第23話 シオンに盛られた媚薬と微熱と解毒薬
鉱山から帰る馬車の中。
私とシオンそしてジュドー様。さらにエルディア人の少年リュートがここにいる。
ほとんどのエルディア人は事情聴取のため王城に行っている。彼だけは茂みに隠れ眠っていたので偶然にも置いてきぼりになったのだ。
リュートはまだ幼い少年だ。事情聴取をしたところで結局は何も知らされず大人達に連れて来られたと言って終わりそう。
それならとジュドーがパルモンド伯爵に許可を得てとりあえずの間、彼の屋敷で預かる事になったのだ。
「ジュドー様。本当に良いのですか?」
さっきまで起きていたリュートは馬車に揺られまた眠くなったのか目を閉じている。ついにはジュドーの膝を枕にして眠りはじめた。
そんな無防備に眠るリュートを見下ろしジュドーが優しげな顔になる。
「いや、なんかコイツのこと放っておけなくてさ。うちは国とか血筋とかいうしがらみはないから心配いらない。あとコイツが本当にエルディアに帰りたいなら俺が連れていってやることも出来るしな」
そう。この子は家族に売られたと話していた。本人は祖国に帰ることを望んでいるけれど、果たして彼に帰る場所はあるのか。
私は目を伏せる。
どちらにしても鉱山での仕事は難しい。この国で鉱夫のような重労働を子供に課すことは御法度。たちまち事業主である伯爵は処罰されてしまうだろう。
私はジュドーの決断を受け入れる。
「わかりました。もし何か困った事があればいつでも言ってください。微力ながら私も協力します」
すると頬を弛め彼が笑った。
「ああ。ありがとう。やっぱりリリアナはしっかりしてるな」
「えっ?」
だってほら、と彼が私の横を指差す。そう、さっきから左側が重たい。ジュドーにはリュート。私には――シオンが。
体に寄りかかり眠っている。
「シオンはリリアナのことを相当信頼しているんだな。学園でもこんな無防備な姿、今まで見たことないぞ」
「……いえ、私も。こんな彼は初めてです」
本当に珍しい。いつもなら自分より私の事を一番に気遣う人。それなのに脱力し眠っている。
心配だわ。どこか具合が悪いんじゃないかしら。
気になってシオンの額に触れてみる。何だか顔も少し赤いし体も熱いような。
「少し、体が熱いみたいなんです。シオン、体調が悪いのかも」
「ああそれは……。あのな、リリアナ」
どこか訳知り顔で返してくるジュドーを私は真っ直ぐ見る。
「どうしたんですかジュドー様。彼の体調が良くない理由について何かご存知なんですか?」
「……ああそれは、だな。その、あれだ」
モゴモゴと言いにくそうにしている。この歯切れの悪さ。いつも明朗闊達な彼にしては珍しい。
私は尚も食い下がる。
「ジュドー様。教えてください場合によってはお医者様を呼ばなくては」
「や、待て。医者はいらない。シオンはさっきの奴らに薬を盛られているだけだ。後で解毒薬を持ってきてやる」
ジュドーの言葉に私は目を見開いた。
「え。……薬、ですか?」
毒ではなく薬。私は隣で寄りかかるシオンをみる。
彼の体が熱を帯びているのはそのせい。私にこうしているのは体に力が入らないから。そして息づかいも少し荒いような気がした。
「多分鉱山の事務所で拘束されていた時シスターか護衛に飲まされたんだ。この症状、シオンだからどうにか耐えられているけど普通の奴だったら……」
そんなに危険な薬なのね。
私はごくりと息を呑んだ。
魔術師は魔法の他に薬草や素材を使って薬を調合する仕事もある。ジュドーはその中の最たる一族だから家に帰れば調合室があり解毒薬も一通りそこに保管されているそう。
「とりあえずシオンの屋敷まで俺も一緒についていく。着いたらすぐ魔術で移動して薬を届けてやるから」
「ありがとうございます。ジュドー様。でも急ぐなら今から移動されても良いのでは」
馬車の中では御者に任せるだけだし、シオンの屋敷までまだ距離がある。その間に薬を持ってきた方が早い。
そう思って伝えるとジュドーは困ったように笑い首を振った。
「いやダメだ。何かあったらまずい。この薬、リリアナは何か知ってるか?」
「? いえ、わからないです」
そうだよな、と彼は気まずそうにしている。やがて目を逸らしボソボソとか細い声で教えてくれた。
「これはだな。……媚薬だ。シオンはそれを飲んだんだ」
「え!? び、びやく。ですか?」
驚きすぎて声がひっくり返った。「嘘でしょう」と彼に訴えるも「本当だ」と返されてしまった。
その症状として脈が早いこと。呼吸も荒く体が熱いこと。体に触れると嫌がること等。丁寧にジュドーが説明してくれる。
でもそれは動揺しパニックになる私の耳には全く入ってこなかった。
ちょっと待って。普通、こういう場面だと睡眠薬とか自白剤になるんじゃないの?
