第31話 足の痛みとパーティー後のシオンとリリアナ
広間の隅には休憩用のソファーや椅子があり近くに飲み物や軽食も用意されている。
シオンは私をそこに座らせるとグラスに入った果実水を取ってきてくれた。
「ありがとうシオン」
「ずっと踊って喉が乾いただろう。これで潤すといい」
実はすごく喉が乾いていた。シオンの気遣いに感謝しつつ、私はグラスを受け取り口にする。彼は果実酒を飲んでいる。
飲み終わりグラスを下げようとしたら、いつの間にか彼が私の足元に跪いていた。
「どうしたの?」
「痛がっていただろう。足、診てみないと」
「足!? へ、平気。大丈夫だからっ……」
私が止めるのも聞かずドレスの下から靴を脱がされ足先を確認される。この国では女性は素足を男性に触れられるのはとても恥ずかしい事なのだ。
それが出来るのは夫か家族。あとは医師くらい。
反射的にぎゅっと目を瞑る。勿論シオンは知ってるはず。それなのに。
「……思った通りだ。やっぱり血が出てる」
「え、」
彼はそう呟くと、近くを通りかかった給仕を呼び止める。救護道具を持ってくるよう伝え始めた。
私は焦った。
「やだシオン。大袈裟ね。本当に大丈夫だから」
これくらいの傷なら癒しの力を使えばすぐ治る。今は皆の目があるから使えないけれど。
寮に戻ったら治す。そういうとシオンが軽く睨んできた。明らかに機嫌が悪い。
「リリアナ。俺は今この時を言っている。君が痛みを感じているのを俺はこのまま何もしないで黙ってみてろと言うのか?」
「…………」
出来るわけないだろ、と彼の声が低くなる。
私は息を呑んだ。何と言えばいいか言葉が見つからない。迷っているうち、給仕が救護道具を持ってきた。シオンはそれを使って手際よく私の足を手当てしてくれる。
「……ありがとう」
「ん、」
処置が終わり隣に彼が腰かける。
ぼうっと広間を見渡していると攻略対象の騎士リオデルと婚約者のケイトが楽しそうに踊っているのが目に入った。近くには魔術師ジュドーとフィオナも同じように笑っている。
それを見て私は驚いた。
「あれってフィオナさんだわ。まだ入学前、よね?」
「ああ。婚約者なら入学前、もしくは卒業後でも同伴してかまわない決まりなんだ」
「えっ、それなら私もあなたと来年踊れるの?」
「ふ、そういうことになるな」
それは嬉しい。正直来年どうしようかと思っていたのだ。でもシオンがこうして来てくれるなら安心だ。
そしてまた僅かな沈黙がおりる。元々彼は物静かな人だけど、さっきと少し様子が違う。何かあったのかな。
この静けさに居心地の悪さを感じて私は何か言おうと口を開く。
「そういえばおじ様。卒業式にはいたのに、ここには来てないのね」
「いや、さっき先生がいて声をかけられた」
私がディア様達と踊っている間にカールトンおじ様はシオンにお祝いの言葉をかけに来ていたらしい。
「そうなの。私もおじ様にお会いしたかったわ」
彼にはこのドレス姿を初めて見せる。素敵な意匠。きっとびっくりすると思ったのに。
「先生はリリアナの踊ってる姿、ちゃんと見ていたよ。すごく綺麗だって褒めてた」
「本当? 嬉しい」
おじ様はシオンと話した後、学園長とも話があるらしく忙しそうに去っていったらしい。
話している間、小腹が空いただろうと彼に軽食を勧められたが私は遠慮しておくと伝えた。
あまり胃に物を入れると、生理的な現象が心配だ。途中席を立つにもこの足ではツラい。
このままここにいても今夜はもう踊れない。そう思い至りシオンを見る。
「私、そろそろ寮に戻るわ。シオンは先輩方とお話できた?」
「ああ。向こうから話しかけてきた。父上の事もあるし、俺はそれなりに知られているらしい。……ならリリアナ、もう行こう。俺に掴まって」
「うん。……え。ひゃ、」
どうやら寮まで送ってくれるつもりらしい。彼は私を立たせるといきなり軽々と抱き上げてきた。いわゆるお姫様だっこだ。
遠巻きに女生徒達がシオンと私を興味津々に見ている。恥ずかしい。
「待って。重いでしょう。歩けるから下ろして」
前に制服姿の私を彼は抱き上げてくれた。でも今回はドレス姿。身に付けている物が沢山あるから重いはず。
「いいのよシオン。無理しないで」
