第26話 補佐官合格祝いと卒業式の朝と攻略対象ディアクロード殿下
補佐官の試験が終わり数週間後。
シオンは無事合格した。
今日はそのお祝いもかねて王都にある美しいと有名な公園に遊びに来ている。
お祝いだからシオンの好きな所に行こうと言ったらのんびりできる場所がいいと答えたのでここにしたのだ。
このところ勉強づくめで大変だったものね。
木陰の下。敷物の上で仰向けに寝そべる彼の隣に私は座った。目の前のずっと向こうには小さな池がある。天気が良いせいか陽光を反射し美しく煌めいている。
持ってきたブランケットを掛けてあげた。
そうだ、と私は思い出したようにシオンを見下ろす。
「シオンあのね、」
「ん?」
「……その、合格のお祝いなんだけど。何か欲しいものある?」
何を買おうか迷ってしまって結局買わなかった。これはもう本人に直接聞いた方が早いと思ったのだ。
少し微睡みかけていた彼がうっすらと目を開ける。そうして私の手をそっと握ってきた。
「ある、」
「どんなの。教えて?」
リリアナ、と聞こえた気がした。
シオンがこちらを向いている。何かを観察するような瞳。私の反応をみて面白がっているのだ。
「…………」
相変わらず彼の顔は美しい。ドキドキしてずっとは見ていられない。これ以上は耐えられないと私は瞳を逸らした。
すると何を思ったのか、彼は私の手を引き寄せその甲に口づけてきた。
私はぎょっとし真っ赤になってシオンに訴える。
「もう。シオンたら。からかって。どうしてそうなの」
「からかってなんかいない。これでいい。他には何もいらない」
そよそよと心地好い風が吹く。彼はまた目を瞑ってしまった。長い睫毛がゆれてとても綺麗。
物は欲しくない。それならと私は笑みを浮かべた。
「じゃあ今日は私、シオンの言うこと何でも聞いてあげる」
「……え?」
シオンが瞳を瞬かせて反応した。思いもよらない提案に驚いているようだ。
「本当に?」
「ええ。もちろんよ」
疑り深く確認する彼に私は力強く頷いた。
それから少しの時間が経った。
敷物の上でのんびり過ごしているのは変わらない。けれどほんの少し変わった事がある。それは私の膝の上が重くなったこと。
今、私はシオンを膝枕している。何でもお願いを聞くと言ったらこれを頼まれたのだ。
「本当にこれでいいの?」
「ああ、」
戸惑う私に彼の嬉しそうな返事が返ってくる。目を閉じているからあまり表情はわからないけど気持ち良さそう。
本当にこんなことでいいのかな。
まぁ満足してるみたいだから。いいか。
艶やかな銀髪が視界に入り、その髪を鋤いてやる。さらさらして触り心地が良い。私の髪質より良さそう。
補佐官の試験が終われば学園卒業までは特に何もすることはない。寝る間を惜しんでいつも勉強していたのを私は知っている。この結果を手にするために彼はすごく頑張っていたのだ。
「良かった、」
「……?」
呟いた言葉にもぞりとシオンが身じろぎした。なにが、と声が返ってくる。いつの間にか空色の瞳がこちらを見ていた。
私の胸がドキリと鳴る。
「リリアナ、」
瞳を和らげ彼が囁く。その先が聞こえなくて顔を近づけたら、シオンの手が私の後頭部に回った。
あ、と思う間もなくお互いの唇が重なる。
「もう、シオンたら」
ここは屋外。しかも皆が出入りする公園だ。誰が見てるとも限らない。頬を赤くして注意すると、シオンが悪戯っぽい笑みを向けてきた。
「今日くらい良いだろう。ご褒美になんでもくれると言っていたのは君じゃなかった?」
「それは……そう、ですけど」
幸いにして私達の近くには誰もいなかった。
今日だけはシオンの喜ぶことをしてあげようと決めている。手を握ってきたので、されるがままにしておいた。
私達は時の経つのを忘れるほどゆっくりと過ごす。