なんでまた媚薬。それを選択し盛った人間が腹立たしい。私は悔しさに耐えきれずワナワナと拳を握った。
「今眠っているのは俺がさっき魔法をかけたからだ。でもいつもなら強い精神力のシオンにこの手の魔法は効かない。……今回はリリアナが傍にいるから気を許しているんだ」
眠らないと衝動が抑えられなくなって精神に限界がくるらしい。
シオンはすごく綺麗だし格好良いし頭も良い。シスターの指示かもしれないけど、きっとその人はどさくさに紛れて彼にいかがわしいことをしようとしたんだわ。
絶対に許せない。
「あー。それでな。……聞いてるか?リリアナ」
「!? は、はい」
一人で悶々と考えていたら一段と大きくなったジュドーの声が聞こえてきた。私はハッと顔をあげる。いけない。色々と妄想してしまった。
ジュドーが心配し私を気遣わしげに見ている。相当ショックを受けていると思ったのだろう。
「ごめん。リリアナみたいな年頃の娘に言うことじゃなかった。でも解毒薬さえ飲めば明日には治るから大丈夫だ」
安心するよう優しい言葉をかけてくれる彼に私は礼を言った。
シオンの屋敷に到着し眠り続ける彼をジュドーと使用人が寝室まで運んでくれる。そしてジュドーはシオンのお母様に状況を説明し、解毒薬を取りに魔術を使い姿を消した。
その間リュートは別室で休ませている。
私はお母様にシオンの傍についていたいと話し、今は彼が眠るベッドの近くに座っている。
本当は癒しの力を使いたい。でも突然媚薬の症状がなくなればジュドーに疑われるかもしれない。
それについては解毒薬を飲み落ち着いてから判断しようと思った。
「リリアナ、待たせたな」
「はい。あっジュドー様、早い」
突然どこからともなく声がしたと同時にジュドーが現れた。その手には小さな小瓶がある。あれが解毒薬なのだろう。
「今、眠りの術を解除して薬を飲ませる」
彼はシオンの上体をそっと起こし小瓶の中身を飲ませた。目が覚めた彼は火照った顔で「ここは?」とジュドーに聞いている。
彼は状況を説明し薬を飲んだからもう大丈夫だと伝えた。シオンは安心したように息を吐き再び横になる。
「薬を飲んだからもう眠りの術は必要ない。あとは時間が経つ毎に良くなるはずだ」
「ありがとうございます。ジュドー様」
さすが魔術師。まるで医師のような雰囲気の彼に私は頭をさげた。けれどジュドーは瞳を和らげ首を振る。
「いいんだ。むしろこれは俺が巻き込んだようなものだ。リリアナとシオン。二人のお陰でフィオナ達が救われた」
こちらこそありがとう、と彼が微笑む。
そうしてジュドーはリュートを馬車に乗せ自分の屋敷へ帰っていった。
残った私は今夜はシオンのお屋敷に泊まることになっている。これはあらかじめ決めていた事なので女子寮の外泊届も出してある。
薬を飲んだとはいえ、まだシオンの状態は相変わらずだ。汗をかいていたので湯で濡らした布で拭いてあげた。
シオンはぼうっとしているのかあまり反応がない。ただ触れるとビクッと体が固まった。
この姿だけみてると風邪をひいてるだけなんじゃないかと錯覚しそうになる。そんなふうに見守っていると。
「……リリアナ、」
「シオン。起きたのね。どうしたの」
不意に彼が名を呼んだ。空色の瞳が私を見ている。瞳は潤み頬はほんのり上気している。
うわぁ。色気駄々漏れ。
別次元の人間と化していた。
水が飲みたいのかと思い取ってこようとしたら、違うと止められる。
「具合悪いんでしょう。無理しないで寝てね」
「……その、もういいから。向こうの部屋に、行って」
シオンはたどたどしくそう言うとプイと向こうをむいてしまった。軽い拒否を感じる。怒っているわけではないようだが、放っておいてほしいらしい。
少しの既視感。子供の頃の彼を思い出す。懐かしい。そう思いながらそっと掛布をかけてあげた。
「シオンの体調が落ち着くまでここにいるわ。明日は私もお休みだし」
「俺のことは、かまわなくていいから。触らないで」
――触らないで。
その言葉、どこかで。小屋に行きシオンを助けた時にも耳にした台詞だ。あの時にはとっくに彼の具合は悪かったのだ。
我慢していたのね。
私は眉を寄せた。
「苦しい? シオン」
「ん。少し……って、え、リリアナ。バカ触るなやめろ」
シオンが慌てて私から離れようとする。
「違うの。今、治してあげるから」
癒しの力は手から出る。だから手を繋ごうとしただけ。ほんとにそれだけなのにシオンが物凄く真っ赤になって睨んできた。
「頼むからやめてくれ。ずっと必死に我慢してるのに。……君の傍にいるとおかしくなる。傷つけたくないんだ」
「シオン。すぐ終わるからちょっとだけ。お願い」
手を繋げば一瞬で終わる。そうすればすぐに薬の影響も消える。そう説得するとシオンはしばらく考えた後、仕方なくといった顔でおずおずと手を出してきた。
「ありがとうシオン」
「……早くね」
手に触れるとやはりまだ熱い。彼の手を握る。その際ピクリとシオンが体を揺らした気がした。私はそれにかまわず癒しの力を送る。
よし完了。心の中で頷き私は手をパッと離す。
「これでもう大丈夫なはず。気分はどう、シオン」
「…………」
反応がない。疲れて眠ってしまったのかな。
顔を見ようと覗き込むとシオンが突然起き上がった。まだ顔は赤い。でもその瞳は穏やか。怒ってるのかも知れないと心配になったが違うようだ。
シオンが瞬きする。長い睫毛が揺れた。
「治った。体も苦しくないし気分もとても良い」
「良かった。すごく心配したの」
癒しの力が効いてホッとする。胸を撫で下ろした瞬間シオンが私を引き寄せた。もう体はそんなに熱くない。
彼の唇が近づき私のそれに触れた。そこから僅かに残る微熱が伝わる。媚薬の影響はもうないはず。それなのにシオンの瞳は熱っぽく潤んでいる。
それからいつまでも離してくれないので「苦しいからもういい加減離れて」といったら「大丈夫、今は余裕あるから」と嬉しそうな顔をされてしまった。
その顔に私はまた見惚れてしまう。私は何も言えなくなってしまった。
もう少しだけね、と結局私はシオンの気が済むまでしばらく一緒に抱き合っていた。