「それは君の方だ。足が痛むんだろう。いいから掴まれ」
気にしなくていいのに。いつも気遣ってくれる。そんな彼に大人しく掴まり、私は「ありがとう」と呟いた。
パーティー会場を出て正面入口に向かう。けれど女子寮に繋がる道をシオンが通りすぎた。そしてそのまま馬車の待機する場所へずんずん歩いていく。
私は目を剥いた。
「ま、待ってシオン。寮はそっちじゃないわ」
「リリアナ、食事がまだだろう。さっき外泊届も出してきた。疲れもあるし今夜は俺の屋敷でゆっくりするといい」
返事を待たず馬車に乗せられる。
すごい。いつの間に寮に行っていたのだろう。相変わらずの手際の良さに感心する。ありがたいことに彼のお屋敷で食事も準備してくれるようだ。
ただ今日はシオンの強引さが少し気になる。断ろうとしたけど、お風呂も使わせてくれるようでかなり心が揺らぐ。
うう。ダンスで汗もかいたしお風呂は入りたい。彼の屋敷の浴室は広々としていてゆっくり入れるのだ。
私の心情を知ってか知らずか、シオンが瞳を和らげた。
「早く帰ろう。母上も君のドレス姿を見たらきっと喜ぶ」
「…………」
その通りだと思う。お義母様ならシオンと私の正装姿を見せたら絶対喜んでくれるに違いない。いや、せっかくだから見せてあげたい。
私はシオンに「わかったわ」と頷いた。
屋敷に着き、彼のお母様にドレス姿を見せるととても喜んでくれた。
彼女はすでに食事を済ませているそう。私達だけで広い食堂を使うのも申し訳ないので、シオンの部屋に簡単な夕食を用意してもらうことにした。
一度部屋に行き、癒しの力で足の傷を治す。お風呂と着替えを済ませシオンの部屋にやって来ると、彼も普段着に着替えていた。
ふと彼の机をみると小箱に入った記章が置いてあった。先程まで彼の襟につけられていたものだ。
うっとりと瞳を細める。
「すごく綺麗ね、」
彼の記章は首席で卒業した者のみに与えられる特別な造りだ。四色に煌めく石の上に学園を意味する大鷲の紋章が刻印されている。
赤、青、黄、緑。それらが混合し角度によって様々な色彩を生み出す。
因みに他の卒業生は一色だけの記章だ。
そばでシオンが溜め息を吐く。
「それが手放しで喜べない。仕事が始まったら必ずつける決まりだが、その色で大体の能力が見分けられる。噂によると成績優秀者は他の者より仕事量が格段に増やされるらしい」
「……それは大変ね」
無理とは思うけど絶対首席にはならないでおこう。そう私は心に誓った。
すると私の顔をみてシオンが笑った。
「そんな顔するな。リリアナは王宮で働くわけじゃない。記章に左右される事はないから安心しろ」
「うん……」
私は卒業したらシオンと結婚する。
今は彼のお母様がいるから心配いらないけれど、今後は家政も勉強しないと。
大まかな家政や領地管理については辺境の領地にいた時、お父様に教えてもらったことがある。リュミエール家は公爵だから領地や資産もさらに多い。覚えることは山ほどだ。
二年生になったら花嫁修業を開始すると言ってたし、きっとその時教えてもらえるはず。
シオンと向かい合わせに座り夕食をとる。時間も遅いので、軽いものをと頼んでいたがそれなりに量があった。でも意外と食べられる事に驚く。
どうやら思っていたよりお腹が空いていたようだ。
温かいスープを口にし私は美味しいと笑みをこぼす。シオンがどこかホッとしている。
「良かったリリアナ。機嫌が直ったな」
「違うの。その、色々と考え事をしていて……」
黙り込んで悶々とあれこれ想像していたら不機嫌だと思われたようだ。
彼が気遣わしげに私を見た。
「一人で何でもしようと考えるな。何かあっても俺がいる。それに両親をはじめリュミエール家の者が皆、君を助ける。安心していい」
「ふふ、ありがとう。シオン」
やっぱり彼は優しい。私達は互いに微笑みあった。
遅めの夕食も終わり彼の部屋にあるバルコニーに出る。今夜は星が綺麗だ。
夜は冷えるからとシオンが向こうから肩掛けを持ってきてくれた。それを受け取り羽織る。
「もう足は平気なのか?」
「心配かけてごめんなさい。さっき癒しの力で治したから大丈夫よ」
「それならいい。でもあまり無理しないで」
