第35話 ユリウスとの再会とシオンの命の恩人
領主への挨拶を終え、再び視察をと馬車に向かう。するとちょうど客間を出た所で後ろから声がした。
「あれ、その後ろ姿。リリアナじゃないか」
聞き覚えのある声音。振り返ると薄い茶髪の青年がキョトンとこちらを見ていた。
「えっ、ユーリ!?」
手には大きな鞄。調律道具が沢山入っているのだ。これは紛れもなくユリウス。彼は調律を生業とし、あちこち諸国を巡っている。
ここは領主バードの館。つまり彼がこの場にいるということは。
うん、とさも当然という風にユーリはふわりと微笑んだ。美しい仕草。どうしてか、この人もシオンのようにキラキラしている。
「うん。先週からずっとこの町で調律しているんだ。今日は領主様の所にある楽器を直しに来たんだよ」
「そう、お仕事で。ユーリも大変ね」
いやそうでもないよ、と彼は言う。
ユリウスは旅が好きだ。それ故、土地を渡り歩く仕事は自分に合っていると言っていた事を思い出す。
シオンもユリウスの姿に気づいたのか、戻ってくる。そしてお互いに挨拶を交わし始めた。
「お久しぶりです。ユリウスさん」
「ああシオン君、元気そうだね」
こう見えてユリウスはかなり年上だ。おじさんと呼んだら怒るので、普段は通称で名を呼んでいる。
シオンもきっと年上の彼に配慮し呼び方を考えているのだろう。
同じく玄関に向かっていたお義母様も振り向いた。ユリウスが彼女の傍に近づき、恭しく礼をする。いつになく華麗な動作。こんな彼は珍しい。
「初めましてリュミエール夫人。私は調律師のユリウス・ラドウェルと申します」
私に接する時と全く違う態度。何だかちょっとムッとした。
お義母様が瞳を瞬かせ呟く。そして柔らかく微笑んだ。
「……ラドウェルの。そう、調律師をされているのですね。ご苦労様です。ユリウスさん、どうか二人のことよろしくお願いしますね」
「はい」
爽やかに返事をしたユリウスは私達と一緒に館を出る。調律が終わり、今度は西の村に呼ばれているらしい。
それならとお義母様が彼をみた。
「ユリウスさん、私達もこれからその村に行こうとしていた所よ。よろしければ一緒にどうかしら」
「そうなのですね。お気持ち感謝致します。実はちょうど乗合馬車で移動しようと思っていた所でしたので助かりました」
こうして私達四人は馬車に乗り込み、一緒に西の村へ行くことになった。
◇◇◇
馬車は一路西へ進む。
その間、私は三人からこれから訪問する村について話を聞いた。そこは今回お義母様がどうしても見てもらいたい所らしい。
「……医術を学ぶ村、ですか?」
村には昔からとても腕の良い医師がいるらしい。彼の元で学びたいと医術を志した者達が国中からひっきりなしに訪れていた。
「ええ。今はもうすっかりお爺さんになってしまったけれど。若い頃は王宮医師として勤められて、とても立派な方だったのよ」
「王宮医師。凄い方なのですね」
昔ね、とお義母様は頷く。
引退後、彼は生まれ育ったこの村に帰ってきた。そして村医師として働いているとのことだった。
「彼のお弟子さん達は各地に散らばり、国中にいらっしゃるわ。……そうね、あと今の王宮医師は彼のご子息がされているそうよ」
「! 今の方ですか」
私は瞳を見開く。
忘れかけていたが、ここは『貴方の吐息で恋をする』という恋愛乙女ゲームの世界だ。
これは二部作まであり『1』はシオンを始めとした攻略対象達が卒業することで無事終わりを迎えた。
けれど『2』はこれから。いやもう始まっているのかも知れない。
そして実は前世の私は『2』に関しては序盤しかプレイ出来ていない。よって内容についての記憶はかなり曖昧だ。
確か攻略対象は音楽家を目指す侯爵家の子息、ジル先輩。王宮医師の息子。異国から来た留学生。あと他は――