それから持ってきた昼食を食べたりお茶を飲んだりした後、公園を散策し楽しいひとときを過ごした。やがて陽も傾き始めたので馬車に乗り込む。
車窓から流れる景色をみて私は小さく笑った。
「時間が経つのはあっという間ね」
「そうだな、」
今日来た公園もとても素敵だったけれどシオンの屋敷にある庭園も好きだ。そう伝えると彼が良いことを思いついたと口を開く。
「なら今度はそこでゆっくりしよう。誰もいないし。その方がリリアナのこと好きにできるしな」
「えっ、」
さらりととんでもないことを言われた気がする。冗談だ、と返されたが本気かもと思った。
時々シオンはわざと茶化したり。でもその中に本音も含まれていたり。今みたいに切ない表情を見せたりで、その度に私の心は落ち着かない。
「ねぇシオン、」
「何?」
「もうして欲しいことはない?」
ある、と聞こえた瞬間、抱き締められた。
彼の整った鼻先が近づく。頬や額そして髪。他にもたくさん触れられる。
本当に今日は特別な日だった。
それはいつもと違う口づけ。私の中がシオンでいっぱいになる。
やがて唇が名残惜しむように離れた後、私は掠れた声を出した。気遣うように彼が頬を撫でてくる。
「その、私……」
「……うん、」
「少しは。シオンの気持ちに、近づけた?」
ずっと気になっていた。この答え。
彼は何も答えなかった。ただ黙って。でもとても柔らかな表情をしていた。
そして「まだかも」と瞳を細め意地悪そうに呟いた。まさかの反応に私は動揺する。
「えっ、」
「全然足りない。リリアナが俺の気持ちに追いつくなんて。学園にいる間はきっと無理だ」
そんな。
これでも十分私の気持ちはシオンでいっぱいなのに。ちょっとショックだ。
私の唇を彼が愛しそうに指先でなぞる。
「俺の気持ち全部見せたらリリアナびっくりするだろう。怖がらせたくないし。だから卒業したら……覚悟して?」
「……っ、」
至近距離で彼がにっこり微笑んだ。私が卒業。それは同時に結婚を意味する。
覚悟? それってなんだろう。シオンの気持ちってそんなにすごいものなの?
頭の中が疑問符でいっぱいになっていく。そうして私はきちんとした答えを出せないまま、彼に女子寮まで送られ帰った。
◇◇◇
晴れやかな青空。
卒業式日和。いよいよ今日はシオンが学園を卒業する。
そしてついにこの時がやって来てしまった。
ここは『貴方の吐息で恋をする』という恋愛攻略ゲームの世界。ヒロインはこの日のために学園イベントをこなし攻略対象の好感度を上げていく。そして最も高い相手と結ばれるのだ。
ちなみに今日は午前中に卒業式。夕方からダンスパーティーという流れになっている。
パーティーではすでに相手がいる者はその人と過ごす。ゲームでは攻略対象五人の相手はその時がくるまでわからない仕組みだ。
本来であればシオンも攻略対象の一人としてヒロインに告白される予定だった。
でもまさかこんなモブである私と両思いになり婚約して、というとんでもないルートに進んでしまった。
さらにいうなら攻略対象の他二名もすでに婚約者がいる状態。それもやっぱり相手はモブ令嬢だったりする。
残るは二人。
この国の王子ジークハルト殿下。そして隣国の王子様だ。
ただジークハルト殿下とヒロインは仲が良さそうなので彼とのハピエンで決まりかなと思う。
そんなふうに考えながら女子寮から学園へ歩いていく。卒業式が始まるのはもう少ししてから。何だか今日は特別な日だからか、気持ちがそわそわしていつもより早く来てしまった。
まだ早いから中庭にでも居ようかな。
そう思いクルリと向きを変える。すると近くで声がした。男の人のものだ。
「リィリィ、」
「……?」
その呼び方が気になって声のした方に向かう。そこは中庭の一角。大きな木がある場所だ。
