第2話 エドワルド学園の特待生とシオンのお屋敷への訪問
もうすぐエドワルド学園では中間試験がある。私は図書室で勉強中だ。ここは個別席があり二人くらいなら並んで座ることができる。
隣にはシオン。
ゲーム上では彼はたしか生徒会役員だったはず。なのに現実では彼はそこに所属せず、学級長の役についている。
私は入学して初めての試験。シオンは自ら希望して私の勉強をみてくれている。けれど彼に見られているとなぜか落ち着かない。
しかも教科書やノートだけを確認してほしいのに、頬杖をついて流し目で私の顔をチラチラとみてくる。なまじ美形だから始末に負えない。
ああ、もう。気が散る。
「シオン、そんなに見ないで。集中できない」
「ああ、それはいけない」
悪戯っぽくシオンは笑う。わざとだと思った。
どうせ教えるならカールトンおじ様みたいにしてほしい。そう言ったら、シオンが困った顔をした。
「先生は一度言ったことはもう言わない。それじゃあすぐに終わってしまうじゃないか」
「え、私の時は優しく教えてくれたわよ」
そしてちゃんとできたら頭を撫でてくれた。
「それはリリアナが女の子だったからだ」
シオンが少しむくれたように言う。嫉妬している。そんなふうに思えて私はクスクス笑う。
きっとおじ様はシオンに期待していたのだ。なにせ彼は超優秀。一を教えれば二どころか十は理解する。神童のような少年だった。
じゃあ、と私はシオンの目の前に十数枚の紙をおく。彼の目がそれに留まった。
「? なんだこれは」
「問題です」
いわゆる脳トレクイズみたいなものを私は昨日作っておいたのだ。
例えば『パンはパンでも食べられないパンはなんでしょう』的なもの。あとマッチ棒動かして数字変える系と迷路系のも作った。
「…………」
シオンが興味をもったのか急に静かになる。それに集中しだしたのだ。
よし。その間に私は自分の勉強に集中する。
「できた」
「え?」
聞き間違いかもしれない。だってさっき問題を渡したばかりだ。けれどシオンは私にそれをみせてくる。
動揺しつつも答え合わせをすると全問正解だった。私の手が少し震えた。
「あってた?」
「……うん。シオンすごい」
何がすごいかというとその速さだ。五分とかからず解いた。昨日私がこれを考えたあの時間を返してほしい。
次は難解クロスワードパズルを作ってこようと心に決めた。
そうだ、と思い出したように私は彼の方を向いた。そして頭を撫でてあげる。
するとその空色の瞳が見開かれ端正な顔が真っ赤に染まった。
「よくできましたのご褒美」
「…………」
私は再び真剣な顔でノートに目を落とす。問題を解いているとシオンがボソッと何かを呟いた。
「足りない」
「え?」
何をいっているのか。そして彼は何を思ったのか突然私の方に鼻先を近づけてきた。
ここは図書室。いくら個別に壁があっても話し声は多少聞こえるし、何をしてるかわかるものだ。
私がそう言うとシオンが苦笑した。
「いや、誰もいないから平気だ」
え、と周囲を見渡すと本当に誰もいない。いつの間にかみんな帰ってしまったようだ。
嘘、もうそんな時間なの?
