(5)
――ユリア、喜ぶかな。
馬車の中、ローレンは視察先で見つけた野葡萄の苗を大事に抱えていた。
御忍び用のローレンの馬車がコルネール家に着くと、ユリアが駆け寄ってきた。
婚約してから3か月が過ぎようとしていた。
ローレンは、信頼する侍従たちや王妃に「私とユリアほど気の合う夫婦はいない」などと言って生暖かい目で見られている。
本人は惚気ている自覚はなく、単に真実を言っているだけだと思っているため始末が悪い。
「レン様、いらっしゃい!」
「ユリア! 1週間ぶり。
会いたかった」
「視察、お疲れ様です……これは?」
ユリアはローレンの手にした包みに気付いた。
「アグラス領の山で見つけた野葡萄の苗だよ」
「アグラス領? ずいぶん、北の山ですね」
「ああ、冬は雪がひどいらしい。
これはね、昔は、地元で酒に加工していたそうだ」
「野葡萄のお酒ですか」
「あまり甘くない酒になったらしいよ、香りは素晴らしかったそうだ。
ただ、もうずいぶん前から作るひとは途絶えて、酒を造る知識も残ってないと言われたよ」
「まぁ……」
ユリアはローレンの運んできた苗を見た。
青紫色の果実がついている。
ユリアは「青紫色……」と呟きながら、苗に手を伸ばして実に触れた。
「ユリアは、青い小さい果実が好きだよね」
「覚えてくださってた?」
「もちろん」
ローレンの微笑みに、ユリアは胸がきゅんとした。
「あ、ありがとう、レン様」
なぜか頬が火照った。
――私、どうしちゃったんだろ……。
思わず頬に手を当てた。
ローレンは、苗木をそっと下に置くと、ユリアを抱きしめた。
「レン様?」
ユリアが火照った顔のままローレンを見上げると、目の前に美しい王子の顔があった。
――あ、これ……。キス?
優しいキスは、すぐに終わってしまった。
動揺して、目を閉じることもできなかった。
「ごめん。
つい……。ユリアが可愛すぎた」
いつも大人びて落ち着き払っているローレンが、頬を朱に染めている。
「え……」
「嫌じゃ、なかった、かな?」
ユリアの手をそっと握り、不安そうに尋ねられた。
「い、嫌じゃ、ない、です。
あの、びっくりしちゃって……」
ユリアは、手を握られたまま俯いた。
「すごく、好きだよ、ユリア」
「レン様……。
私も……、好き、です」
「良かった」
ローレンにまた抱きしめられた。
さすがのユリアも悟った。
一目惚れというのは、本気だったらしい、と。
ユリアも、優しくて聡明なローレンに惹かれていた。
だから、嬉しかったが、なぜか、デブ専……と言う謎の言葉が頭に浮かんだ。
◇◇◇
――はぁー……。
もう何度目のため息だろうか。
ユリアは窓から王城の方を眺めていた。
ふたりが婚約して半年が過ぎていた。
今日は、ローレンの16歳の誕生日だった。
マリアデア王国では、16歳が成人だ。
貴族や王族は、結婚や就職は、少なくとも学園高等部を卒業してからなので、実質的には16歳で独り立ちとはならない。
とは言え、お祝いの宴は開かれる。
王宮では、第一王子の成人だというのに、小規模なパーティが開かれている。
国王と第二妃に難癖をつけられた結果らしい。
南部で大雨による災害があったり、大神官が亡くなられたりしたので、「祝いの宴を開くとは何事だ!」と騒がれたという。
――大雨の事故は2か月は前だし、そう大きい事故ではなかったわ。確かに、おひとり亡くなられたのは不幸だったけど。ずっと病床だった大神官は、亡くなられて3か月は経ってるし。
要するに、ただの言いがかりよね。
リグラス王子のときには、きっと、なにがあっても大宴会開くくせに。
もしもローレンの成人祝いが大きなパーティだったら、ユリアも紛れ込むようにして参加できただろう。
父の立場なら招待されただろうし、ユリアはくっついていく計画を立てていた。
でも、内輪の宴になってしまい、行けない。
国王は、ローレンにごり押しするための婚約候補を用意しているという。没落間近で低い家格の家の令嬢や、行き遅れて10歳年上だったり、評判のよろしくない令嬢などを候補として招いているらしい。
――はぁ…………。
ユリアはなにも手に付かず、テラス窓から外を眺める。
――あれ? 馬車?
小さめの馬車だ。ローレンの御忍び用の馬車くらいの大きさだ。
だが、ローレンは、まだまだパーティ中のはずだ。
ユリアが「なんの馬車?」と考え込んでいるとドアがノックされた。
「はい?」
返事をすると侍女がそっとドアを開けた。
「お嬢様、お客様です」
「お客様?」
侍女の脇をすり抜けるようにして姿を現したのはローレンだった。
「レン様! でも、パーティは?
