第16話 変装とジルとの演奏会とシオンの嫉妬
学園には化粧室が各階に併設されている。かなり広く着替えもできるように作られているので助かる。
これでよし、と。
私はシオンから借りた服を着ると上からマントを羽織った。見えないように体を覆う。
これは化粧室にいる女生徒達を驚かせないためだ。今の私の姿を勘違いしてしまう者もいるだろう。
化粧室を出て廊下のすみに隠れマントを脱ぐ。鞄にしまっていると背後から声が落ちてきた。
「リリアナ、」
「ひゃ、」
突然名前を呼ばれて振り向くとシオンの姿がそこにあった。
「ち、違います。わた、いえ僕はリルです」
ジルと一緒に演奏するからリルにした。我ながら安直なネーミングに辟易するも思いつく名がなかったから仕方ない。
「…………」
「もう、」
シオンは肩を揺らして笑いをこらえている。心配して様子を見にきてくれたのだろうがちょっと失礼だ。私の格好そんなにおかしいかな。
今の私の姿は男子生徒そのもの。
シオンの一年生時の制服を借りたのだ。長い茶の髪はまとめてカツラにおさめている。私は自分の服装をみる。
「でもシオンの制服だから私にはやっぱり大きいみたい。袖も余ってるし裾も長い」
二年前の彼は私より少し背が高い程度だった。なのに実際こんなに違うと思わなかった。
大きいので肩幅も違う。襟もゆるいし。
「リル。首のボタンはしっかり閉めて。肌は見せてはいけない」
即席で決めた名をシオンは呼んでくれる。そして注意した箇所を手際よく直してくれた。整った顔が間近に迫る。制服からもかすかに良い香りがした。
私は不覚にもドキドキしてしまう。
「あ、ありがとうシオン。行ってきます」
「ああ。頑張って」
私はシオンに礼をいい、会場に向かった。
会場に到着するとジル達特待生が楽器の確認をしたり音合わせをしていた。
「ジル先輩お待たせしました」
「……え。あっ、リリア――」
「リルです。前にも言ったでしょう。目立ちたくないのでこの格好で来ました」
ジルや演奏に参加する特待生には私がこうして変装することは事前に伝えてある。実際彼らも演奏用のドレスや礼服を着ているので何年生かわからない。
「あらでもリルちゃん。制服だと逆に目立ってしまうかもしれないわ」
「先輩……」
ドレス姿の女性がやってきて私の姿を上から下まで眺める。この人は声楽の特待生。ここにいる人達は事前の練習に参加した時からの顔なじみ。
たしかにそう。私もこの会場に入った時そう思った。
それを聞いていたジルが女性に言う。
「それなら俺もリルと一緒に制服にするよ。二人なら違和感ないだろう?」
「そうね。それなら良さそう。二人ともこれをさしておくと良いわ。きっと似合う」
ふふと女性は微笑み近くに飾られていた赤いバラを一本手に取る。そして私の胸ポケットにさした。
同じように赤いバラをジルにも手渡す。
「ジル先輩すみません。せっかくの礼服姿なのに……」
「気にしなくていいよ。服なんかどうでもいい。それよりリルと一緒に皆の前で演奏してみたかったんだ」
なんだか今日のジルはとても嬉しそう。私もわずかだけど手伝うことができて良かった。
ジルが制服に着替えて会場に戻ってくる。その胸にはバラがあった。私とジルは頷き配置についた。
司会の声が響く。演奏会が始まった。
演奏はピアノを含めた五重奏。合間にそれぞれソロを挟みながら演奏する。私の出番はまだなので舞台袖で彼らを見守った。
そろそろ私の番がくる。少し早めにジルの隣に座る。ここからは彼が作った曲を披露する。
やはり彼の軽快な指使いはいつみてもうっとりする。音も繊細で優しい。曲の情景が浮かび上がるようだ。
私も隣で鍵盤に指をおく。連弾が始まる。
こんなに大勢の生徒がいる前で弾くのは初めてだ。けれど今日は変装しているせいか不思議と人の目が気にならない。
きっとこの中にシオンの姿もある。聴いていてくれるなら嬉しい。精一杯届けようと思った。
あっという間に演奏が終わる。
ワッと拍手がわき起こる。用意したアンコールの曲をいくつか演奏し私は幕下にさがった。
「リルちゃんとても良かったわ」
「ありがとうございます。でも私より皆さんの方が本当に素晴らしかったです。感動しました」
声楽の女性や特待生達が演奏を褒めてくれる。私も皆の演奏のすごさを興奮して語った。
弦楽器を合わせて奏でる。私のような学生一人ではできないことだ。
それこそ吹奏楽部でもあれば別なのだけど。残念ながらこの学園にそんなものはない。
「あと演奏を聴きに来た生徒達の間であなたのことが話題になってるみたいよ。あの可愛らしい男の子は誰だろうって」
「えっ?」
私はジルの後輩と言っておいたわ、と女性はふふと笑った。
話題。まぁたまたま特待生の中に見たことのない生徒が混じっていたからそう思ったのだろう。
私は特に気にしなかった。
「無事に演奏会成功して良かったです。私は自分の所の片付けがあるので失礼しますね」
「リリア……いやリルも忙しいな。でも今日は助かったよ。今度何かお礼をさせて」
私は彼ににっこり笑った。
「私もすごく楽しかったです。今度シオンも一緒に皆でお茶でもしましょうね」
ジルはなぜか困ったように笑って「そうだね。楽しみにしてる」と返してきた。
私は彼らと分かれ会場をあとにした。
廊下を進み中庭を横切っていくと生徒達が何人か集まっていた。みんな男子生徒だ。彼らはこちらを見ている。