慌てて窓の外をみるとすでに陽が傾いてきている。シオンが私から離れ、瞳を和らげ立ち上がった。
「リリアナ、帰ろうか」
「うん」
二人で席を立つ。すると背後からふわっと抱きしめられた。私の頭の上にシオンのキスが落とされる。
「シオン、」
「……誰もいないしこれくらいなら良いだろう?」
ご褒美ほしいから、とシオンは満足そうな笑みを向けてきた。
私は何も言わずされるがままだ。
本当はわかっている。私もシオンもこうして二人一緒にいられる学園生活はあと一年もない。
だから私といる時間を彼がとても大切にしてくれていることは知ってる。
シオンはこれから少し学級長の仕事をしてから帰るらしく、私は学園敷地内にある寮なので図書室を出るとすぐに別れた。
寮に向かって廊下を歩き、音楽室の前を通る。
まだ施錠時間ではない。それならと一曲だけでも弾いてから帰ろうと思った。
私はピアノの前に座ると鍵盤に指をおく。
今日は童謡を微修正した曲だ。帰りたくなる旋律にしよう。
頬を緩ませて弾いていたら、誰かが扉を開ける気配がした。慌てて手をとめる。
振り向くと男子生徒がいた。私は「あ、」と思わず声を出す。その人はこの間、美術館でピアノを弾いていた奏者だったからだ。
彼も驚いている。どうしてここに、という表情だ。
「君、あの時の……。学生だったのか。あれ、でも奥様……」
「その、結婚予定はありますが、まだです」
前回のこともあるので私は慌てて立ち上がると音楽室を出た。学園内だし人の目もある。誤解されたくない。
「ところであの後、君、彼に怒られなかった?」
その人は心配そうな顔をして私に訊ねてきた。私は首を傾げる。
「……? 注意はされましたけど。他はなにもないですよ」
大丈夫だ、と答えると彼は安心したようにホッとする。
「だってあの時、彼すごい形相だったからさ。君、酷いことされてないかと思って」
どんな形相だったのか気になる。あの時私のいる位置からシオンの顔は見えなかった。
シオンは基本的に私には優しい。多少怒られることはあっても最後には許してくれるのだ。
「俺はジル。ジリアン・ドルチェ。二年生だ」
私も自分の名前を教える。これくらいならシオンも怒りはしないよね。
そうしてその人、ジルは去っていった。
◇◇◇
翌日、
私はシオンと一緒にラウンジでランチタイム中だ。
本当は目立ちたくないのだけど、シオンにどうしてもと押しきられた。なんでも周囲に自分達の関係をしっかりみせておきたいらしい。
私はサラダを口に運ぶ。しゃきしゃきレタスが美味しい。ここの食材はとても新鮮で好きだ。
昨日、美術館にいたピアノの奏者がここの二年生ジリアン・ドルチェだったことをシオンに伝える。
するとシオンは彼の名を知っているようで、うんと頷いた。
「その名は知っている。学園でも有名な生徒だ」
「そうなの?」
シオンが教えてくれる。
ジルは庶子の出だ。特別枠で入ったそうで彼には奨学金が支給されている。この学園には国の中で特別な技能をもつ若者に対してそういう制度があるらしい。
彼の場合はピアニストとしての技能だ。要はこの学園はさまざまな分野の人間国宝級の人材を育て上げたいのだ。
「じゃあどうしてドルチェ先輩は美術館で働いていたのかしら」
「奨学金だけでは心もとないから、休日は小金を稼いでいるのかもな」
学園を卒業すれば働くのには困らないらしい。王宮楽団、貴族の専属奏者など。引く手あまただそうだ。
「何かに秀でているってすごいのね」
「そうだな」
私はチラリとシオンの整った横顔をみる。彼だってそうだ。とにかく頭が良いし顔も良いしさらに優しい。万が一公爵令息でなかったとしても、この人なら特待生として学園にいそうだ。
所詮モブの私には趣味程度のピアノてとこかな。
「それはそうとリリアナ」
「はい」
シオンが目を伏せ紅茶のカップを置く。長い睫毛が揺れた。すごく綺麗。
スチルとして保存しておきたい思いにとらわれる。