その木の下に紺髪の男子生徒が佇んでいる。その手には小さな鳥がとまっていた。
「リィリィ、良い子だ」
遠くからでもわかる。あの人は隣国の王子様。ディアクロード殿下だ。
リィリィというのはその小鳥のことだろう。
私はその様子を見てうつむいた。やだもう恥ずかしい。名前が似てたからつい自分の事かと。
何故なら昔そう呼ばれたことがあったのだ。だから勘違いしてしまった。
「リリアナ嬢?」
早くここを立ち去るべきだった。気がつけば殿下が驚いた顔で私を見ている。きっとシオンといつも一緒にいるから名前を覚えていてくれたのだろう。
私は慌てて挨拶する。
「申し訳ございません。決して盗み見たわけではなくて。その、私はリリアナ・メロゥと申します」
この方は王子様。粗相があってはいけない。
すると殿下にとまった小鳥が飛んでいく。それを目で追いかけた後、彼は私に向き直る。
「いい、リリアナ嬢。気にするな。……それより叔母上、いやエレノア様はお元気か?」
え、と私が顔を上げると殿下が微笑んでいた。
エレノアとはお母様の名だ。ディアクロード殿下と私のお母様の祖国は同じ。
それは知っていたけれど。殿下がお母様を知っている。そして今、叔母上と言ったような。
私は固まった。
殿下がどうしたのかと眉をひそめる。
「どうしたリィリィ。私を覚えていないのか?」
昔一度だけお母様と一緒に隣国に行ったことがある。そこでたしか『神託』という儀式をしなければならなくて、私は神殿という所で待たされたのだ。
そこにいた紺髪の巫女見習いの子。その子がお母様の仕事が終わるまで一緒に遊んでくれたのだ。そして私のことをリィリィと呼んでくれた。
あの時の子が目の前にいるディアクロード殿下?
「……デ、ディア、ちゃん?」
声が震えた。
私は口元をおさえる。
どうしよう。女の子だと思ってた。花とかすごく似合ってたし。
殿下が動揺する私に苦笑し教えてくれる。私のお母様と殿下のお母様は姉妹。そして今は殿下のお母様が巫女姫の任に就いている。
彼は最初から私がこの学園に入学することも全てわかっていたらしい。
「つまり私達は従兄妹、というわけだ」
「……従兄妹、」
ぼんやりとその言葉を反芻する。
この人も攻略対象。私と瞳の色以外全く似ていない。こんな尊い方と私の血が繋がっているなんて。
ごめんなさい。
私は心の中で謝った。
「リィリィは目立ちたくないんだろう?」
「はい。そうです」
私の気持ちを何となく知っていたようだ。そのため学園では私達の関係を知られない方がいいと思ったらしい。だからこれまでずっと黙ってくれていたのだ。
今はもうシオンの婚約者というだけで十分目立ってしまっているのだが、もう彼も卒業する。
そうすればまたいつものようにモブな女子生徒として無難な学園生活を送ろうと思っている。
それを話すと殿下が笑った。
「それは悪かったな。最後の最後でこんなふうに明かしてしまって。だが私も卒業だから平気だろう」
そして「良かった。リィリィと話せて」と彼は嬉しそうに言った。
「私もです。あの――」
ついでにお母様の近況を伝えようとしたら背後から芝生を踏む音がした。
振り返ると銀髪のよく知る人がそこにいた。
「……シオン、」
名を呼ぶと同時にシオンと目が合う。けれどなぜか彼は黙ったまま、踵を返して向こうへ行ってしまった。
「え、待って。どうしたの」
怒ってはいない。彼も私の姿を見て驚いていたようだった。でもどうして逃げるように行ってしまったのか。
いつもと違う様子に私が戸惑っていると殿下が口を開く。
「リィリィ、追いかけた方がいい。シオンは何か勘違いしているかも知れない」
「はい。ごめんなさい。失礼します。……ディア様」
私は頷くと急いで彼を追いかけた。