第3話 特待生ジリアン・ドルチェと孤児院とシオンの協力
今日はお休みの日。私は久しぶりに一人で王都を散策している。これから女性向けの雑貨店にも行く予定だ。
シオンといるのも楽しいけれど、こういう一人の時間も好きだ。
雑貨店に行ったり王都でも有名な焼菓子のお店で買い物をしたり。でも少し買いすぎかな。
あとでシオンにも焼菓子をあげよう。
歩いて行ける距離のところを回るので馬車は使わない。
ふと見ると車道の脇には色々な馬車が停まっている。その中に以前私がシオンの件で頼んだ二人乗りの馬車があった。
御者のおじさん、私のこと覚えてるかな。
「おじさん、どうも」
「あっ、あの時のお嬢さん」
「あれから大丈夫だったのか?」とおじさんは訊ねてくる。私は「はい」と頷くとお礼をいった。
あの時拉致されたシオンを馬車で路地裏まで追いかけ、私はおじさんにシオンの屋敷に行って本人がいるかの確認とその状況を伝えてもらうようお願いした。
「ああ、お嬢さんに頼まれたからな。ちゃんとお屋敷に行ったんだけどそこの執事さんがな。話はわかってくれたんだが、あとはこっちでやるから大丈夫だと言われてさ」
あの事件の後、シオンから御者のことは聞いている。執事さんもその日の彼の計画は知っていた。そのため特に驚きはしなかったようだ。
私のこともシオンがいるから大丈夫と判断したらしい。
「なんにしても無事で良かった。でもお嬢さん路地裏に行くなんて無茶はもうやったらダメだぞ」
「はい。ごめんなさい」
あそこはたしかに年頃の娘が行くような場所ではない。私はおじさんに謝った。
雑談も交わしながら少しの時間そこにいると、表通りの向こうからピアノの音が聴こえてきた。
かすかな音。私がそれに耳を澄ましていると御者が感心したように呟いた。
「ああ、今日もジルのやつ。来てるんだな」
「おじさん、ジルって?」
最近よく聞く名だ。私は即座に反応した。
「ジルは……そうだな。お嬢さんと年が近いかもしれんな。あいつは孤児でね。休みの日はそこの裏の孤児院にピアノを弾きにくる。……あ、ジルはピアノの腕を買われて貴族様の学校に行ってるんだ。あの裏界隈の一番の出世頭だな」
御者は心底嬉しそうに笑う。きっとジルのことを我が子のように思っているのではないだろうか。
「そう、ですか。とてもピアノが上手なんですね」
でもなぁ、と御者はいう。本当はもうここに来るべきではない。学園には寮があるし帰る家には困らない。
何より裏界隈はあまり治安が良くない。ジルがここを行き来すれば、良くない輩が彼に接触してくる。
そこまで言うと御者は苦い顔をした。
「おじさん、私も少しだけジルさんのピアノを聴きに行っても良いですか?」
「ああ、今は昼だし裏へ回っても大丈夫だと思う。聴いてきたらいい」
道を教えてもらい私は孤児院へ向かう。
目的の場所に近づくにつれてピアノの音がはっきりと聴こえてくる。たどり着いた先は小さな家だ。
正面の扉をたたくと音がやむ。中から出てきたのはまだ小さな子供だった。
「どちらさまですか?」
「こんにちは。ピアノの音が気になってつい来てしまったの。良かったら私も聴かせてもらえないかしら?」
「いいよ。こっち」
子供は女の子だ。その子は私の腕をひくと中に入れてくれた。そのまま奥の一角に導かれる。
再びピアノの音がし始めた。これはジリアン・ドルチェの音だ。何度か聴いている。間違いない。
天井や壁をみる。ここは小さな礼拝堂のような所だ。長椅子がいくつかあり、そこに座れと少女に促される。
周りには他にも彼女と同じくらいの子供達がいた。ピアノを弾くジルの足元にもたくさんの子供が座っている。
ドルチェ先輩はこの子達に好かれているのね。
もしかしたら彼はここでお兄さん役なのかな。
だが曲を聴いていると何かが不完全な気がした。このピアノの調律もそうだが一度調整した方がいい。
ジルはピアノのプロ。
それなのに。音が欠けている。
私はおもむろに立ち上がると鍵盤をたたき続ける彼の後ろに立つ。
鍵盤に触れる手はとても優しい。思わず口元がほころびそうになる。
けれど途中でジルはその手を止めてしまった。
子供達が「つづきはー」と彼に最後まで弾くようせがんでいる。