「あまり必要以上に彼に近づかないでね」
「…………」
私は沈黙する。そうはいってもピアノは弾きたい。私の女子寮にはないし。
「弾くときは俺がいる時か、一人で。それか女子の友達のいる時。……わかった?」
念を押される。とにかくジルや他の男子生徒のいるところでは弾くなと言われた。
「俺の屋敷にもピアノがあるから週末遊びにおいで。弾かせてあげる」
「本当?」
「ああ。もちろん泊まっても良いし。あと母もリリアナにとても会いたがっていたよ」
「……!」
シオンの屋敷へはまだ行ったことがない。
未知なる地に足を踏み入れる感覚。興奮する。
これはゲームにもなかったこと。このところ特にシオンと婚約してからというもの、未体験のことばかり。
モブの私はこんな展開あっていいものかと日々落ち着かない。
けれどよくよく考えてみれば、そのうち私の両親も交えて顔合わせしなければならないのよね。
やっぱりこれは現実だ。
◇◇◇
約束の週末がやって来た。
シオンが馬車で私の寮まで迎えにきてくれる。彼だって忙しいはずなのにいつも私のために時間を割いてくれる。
本当に頭が上がらない。
「ありがとうシオン。帰りは一人で帰るから大丈夫よ」
「いいんだ。こんなふうにリリアナといる時間が俺にとってはとても幸せなんだ」
ゲームでいう好感度MAXの台詞で返され、心の中で悶絶する。錯覚しそうになるがこれは現実だ。
そんなふうに言ってくれて嬉しい。
けれどと私はシオンをみる。
「無理はしないでね。シオンはなんでも器用だけど人間なんだから。もっと私に弱音とか悩みとか言っていいのよ」
「わかった」
私の手を握ってシオンが嬉しそうにみてくる。
ありがとう、とおでこに軽くキスされた。途端に私の頬が赤く染まる。
「もう、シオンたら――」
「さしずめ俺の悩みはリリアナがちゃんと恋をしているか、いつも不安なことだ」
「えっ?」
「脇目も振らずに俺をみているか。他の男に夢中になっていないか。あげればキリがない」
シオンをみると苦笑している。からかっているのか。けれどその言葉と表情に少しの違和感を感じた。
「私、シオンに恋しているわ。……その、まだ未熟かもしれないけど。きっとあなたの気持ちに追いつくから」
ああ、とシオンは優しげに目を細める。
「待ってる」
私も彼の手を握り返す。
そうして馬車はシオンの屋敷についた。
馬車を降りるとはじめに目についたのは大きな庭園があること。王都内にここまでの規模のものは珍しい。
私は目を輝かせた。
「とても素敵な庭園ね」
「昔から住んでるから土地だけは広いんだ。管理に困るけどね」
手をひかれるまま、シオンのあとをついていく。大きな玄関に足を踏み入れると使用人頭を筆頭にズラリと並び「お帰りなさいませ」と一斉に声をかけてくる。
辺境にある私の屋敷とは全然違う。その迫力に思わず圧倒されてしまった。
「お待ちしておりました。リリアナ様」
執事らしき壮年の男性が深々と礼をする。私も彼に礼をした。彼らはなぜか嬉しそうにしている。
「リリアナ、おいで。母が待ってる」
シオンのお父様は今日も仕事だそう。やはり宰相様は忙しいのだ。
応接間にいくと美しい薄紫色の髪の婦人がいた。瞳は空色だ。
「なんて可愛らしい。早く会いたくて待っていたのよ。リリアナさん」
「初めまして。リリアナ・メロゥと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
私は挨拶し礼儀正しくカーテシーをする。可もなく不可もなくの容姿のモブなので、超美人に可愛いといわれ身が縮む思いだ。
お母様は感激しているのか、両手を握ってくる。
「母上、リリアナと話したいのもわかるけれど、彼女を借りてもいいだろうか。屋敷を案内したいんだ」
「ふふ、もちろん良いわよ。ゆっくりしていらっしゃいな」
ふわりと笑って見送られる。私の中でシオンのお母様はもっとバリキャリの女主人というイメージだったのだけど、ちょっと違うようだ。