バルコニーの柵に二人並んで星を眺める。あと数刻で日が変わる。私は夜空を見上げたまま感慨深く息を吐く。
「今日一日。色々あったわね」
「そうだな」
明日からシオンは二週間お休み。それから補佐官として城へ出仕する。今後は週末位しか会えなくなる。
それを思うとやっぱり寂しい。
私は隣の彼を見る。
「あらためて卒業おめでとう。シオン」
「ありがとう」
この日が来るまで彼はすごく頑張っていた。私はそれをずっと近くで見ていた。だから私も――
「もう来週からシオンはいないのね。あなたがいない学園生活は寂しいけど。私、頑張る。だからシオンもお仕事大変だと思うけどお互い頑張りましょうね」
「リリアナ、」
返事の代わりにシオンが私を抱き締めてきた。彼の腕の中はとても温かい。そうして何かに引き寄せられるように私達の唇が重なりあう。
このキスはこの前の公園でのものと同じ。
どれくらい時が経ったのか。やがて彼の唇が名残惜しそうに離れていく。私はシオンの揺れる瞳を見つめる。
そしてずっと気になっていたことを口にする。
「……さっき一人で考え過ぎるなって言ってくれたでしょう。私も同じ気持ちなの。シオンも悩んでいる事があるなら話してほしい」
「…………」
シオンが切なげにこちらを見ている。何かを言いたそうな表情だ。
さっきパーティー会場で休憩した時、様子が変だった。いつになく静かというか。
「その、私じゃ何の力もないし頼りないかも知れないけど。話すことで少しは気持ちが楽になる事もあるし」
シオンが悩んで導き出せない答えだ。頭脳明晰な彼がわからないのに、私が解決するのは難しいに決まっている。
それでもいつか話せる時が来たら教えてほしいと私は言った。
「ああ。リリアナ、ありがとう」
シオンが微笑む。
バルコニーは寒いので部屋に戻ることにした。夜も遅い。もうそろそろ自分の部屋に帰ろう。
私達の部屋は扉一つ隔て続き部屋になっている。その扉に手をかけ、寝る前の挨拶をしようと振り向く。
「お休みなさいシオン」
「ああ。おやすみ」
二人で交互に頬に口づける。そして私はそうだ、と小さく笑った。ずっと言おうと思っていた事があったのだ。
「あのねシオン、」
「どうした?」
畏まって向き直る私に彼は不思議そうに首をかしげた。
「はじめは婚約して不安な事もあったけど。こうして一緒にいられてすごく幸せで。……その、この世界にいるその他大勢の中から『私』を見つけてくれてありがとう」
この人がいて、初めて私は恋を知った。この人が想い合う気持ちを教えてくれた。
モブなのにあなただけのヒロインに変えてくれた。
「私、シオンのことが大好きよ」とその空色の瞳を愛おしげに見つめて私ははにかむ。
やっぱりかなり照れ臭い。言い終えるとすぐにくるりと向きを変え扉を開ける。
「お、お休みなさい、」
そそくさと部屋に戻る。けれどそれは背後から伸びる大きな手によって阻まれてしまった。
「? シオン、」
「は。やっぱり、気が変わった」
背後からやんわりと抱きすくめられる。耳朶に直接吐息がかかる。これはいけない。
びっくりして振り向くと今まで見たことのない妖艶さを漂わせた彼がいた。
一瞬で足の力が抜けた。こんな表情、ゲームでも見たことない。
「リリアナは俺の悩み聞いてくれるんだろう?」
「……はい、」
ダメだ。抵抗出来ない。
かなりの密着度にくらくらと眩暈がする。シオンの形の良い指先が私の顎に触れる。
「なら今から夜通し俺達のこれからについて話し合おう」
「…………」
気絶するかもしれない。
徹夜で話し合う事柄とは一体何なのか。教えてほしいけど怖すぎて聞けない。さらにいうとこんな色気駄々漏れ状態の彼と二人きりなんて。無理。
「シオン、昼間にしましょう。朝早く起きてまた来るから」
「いや、明日の事について俺は君に話しておきたいことがある。だから――」
意外とシオンは頑固だ。何がどうして彼に謎のスイッチが入ってしまったのか。
ああもう。どうしてこうなっちゃったの。
彼が本気を出せば私など力では敵わない。案の定あっという間にシオンの部屋に引き戻された。
そうして私は空が白み始めるまで、彼の部屋に拘束される羽目になった。