「あの……手、貸しましょうか?」
私は沈黙したまま鍵盤を見つめるジルに声をかけた。私の声に驚いたのか彼が顔をあげた。
「え、リリアナ嬢? どうしてここに……」
それには答えず私は彼の隣に座った。
「もう一度、今の曲を」
「すまないがこの曲は譜面がないんだ。だから――」
私は鍵盤に手をおく。
「大丈夫です。適当ですけど、さっき耳コピして覚えたんで」
「は? え、みみこぴ?」
試しに序奏を弾いてみせる。その旋律にジルの目が見開かれた。ごくりと息を呑む気配がする。
わかった、とジルは先程の曲を弾きはじめた。もう彼の目は鍵盤にある。
この曲は基本一人で弾いていいものだ。けれどこの古びたピアノの限界か、どこか壊れている部分があるのかもしれない。
重厚感が出ていないのだ。深みがないというか。
でもこれは手が増えれば補える。
ドルチェ先輩に近づくなとシオンに言われているけど、子供達がたくさんいるならきっと平気よね。
今回はジルが主導。私はあくまで補助に撤する。
同じ曲でもさっきとはまるきり違う。音に深みが増している。これならジルの聴かせたい音が出るはずだ。
聴かせる相手は孤児の子達、貴族や身分のある者達ではない。これをみて馬鹿馬鹿しいと思う者もいるだろう。
けれどこれはすごく意味のあることだ。
弾きながら横にいる彼の顔をチラリとみる。すごく楽しそうだ。良かった。
奏者にとって思った通りの音が出せないことほど辛いものはない。
そうして曲を弾き終える。子供達やその寮母さん達が拍手をしてくれた。感激している姿に私は頬を緩める。
ジルが顔をあげた。その顔は上気し輝いている。
「ありがとう。リリアナ嬢。まさか君がこの曲を弾けるなんて思わなかった。本当にすごい」
「いえ、適当に弾いただけなんで……」
ジルの話によるとこの曲は亡くなった古参の寮母がよく弾いて聴かせてくれたものらしい。
譜面はなく今はジルしか弾けない。
「マザーは大分前に亡くなったけど、それでも子供達は曲を覚えているんだ。だから時々ここに来て俺が聴かせてやっている」
「その方はこの子達に慕われている。とても素晴らしい方だったのね」
私がそういうとジルが小さく笑った。少し瞳が潤んでいる。
「そうだ。あの人はいつも俺達のために駆けずり回って身を粉にして働いていた。だから俺は――」
すると突然入口の扉がバンと開け放たれた。ジルの声がかき消される。
そのまま何人かの男達がズカズカと中に入ってきた。
寮母さん達が慌てて彼らの前にでる。
「おい、お前ら。とっとと金を出せ!」
「そうだ。俺らが貸した金、いい加減早く返してもらわないとな」
寮母の一人が震える声で口を開く。
「せ、先月分のお金は返したはずです。今月はまだのはず……」
「あんなはした金じゃ足りねぇよ!貸した金には利息ってのがあるんだぜ」
ああそうだ、と男の一人がジルの方をみてニヤリと笑った。
「くくっ、このピアノはどうだ。おんぼろだが、これを売ればそれなりの金になるだろう?」
男はピアノに近づくとその鍵盤に触れようとする。途端、ジルの目が鋭くなった。
「やめろ。汚い手でこれに触るな」
「お前、その身なり。ジルじゃないか。貴族の学校なんぞに通ってるそうだな。ちょうどいい、お前も金を出せ」
それなりにもらってるんだろう、と男はジルに近づき睨んでくる。彼もまたその威圧には屈せず黙って男を見据えていた。
けれど途中で彼は思い出したように私の方を見た。
きっと私が巻き込まれるのではと思ったのだろう。子供達も心配して様子をうかがっている。
けれど私は何も言わず人差し指を口にあて、何も言うなとジルに目配せした。
「ジル、お前どこを見てやがる。頭がおかしくなったのか?そこには何もねえだろうが!」
「……!」
ジルが動揺しているのがわかる。
それはそうだ。だって私は今、危害を加える者からはその姿が見えていない。
これはシオンからもらった魔導具の指輪の力だ。あれ以来いつも肌身離さず指に嵌めている。
「チッ、もういい。二週間後だ。それまでに金を用意しろ。でなければその古臭いピアノを売っぱらうからな」
男はそう強引に約束を取りつけると他の男達と共に孤児院を出ていった。