ダメだ。やっぱり思い出せない。
私は内心頭を抱える。
攻略対象は全部で五人。だが他の二人については何一つとして思い出せなかった。
たださっきのお義母様の話で気になったのは、王宮医師というワード。その息子が攻略対象の一人なのだ。
要は今から行く村に彼の祖父にあたる医師がいる。さらにいうと攻略対象本人もいる可能性がある。
そういう事になるんじゃないかしら。
私はモブ。できれば関わりたくない。関わりたくないけど――
「リリアナ、どうした?」
「はっ、……え、ご、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしてしまって」
突如シオンの声が降ってきて、私の思考は掻き消された。顔を上げると空色の瞳が心配そうに様子をうかがっている。
そんな彼に反し、ユリウスは苦笑した。
「リリアナ、相変わらずだね。また考え事をしていたんだろう?」
「……その、ちょっとだけ色々と」
「色々って、どんな?」
気遣わしげな表情のまま、シオンがすかさず追及してくる。困った、言えるわけがない。
私は曖昧な表情で誤魔化した。
「まぁ三人共、仲が良いのね」
私達のやり取りを見ていたお義母様がふふ、と微笑んでいる。
そうして馬車は目的の村に到着した。馬車から降りると二人の側近を連れた村長らしき年輩の男が迎えに来た。
「ようこそリュミエール夫人。お待ちしておりました」
「お出迎えありがとう。事前にバードから聞いているとは思うけれど。今日は息子のシオンと婚約者のリリアナさんにこの村の事を知ってほしくて来たのよ」
婚約者、という言葉に村長が破顔した。
「シオン様、おめでとうございます。リリアナ様もどうかよろしくお願いいたします」
もてなしの準備をと、側近は急いで下がっていく。村の事に詳しい男がやって来て、私達を案内してくれることになった。
お義母様は近況報告がてら村長と家で休んで待っていると言い、家に入っていった。
そして一緒にやって来たユリウス。彼はどうするのかと見上げると瞳が合った。
「リリアナ。俺はこれから仕事があるからもう行くね」
にこりと笑みを浮かべ、ユリウスが私の頭を懐かしそうに撫でた。隣でシオンを取り巻く空気がちょっと変わった気がしたけど。気づかないふりをしておいた。
調律師が来たことがわかったのだろう。楽器を持った村人達がこぞって彼の元に集まってきた。
それはもう沢山。ずらりと並んでいる。
「うん。ユーリ、頑張ってね」
「ああ、君たちも」
本当は私も彼の調律する場面を見学したいけれど。今日は領地について学びに来ているのだ。仕方ない。
調律作業があるユリウスと別れ、シオンと私は歩きだした。
村自体、そんなに大きくはない。どの家も歩いていける距離にある。
そうして村人に案内されまずは高名な医師のいる家にやって来た。ここは村の診療所もかねているらしい。木造のこじんまりとした家だ。
扉を開け、村人が大きな声で医師の名を呼んだ。
「グドルフ様、リュミエール家の坊っちゃんがいらっしゃいましたよ!」
「…………」
坊っちゃん。シオンはここではそう呼ばれているのね。思わず坊っちゃん姿の彼を想像してしまった。
返事がない。
もう一度彼は同じように呼び掛けた。
「グドルフ様ー。グドルフ様ー。グドル――」
「ああ、うるさい。聞こえとるから静かにせんか!」
怒鳴り声が向こうから聞こえてきた。でもこれは家の中じゃない。外から。私はそっと家の脇から向こうを覗くと裏へと回り込んだ。
「おい、リリアナ。遠くに行くな」
すぐに後ろからシオンも追ってくる。裏庭に出るとそこに踞っている人が見えた。お爺さんだ。この人がきっとグドルフさんなのだろう。
