第29話 カールトンおじ様の名前とダンスパーティー
カールトンおじ様が壇上に立っている。
私は呆然とその光景を眺めていた。
「皆さん初めまして。私はエドワルド・カールトン。この学園の創始者です。このたび――」
私がよく知る耳に馴染む低音ボイスが講堂に響く。間違いない。この人はおじ様だ。
ふぅと息を吐く。座っている状態で良かった。そうでなければ動揺して立っていられなかった。
それにしても今まで私。おじ様の名前をきちんと聞いたことがなかった。まさかファーストネームがエドワルドさんだったなんて。
エドワルド学園。彼の名を戴く、貴族の子息子女のために造られた国立の学園。
おじ様。物凄く偉い人だったのね。
よくみると彼の胸にたくさん光る物が下がっている。あれは勲章かな。すごい。
後でシオンにも聞いてみよう。でもきっと彼はずっと前から知っていた。そんな気がする。
まだまだ私はこの学園。いえ、この国のことをわかっていなかったようだ。卒業生や在校生に向けて祝辞を述べるおじ様の言葉を聞きながら、私は心の中で苦笑した。
◇◇◇
無事、卒業式が終わった。
今日はこの後、一旦下校することになっている。夕方からダンスパーティーがあるので、それに間に合うよう準備しなければならない。
私は女子寮の食堂で簡単な昼食をとった後、部屋に戻り少し休む。やがてシオンの屋敷で働く侍女が来てくれた。
今夜のドレスも一人で着るのは難しい意匠なのだ。
彼女に手伝ってもらいながら身支度を整えていると部屋の扉を叩く音がした。まだ夕方には早い。どうしたんだろう。
「? 誰かしら、」
「きっとシオン様ですわ。待ちきれなくて早くいらっしゃったのかもしれません」
ふふと侍女が顔を上げる。そして急いで私の準備を終わらせてくれた。
侍女が扉を開ける。すると彼女の言う通り、シオンがそこに立っていた。今夜、生徒達は制服ではなく正装で参加する。
彼も白地に金糸が精緻に入った礼服姿。艶のある銀髪に映えてとても美しい。卒業生には証として記章が贈られ、上着の襟元につける決まりがある。
私のドレスは濃淡のある薄青を基調としたグラデーションカラー。フリルもついて可愛らしい。
侍女に招き入れられた彼が私のすぐそばまでやって来た。瞳を和らげこちらを見ている。
うん。お願いだからあまり至近距離で見ないでほしい。なまじ整った顔だけに緊張する。
「……とても、綺麗だ」
「ふふ、ありがとう。シオンもすごく素敵。まるで王子様みたい」
「そうか?」
一見、彼の表情は変わらない。でもちょっと嬉しそう。私は返事の代わりに微笑んだ。
それにしても過去にシオンのお屋敷でドレスを仕立ててもらった時、たくさんこの姿を彼に見られたけど。私の方はシオンの正装姿は初めてだ。
だからか、すごく感激だ。もしカメラがあれば、ぜひ写真を撮ってほしいくらい。
すると私の表情から何かを感じ取ったのか、シオンが恭しく私の手をとる。美しい仕草。思わず見惚れる。
「気に入ってくれて嬉しい。それなら今度この姿で一緒にいる絵を描かせよう」
二人の肖像画を描いてもらう。それは記念になりそう。思わぬ提案に私は瞳を輝かせる。
「ありがとうシオン。楽しみね」
そんなふうに話し込んでいたら、いつの間にか予定の時刻が迫る。私は侍女に見送られ、迎えに来てくれたシオンと一緒に学園に造られたパーティー会場に向かった。
行く道すがら、私と同じように婚約者やパートナーにエスコートされている女生徒がいる。緊張している人、楽しそうな人。それぞれ面持ちが違ってついそれを目で追ってしまう。
「お相手が決まっていない方はどうするの?」
「それは会場内で意中の相手と話して決めたり、人によっては友人と踊る者もいる」
まぁ人それぞれだ、とシオンが呟く。
意中の相手。その言葉で思い出す。
そうだった。卒業式前の告白イベントの後、パーティーで一緒に踊って。そうしてようやくエンディングを迎えられるんだった。
ゲームだとそれくらいしか設定がないけれど。現実はファーストダンスはパートナーと踊る。その後は誰と踊っても良い決まりだ。
「所でリリアナ。ダンスのことだけど」
彼には他の人と踊ってもかまわないが、必ず一回だけだと教えられる。同じ男性と二回以上連続で踊ることは好意があるという意思表示だそう。
私は真剣な顔で頷く。
「わかりました」
初めての夜会なので不安だけれど、シオンがなるべくそばにいるからと優しい言葉をかけてくれる。
彼は首席だし攻略対象で宰相様の子息。そのため会場では本来社交で忙しいはずだ。
それなのに私のために気を使わせてしまって申し訳ない。
「シオン、ここは学園内だから。私のことは心配しなくて大丈夫よ。それより講師の方への挨拶や補佐官の先輩方も来てるはずだし。最後だから、とにかく自分のことを優先してね」
「ああ、わかった」
そうして私達は会場へ入った。やっぱりかなり緊張する。けれどシオンはいつもと変わらぬ表情で担当者とさりげなく会話している。
さすがシオン。大人だなぁ。
こういう時、彼の頼もしさを感じる。
会場内には正装した生徒達がたくさんいた。皆グラスを手にしている。私達も近くにいた給仕からそれを受け取った。
学園長の乾杯の挨拶と共に音楽が流れ始める。
沢山の人。その中にピンクのドレス姿の女性が目に映る。ヒロインだ。
どんなに遠くからでもわかる。彼女の独特の輝きはとても目を引く。安定の可愛らしさにうっとりする。
だが彼女は一人ポツンとそこにいた。
私が心配そうに見ていると隣でシオンがクスリと笑う。そして彼女の反対方向に目をやった。
「リリアナ。彼女は大丈夫だ。……ほらあれを見てみろ」
「……えっ。あ、」
向こうからヒロインに向かって三人の男性が歩いてくる。攻略対象ではないが全員美形だ。
彼らは戸惑う彼女の前で礼をし、手を差し出している。あれはダンスに誘っているのだ。
彼女は少し迷った後、そのうちの一人の手をとった。その様子は初々しい。お互いに照れているようだった。
「よ、良かった」
「余計な心配だったな。リリアナは知らないだろうが、彼女は相当男子生徒に人気があるんだ」
「えっ、」
知らなかった。
シオンの話によるとこれまでジークハルト殿下と一緒にいる事が多すぎて、周りの男子生徒はなかなか彼女に近づけなかったらしい。
「今回のことでチャンスが回ってきたと思ってる奴らはかなりいるぞ。彼女、今夜は大変かも知れないな」
要はダンスのお誘いが途切れない。さっき見た男子。モブなのに攻略対象並に美形だった。
ハイスペなモブ。いるのね。
うむむと唸っていたら、シオンが目の前に恭しく手を差し出してきた。
「さぁ、他人のことばかり夢中でお節介な姫君。もうそろそろ俺の方を見てくれないか?」
「……! シオン。ごめんなさい」
そうだ。もう音楽が流れ、みんな踊り始めている。
私は眉をさげ謝るとシオンの手をとる。彼はそっと甲に口づけた。まるで壊れ物を扱うような触れ方に頬が熱くなる。
「どうかダンスを――」
「はい、」
どこか懇願するように言う彼に私は微笑んで返事をする。
学園のパーティー会場。正装姿の初めてのダンス。私達は流れる曲に合わせ踊り始めた。