嵐のような時間がすぎ、沈黙が漂う。子供達の中には泣きそうになるのを我慢している子もいた。
あの男達が来るのは一度や二度ではない。孤児院にいる皆をみてそう思う。
「ごめん、リリアナ嬢。怖い思いをさせてしまって」
「ううん、いいの。あの人達には私の姿は見えていないから」
ジルの瞳が驚いたように見開かれる。半信半疑といった様子だ。
私は指輪の力について話す。彼は戸惑いながらもわかってくれたようだった。やがてジルはふぅと息を吐いた。
「君のこと、巻き込んでしまったかと思ったよ。本当に焦った」
「ううん、いいの。それより、もし良かったら事情を聞かせてほしいの」
私は寮母達やジルからこれまでの経緯を聞いた。
◇◇◇
ここはエドワルド学園のラウンジ。隣にはシオンがいる。
私達は一緒にランチを楽しんでいた。
ランチには必ずデザートもついている。今日は小さな苺のミルフィーユ。
やっぱりここの食事は美味しい。さくさく感を味わいながら食べているとシオンが私をみていた。
ん、私の顔に何かついてるのかな。
「どうしたの、シオン」
「……リリアナ、昨日どこに行っていた?」
え、と問い返すと実は昨日シオンが私の寮にやってきたらしい。
「ちょっと王都を散策していたの。あらかじめ言ってくれたら寮にいたのに」
この世界には電話はないので基本、事前に伝えておくか人を使って手紙を送るのが普通だ。
私は今知ったと申し訳なさそうに返す。
けれどシオンは面白くなさそうな顔をしている。何か言いたいことがあるようだ。
「だって昨日帰ってきたの遅かっただろう。門限ギリギリだったはずだ」
「ああ、ちょっと色々あって遅くなったの。……てことはシオンたらそんな時間まで待ってたの?」
寮には男女共有の談話室がある。広いので待ち合わせにもよく利用される場所だ。門限は七時。
そんな時間までメインキャラが一人でいるなんて。
「シオン、あまり言いたくないけど。あなたちょっと無防備すぎる」
「その台詞、そっくりそのまま君に返すよ」
私は基本的にモブだからそこまで事件に巻き込まれることはないと思う。でもシオンはいつ襲われてもおかしくない。
特に女子に。場合によってはヒロインに遭遇することだってある。
気まぐれでシオンにロックオンされたらと思う時だってあるのだ。そんなことになれば正直ヒロインパワーに勝てる気はしない。
もしそうなっちゃったら私どうしよう。
ふとそんな妄想をしていたら、シオンが話しかけてきた。
「で、昨日何をしていたの」
「それは……」
私は鞄から書類を取り出すと彼に渡す。シオンが目を瞬いている。
「これは?」
「昨日遅くなったのはその書類を作っていたから。とにかくこれをみてほしいの」
「…………」
シオンが急に静かになる。こういう時の彼は集中している証だ。ペラペラと紙をめくる音がする。速い。
けれどこの人は適当じゃない。きちんと文言を読みその内容を理解している。
とある案件で私の作成した書類に対する彼の意見を聞きたかった。
彼が書類を元に戻す。しっかり見終わったようだ。ハァとシオンが溜め息をもらす。
「短時間でよくこんなの作ったな。昨日、遅かった理由がわかったよ。で、リリアナはどうしたいの?」
「シオンからみてその書類に不備はある?」
ほぼ大丈夫、と答えが返ってきた。
私はうん、と頷く。
「その書類にも書いたと思うけど期限は二週間以内なの。それまでに解決したい」
「却下。これには一割不確定要素がある。それにリリアナには動いてほしくない。なにかあったらどうするの」
一割。それは私にもわかっている。
その理由を知ってか知らずかシオンがこちらをみてくる。私がなんと言ってくるのか興味があるのだ。
「シオンにお願いがあるの」
「リリアナから頼みごとなんて嬉しいけど、この件は俺達に関係ないだろう。……ああ、でも君がなにか俺に見返りをくれるなら聞いてあげても良いよ」
シオンは目を細めちょっと意地悪そうな笑みを向けてくる。私は負けじと口角をあげた。
「見返りはあるわ。それはね――」
私はシオンの耳元に近づきこっそり囁く。
聞いた瞬間、彼は諦めたようにボソッと呟いた。
「……ずるい。君はとんだ策士だな」
わかったよ、とシオンが協力してくれることになった。
このお話は次に続きます。