急いで駆け寄り、体を支える。
「お爺さん、大丈夫ですか!?」
「……た、大丈夫じゃ。薬草を摘みに来たらちょっと腰が立たなくなっただけで。と、あんたどこのお嬢さんじゃ、」
私の身なりを見て彼はぎょっと目を剥いた。
村娘とは言い難い綺麗なドレス。屈んだせいか裾が土で汚れている。だがそれを気にもとめない私にお爺さんが戸惑っているのがわかった。
背後からシオンが現れる。
「グドルフ翁、こんな所にいたのか」
「おお、坊っちゃんか」
彼はシオンを見るなり安心しきった顔になった。脱力しかけている。相当腰が痛かったのではないか。
追いついた村人とシオンでグドルフを抱え、家の中へ運ぶ。このまま寝室に寝かせ様子をみることにした。村人は家族を呼んでくるといい出ていった。
室内がシンと静まり返る。
「シオンはグドルフさんとお知り合いだったのね」
ベッド脇の机に水差しやカップを置きながら、私は傍に座る彼に話しかけた。
「ああ、昔俺が毒を盛られた時に彼に助けられたんだ」
そうだ。シオンは子供の頃、お父様の政敵であるダグラス公爵に毒を盛られた事がある。
その際、偶然にも王都にいたグドルフ医師に診てもらうことが出来た。そして辛うじて一命を取り留めた。
「そうだったのね。それならグドルフさんはシオンの命の恩人ね」
「ふ、そうだな」
私もまた彼の隣にある椅子に腰をおろす。グドルフを一人にはしておけない。じきに家族がやって来る。それまではここにいないと。
ほんのわずか、私もシオンも何も話さず静かになった。この沈黙も彼となら不思議と落ち着ける。
ああそれと、とシオンが不意に私をみる。拗ねたような表情だ。一瞬ドキリとした。
「リリアナ、」
「……? ひゃ。な、何」
突然、頭上に大きな手が乗せられたかと思うとわしゃわしゃと撫でられた。それから、少しずつゆっくりと優しい力加減になっていく。
シオンが瞳を伏せた。
「少しだけ、妬いた」
「シオン、」
「リリアナはすぐ俺を掻き回す。……いけない子だ」
端正な顔が近づいてくる。そのままキスされるのかと思って目を瞑った。でも何も起こらない。
予想に反し、彼の額がそっと私の額と合わさった。
「……っ、」
なんだろう。何か変だ。私、今すごく恥ずかしいこと考えなかった?
瞳を開けるとシオンのそれとぶつかった。
見慣れた空色の瞳。けれどその奥にちらちらと熱情が映る。たまに見せる彼の本当の心。
すごく嬉しいと。心のどこかで喜んでいる自分がいた。今の私はどんな――
「……リリアナ、物欲しそうな顔してる」
「…………」
いつの間にか彼の手は頭を離れ、私の頬に添えられている。
「どうしてほしい?」
「あ、あの――」
ガタン、
シンとした空間に物音が響き渡った。
シオンの鼻先が近づいてきた所で私はハッと我に返る。あわあわと動揺した。
「あー、コホン。お前達何やっとるんじゃ。若いからって突っ走りおって」
どこか呆れたような声。これはグドルフさんのもの。彼が起きたのだ。私は渾身の力でシオンを押し退け離れた。
ああもう。やってしまった。見られた。
しばらく私、グドルフさんの顔、まともに見られなさそう。私は下を向いて落ち込んだ。
「……全く。婚約してるとは言え、結婚もまだのお嬢さんに手を出そうとするなど」
「口づけしようとしただけだ。彼女に触れられるのは俺だけ。誰に咎められることもない。当然の権利だろう」
グドルフの忠言をまるで法律家のようにシオンはふてぶてしく言い返す。
全く、とグドルフさんは溜め息を吐いた。
その瞬間またしても大きな音がした。扉が何の前触れもなく開け放たれたのだ。
「お祖父様! ご無事ですか!?」
若い声。
え、と振り返るとそこには息を切らした赤茶髪の青年が立っていた。