シオンに手をひかれ屋敷内を案内してもらう。
部屋がいくつもある。広さも私の屋敷の何倍もある感じだ。
「シオンのお屋敷はとても広いのね。迷ってしまいそう」
「部屋だけは多いんだ。ほとんど使っていないけどね。リリアナがもし泊まるとしたら……ここだ」
ふいにシオンがある部屋の扉を開けた。
その部屋には可愛らしいカーテン、寝具。花柄クッション。女性が好むような意匠の棚や化粧台があった。しかも全体的にピンクが基調だ。
これはすごい。違う意味で圧倒された。
「……母上の趣味なんだ。娘がいたらこんなふうにしたかったらしくて。もし嫌だったら変えさせるから遠慮なく言ってほしい」
「大丈夫よ。私、ピンク好きだから」
これまでピンクはなんとなくヒロインカラーだから気がひけていたのだけど、家の中なら目立たない。大丈夫。
「あとこの部屋はちょっと面白いんだ。見てごらん」
「……?」
シオンが指差す先にもう一つ扉がある。そこを開けると部屋が現れた。
同じようにベッドや家具がある。ただし色はシックなものでまとめられている。
「ここって……」
「俺の部屋だ」
えっ、と私はシオンを見上げた。
ということはつまり、シオンの部屋と私の泊まる部屋は扉一つ隔てた続き部屋になっているのね。
これで何かあってもすぐ駆けつけられる、とシオンは満足そうに頷いている。
私は恐れおののいた。
今日は泊まる予定はないけれど、今後はわからない。部屋が隣同士しかも繋がっているなんて。
無理。
まだ今の私にはハードルが高すぎる。
「シオン、今日は泊まる予定はないし。お泊まりセットも用意してないから無理だから。行きましょう」
「何いってるんだ。泊まるときは準備なんていらないよ。大体この屋敷に必要なものは揃っているから」
なければ買ってこさせるし、とシオンはにっこり微笑んだ。
やっぱりシオンは私の反応をみて楽しんでいる。これはたまにみせる彼の嗜好だ。
私が固まっているとシオンが肩を揺らし始める。笑いをこらえているのだ。
「もうっ、シオンたら――」
「からかってはいないよ。泊まってほしいのは本当だから。でも今日はやめておく。リリアナの気持ち、大事にしたいから」
「シオン、」
意外にもあっさりと彼は部屋を出る。私はその彼の背中をついていった。
やっぱりシオンは優しいなと思う。
屋敷内を一通りみてまわり応接間に戻ってくると、ピアノが用意されていた。
そう、今日の目的はこれだった。
すぐにシオンがたくさんの楽譜を持ってきてくれる。せっかくなので彼の要望も聞いて曲を選んでいく。
私がピアノを弾き始めるとシオンやお母様、使用人の人達もやってきて聞き入ってくれた。
弾き終わると拍手に包まれる。
「シオンのいう通り、リリアナさんはとてもピアノが上手なのね。私のお友達にもぜひ聞かせてあげたいわ。今度あなたをお茶会に呼んでもいいかしら?」
「母上、」
ムスッと面白くなさそうな顔をしてシオンがお母様をみる。すると彼女はクスクスと笑った。
「まったくあなたは。私達でリリアナさんを独り占めするのが嫌なのね。それならあなたも参加したら良いじゃない」
「……わかりました。ですがリリアナに聞かないと」
私は大丈夫です、と微笑む。
シオンとお母様とで時間の合う時にお茶会をしましょうと約束する。
そろそろ帰る時間だ。シオンがまた馬車で送ってくれた。
「リリアナ今日は疲れたろう?」
「ううん、楽しかったわ。シオンのお母様も素敵な方だったし。でもお父様にご挨拶できなかったのは残念ね」
「ああ、父はいつも忙しいからな。それでも夜遅くになっても宿舎に泊まらず必ず帰宅するんだ。そして母も必ず出迎えている。俺からみてもあの二人は仲が良い夫婦だと思う」
私はシオンの空色の瞳を見つめて笑った。
「それなら私達ももっともっと仲良くなりましょうね」
「ああ、」
私達はお互いの鼻先を近づけその唇を重ね合わせた。
お読みくださりありがとうございました。