私はそこを避けていく。けれどなぜか彼らに阻まれる。え、と思った瞬間、壁際に押しつけられた。
「お前、名前は?どこの組だ。一年生で見たことないぞ」
意地悪そうな笑みだ。私をジロジロみてくる。
「あ、あの……僕は」
突然のことに私はしどろもどろだ。
今、私は指輪をつけている。この人達に自分の姿は見えている。だから私に危害を加えるつもりはないはず。
でもどうしてこんな態度なのだろう。
どう応じていいかわからない。怖い。動揺し瞳も潤みはじめてきた。
「あ、お前泣きそうになってるな」
「あれ、よく見るとなんか可愛いのな。男のくせに」
生徒の一人が私の顔をのぞきこんでニヤニヤしている。
「わかった。これでタウンゼント次期侯爵をたぶらかしたんだ」
この言われよう。そして普段の私より男子姿の方が魅力があることに軽くショックを受けた。
「そうだ。タウンゼントは元々は庶子の出だったはずだ。あの侯爵の息子だし。特待生として入ったのだって一体どんな手を使ったのやら」
当初ジルは庶子の出で、特待生として学園に入った。たしかに今もその待遇だが奨学金は返上している。そして特例でピアノの特待生ももう一人枠を増やした。
だがまだ一向に入学する者はいない。それは学園が認める技能をもつ人材が見つからないためだ。
「ジル先輩の特待生という身分は自分の力で得たものです。なにせ当時は庶子でしたし」
「お前、知ったふうな口をきくな。ああそうかもしかしてお前も庶民なんだろう。あんななんの身分もない奴らの演奏会にいたんだからな!」
身分もない。たしかにそうかも知れないが少なくともこの生徒達よりは音楽や芸術に対する能力は遥かに上だ。
これ以上は言ってはいけない。そう思ったがおさえられなかった。私は彼らを見据える。
「あなた達はあの音を。あの旋律を聴いて本当になんとも思わなかったんですか?彼らは言葉や理性で解決できない問題を、あの美しい音色で人々の心を揺さぶり繋げることができるんです」
彼らは至宝だ。なぜなら彼らの表現するものは全てこの国の価値観や文化的レベルを現す。我々が体現できないことを彼らはこの国及び他国でおこなってくれるのだ。
エドワルド学園はただの気まぐれや道楽で特待生制度を設けているわけではない。
そういう意味では私達もこの学園に試されているといえるだろう。だから他愛ない行事の出席率もどこかで把握されてるのではと思う。
「いくら身分があって勉強ができても情緒が理解できない人間はいずれ身の破滅を呼びます」
もしそうなら今から矯正した方がいいです、と私は言った。
目の前で男子生徒の代表めいた赤茶髪の子がわなわなと震えだした。何も言い返せないのが悔しいらしい。唇も噛んでいる。
そして突然私の胸ぐらを掴もうとした。
「お前、俺を誰だと――」
「リル。どうした」
横から誰かの腕が伸び、赤茶髪の生徒の手を阻んだ。
この手はシオンだ。
生徒達は彼が現れたことに動揺している。そしてあっという間にパラパラといなくなった。
あとに残された生徒はシオンの顔を見るなり真っ青になり震え上がった。
「リ、リュミエール先輩。これは、その……」
「今回は見逃す。早く立ち去れ」
声がいつもより低くなっている。私から見えない角度だけどこれは相当怒っている。
赤茶髪の生徒は去り際、私に複雑そうな顔を向け去っていった。
そして辺りは静かになる。私とシオン以外誰もいない。彼もまた沈黙している。
「その、シオン。ありがとう」
「…………」
おずおずと礼をいう。だが彼はそれには答えず無言で鞄からマントを出す。そして私の頭から体をすっぽり覆い抱えあげた。
「わ、ちょっ。やだやだ重いからおろして」
「……うるさい。本当なら今すぐ連れて帰りたい。でも今年最後の学園祭だから」
君と一緒に過ごしたい、と彼は言った。
その言葉に私は大人しくなった。
「ごめんなさい」
「その言葉はあとで聞く。化粧室に行くから元の服に着替えるんだ」
私は素直にうなずいて化粧室に行き元の制服に着替えた。赤いバラは勿体ないので鞄の隙間にさしておく。
もう片付けの時間はとっくに過ぎている。このままダンス会場に行った方がいい。シオンが壁際に寄りかかり待っていてくれた。
「シオン。お待たせしました」
「ん、」
そして彼は私にバラを差し出してきた。私が持っているのと同じ色。これはもう持っていると言うとシオンが眉をよせた。
「リリアナ。あれは他の男のものと一緒だろう。そんなものを身につけさせるほど俺は優しくない。これと交換して」
「シオン、」
すごく真剣な顔。演奏会の時彼は見ていたのだ。私とジルだけが同じ色のバラをつけていたことを。
私は鞄からバラを抜き彼に渡す。するとシオンの表情が和らいだ。私は小さく笑う。
「ふふ、シオンてばやきもち妬いてるみたいね」
「妬いている。ジルにもそしてさっきの男にも」
真っ直ぐな彼の言葉に私の頬は手の中のバラのように染まる。
私はシオンから受け取ったバラを鞄にさし直す。そうだ、と先程疑問に思っていたことを口にした。
あの時、男子生徒達に絡まれたとき指輪をしていたのにどうして私の姿が彼らに見えたのか。ずっと気になっていた。
この指輪、壊れてるとか?
「……いや、それは。君に危害を加えるつもりはなかったからだ」
「え、でも」
「リリアナ。あいつらのことはもう気にしなくていい。ただの虫。ハエ以下だ」
すごい言いよう。そしてなぜか微妙に目を逸らすシオンに私は首をかしげた。