからないけど、彼の口振りからして何かを反省しているようだ。
「ガードナー様、私は何もしていませんよ?」
私の言葉に眉尻を下げ彼が苦笑する。そしてリアムでいいと返された。
「それと話は変わるが……実は祖父は平民出身、なんだ」
「! グドルフ様がですか?」
突然のリアムの告白に私は瞠目する。けれど同時に腑に落ちた感じもした。
王都で爵位ある医師として名を馳せた彼がその地位を手放し、故郷のあの村に戻った意味がなんとなくわかったのだ。
グドルフは若い頃から医師を志し、医術を学んでいた。平民生まれの彼だが、庶民貴族は関係なく治療院に来た者すべてを分け隔てなく平等に診ていた。
やがて腕の良い優秀な医師として国中にその名を轟かせるのに時間はそれほどかからなかった。
「平民出身の祖父だが、ある時その能力をガードナー家に認められた。そして我が伯爵家に婿養子として入ったんだ」
ガードナー伯爵家は昔からある医師の家系だ。そして王宮医師を多く輩出している家柄でもある。きっとグドルフ医師を縁戚に取り込めば、繁栄に繋がる。そういう思いが彼らにあったのかもしれない。
「この事、リアム様はずっと前からご存知だったのですか?」
「ああ。子供の頃に聞かされた。だが私はその血が何であろうと祖父を尊敬している。それに祖父が父にすべてを譲った後、あの村に隠居した意味もよくわかっているつもりだ」
あの地はグドルフの生まれ故郷。彼はそこで小さな治療院を建て、村人達のために治療を行う事が夢だった。
だが時が経ち気がつけば、彼を師と仰ぐ医師や見習い達が集まってきて医師を育てる場へと変化していったのだ。
「以前、祖父にも伝えたが本音はガードナー家に戻ってきてほしい。だが今回の件で学んだ事がある。……『故郷』というものには特別な力があるんだな」
「私も、少しですがグドルフ様の気持ちがわかります」
私が柔らかく微笑むと彼もつられるように笑った。
「そういえば、メロゥ伯爵令嬢のご実家も王都から遠く離れた地にあると聞いた。残念だが私は生まれも育ちもずっと王都の邸だから、本当の意味では理解できないんだ」
そんなふうに二人で話ながら、ゆっくりと私の中のリアム像が変わっていく。
今はもう初めて会った時の彼の印象とは違っていた。もしかしたら今回の事件が彼を変えていったのかも知れない。
「……」
「どうした。何か考え事か?」
わずかに沈黙した私を彼は気づかうように見てくる。
いいえ、違う。私は今まで彼の何をみていたんだろう。
私は少し眉を下げ彼をみた。
「その、私は何かリアム様に対して、思い違いをしていたようです」
「思い違い?」
昨年の学園祭で彼に絡まれたことやその際の言動。ジルが前に話していた、リアムの態度がだんだん変化してきたこと。そして今回のこと。それらがすべて浮かんできた。
「身分など関係なく、リアム様が人のために尽くす姿が私は好ましいと思いました。……でもこれはずっと前からあったんですね。私はその事に気づきもせず……すみません」
「…………」
「リアム様?」
目の前の彼から反応がないので顔をあげると、口元を手で覆い、頬を赤くしているリアムの姿があった。
気恥ずかしさを誤魔化すようにリアムがわざとらしく咳払いをする。
「それは当然だ。医師とは人を救うためにある。患者がいなければ我々は成り立たない。だから例え相手が誰であっても力を尽くす。少なくとも私はそうであるべきだと思っている」
人に寄り添い手当てする。それは優しさに通ずるものだ。
私は「はい」と微笑んだ。
彼との話が終わり、二人で食堂を出る。私は女子寮。リアムは生徒会の仕事を少し片付けてから帰るらしい。
別れの挨拶をしようと振り向いたら、リアムがちょっと片眉を上げた。
「それと、リュミエール先輩が君に過保護な理由がようやくわかったよ。君は周りに多情すぎる。しかも自覚がないときた。重症だな」
リアムは「これは医者でも治せない」と口の端を上げた。
「た、多情……ですか?」
思ってもみないことを言われ、ちょっと傷ついた。優しい人だと思ってたのに。
さらに追い討ちをかけるように言われた。
「……恋は誠実であれ。そして真摯に相手と向き合うことだ。そうでなければ、いつか君は彼に愛想をつかされるかも知れないぞ」
それはイヤだ。愛想をつかされるなんて。
「その、気をつけます」
シュンとなって素直に返すとリアムが苦笑した。
「ふっ、あくまでそれは可能性の話だ。確率は低いと思うが。それでは失礼しよう。ああ、それと――」
「……?」
生徒会室へと踵を返し歩き出そうとした所で、リアムが思い出したようにふと立ち止まる。そしてこちらに背を向けたまま呟いた。
「先程の演奏。わずかだが音が漏れて聴こえたが素晴らしかった。正直私は音楽は疎いが……そうだな、君のそれは私が前に聴いたものとよく似ている。たしかタウンゼント侯爵令息が弾いていたような。そう、一緒に弾いていた生徒――リルといったか」
「!?」
ドキンと心臓が鳴った。呼吸が一瞬止まる。
ど、どうしよう。もしかして私がリルだってバレた?
思わず私は後ずさった。
「メロゥ伯爵令嬢」
「は、はい!」
「私はあれからリルという生徒が気になって探してみたんだが、見つからなかった。でもタウンゼント侯爵令息なら知っているかもしれないな。だから君から彼に伝えてもらえるだろうか」
「ジル先輩に、ですか」
背を向けているからか、彼の表情はわからない。けれどその声はとても穏やかだ。
「……あの時のこと、すまなかったと伝えてほしい。私は色々と頭が固かったようだ」
私がわかりましたと頷くと、リアムは満足したかのようにふ、と笑い、生徒会室へ続く廊下へ消えていった。
◇◇◇
週末、リュミエール邸でお茶をしながらシオンが口を開く。
「リアムの言う通りだ。たしかに君は気が多すぎる。今後のこともある、誤解される行動は控えるべきだ」
ちなみにその流れだとリルの正体、君だと気づいているんじゃないかとも言われた。
やっぱり。はしたない事をしたとリアムにバレたのがショックだ。
「それはそうとリリアナ」
大人しくお茶うけの焼菓子をつまんでいると、シオンが飲みかけのカップをテーブルに置いた。私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「療護院の件、手助けする代わりに約束したろう? 俺の言うこと、聞いてくれるって」
そういえば、たしかに約束したような――
微妙な顔つきになって私が固まっていると、こちらの挙動を察したのか彼が瞳を和らげた。
「ふ、何もリリアナが心配するようなことじゃない。実は最近、ちょっと社交の誘いが多くてね。学生の時は色々理由をつけて断っていたんだが、いい加減そろそろ顔を出さねばと思って。……それで君も一緒に参加してほしいんだ」
「!」
どこが「心配するようなことじゃない」のだろう。
見目麗しい彼ににっこりと微笑まれ、私は内心泣きそうになりながら固まっていた。