影武者?」
「ぷっ」
ローレンは思わず吹いた。
「そんなわけない。
私の影武者なんか居ないよ、ユリア」
ソファを勧めて並んで座ったが、ローレンはまだ笑っている。
侍女がすぐに茶をいれてくれた。
「でも、パーティは?」
「なんだか、私のパーティではなくなってしまってね。
いろいろ、不愉快だし、いる意味がないから抜け出してきた。
きっと、気付いていないよ」
「えー、まさか」
「小規模宴会と聞いていたんだが、中規模くらいになっていたよ。
私が知らない連中ばかりが招かれていた。
さんざん、難癖つけられた時点で、母は招待客を選ぶのを諦めたんだ。
それで、イレーヌ妃や国王の好きにさせたら、もう、私の成人の祝いという感じではなくなってた。
陛下たちは、私の祝いの予算で楽しく飲み食いしようと決めてたらしい。
一応、私が主役のはずだったんだが、宴の挨拶は父しかしなかった。
しかも、『良い酒を用意してある。今日は無礼講だ』とか。どこに成人の祝いの言葉が入ってるんだろうっていう代物だった。
私の婚約候補が集められていたんだけど、みな、母が激怒するような令嬢ばかりでね。
でも、容姿的にはリグラスが気に入る子もいたらしくて。
リグラスに群がってたし。
最初のダンスは、リグラスと私の婚約候補らしき令嬢が踊っていたよ。
私は、こっそり庭園に逃げたんだが、誰も探していなかったし、しばらくして、母の侍女が『お逃げになるならこちらです』と抜け出させてくれた」
ユリアは呆気に取られて暴露話を聞いた。
「あんまりだわ。
レン様の成人の祝いなのに」
「あれはあれで、飛びぬけてて面白かったよ。
何年もしたら傑作な笑い話になるよ」
ローレンはハハハと笑い、
「それに、ユリアに会いに来られたし」
と微笑みながらユリアの髪にキスをした。
ユリアは、ローレンに流れるような仕草で髪を掬われてドキリと鼓動が跳ねた。
寝る支度をしていたので部屋着姿だ。上にガウンを羽織っているので恥ずかしくはない。髪はゆるやかに垂らしていた。
「あ、そういえば、私も、レン様が会いにきてくれて良いことがあったわ」
ユリアはいきなり立ち上がると、クローゼットから包みを取り出してきた。
「あ、あの、私が作りましたの」
ユリアが差し出した包みをローレンは受け取った。
「なんだろう?
開けてもいい?」
「もちろんです」
包みを開けると深い藍色の薄手のマフラーが出てきた。
ローレンはマフラーを手に取って、その柔らかさと滑らかさに目を見開いた。
「上品な藍色だね。藤色がかっていて。
それに、すごく肌触りがいい。
絹? こんな上等のマフラーを作れるなんて。
ユリアは器用だ。玄人の腕前だね。
機織りで?」
「ええ、そうです、機織り機で。
藍華という蔓草で、領地の山で採れるの。繊維を取り出して糸にすると、絹に似た光沢で、柔らかくて、上等の布が織れるわ。
絹よりも肌触りと滑らかさが長持ちするの。
まだ全然量産できる状態ではないから、売り出せないけど。
きれいに織ろうと思って。それで、時間がすごくかかってしまって。
お誕生日の前には間に合わなかったの。
今日、やっと仕上げて。
包みは、もっと凝るつもりだったのに。
でも、お誕生日のうちにお渡しできたわ」
「ありがとう、ユリア。
めちゃくちゃな日だったけど、でも、これでなにもかも帳消しにして最高のお祝いになったよ」
それからコルネール家でささやかな宴の続きをした。
母は用意してあった贈り物を渡した。革のブックカバーだ。
父も遅くなり帰ってきて度数の低い果実酒を出した。
「まぁ、成人したてには丁度良いものですよ」
と乾杯をしようとグラスを用意させた。
「ありがとうございます。
今日の宴では、令嬢を酔い潰れさせるための酒として有名な蒸留酒のカクテルしかなくて」
「「「は?」」」
父母兄が、同時に声をあげた。
「まさか?」
フェルナン・コルネールが眉をひそめた。
「テーブルの支度をしていた侍女が、こっそり教えてくれましたよ。
『爆酒入りのカクテルしかこのテーブルにはございませんから、お気を付けください』と」
ローレンは肩をすくめた。
「なんてこった、さすが陛下だ」
コルネール公爵は力なく笑った。
「まぁ!
笑いごとではありませんわ!」
ソフィアが怒った。
マリアデア王国では、16歳で成人すれば、法的には酒を飲める。
だが、16歳から18歳までの成人したてのころは、ごく度数の低いいわゆる「子供用」果実酒しか許されない。
それが、マリアデアの常識というか、慣習だ。
だから侍女は、気を遣って王子に伝えたのだろう。
皆でローレンの成人を祝って乾杯をした。
ローレンは「子供用」果実酒で、コルネール公爵夫妻とセオドアはふつうの果実酒で、ユリアはジュースで。ローレンにとっては、乾杯のやり直しだ。
ローレンは「母が羨ましがりそうだ」と言いながら楽しく過ごした。
それから……。
ユリアのため息が増えた。
ユリアは、密かに気に病んでいた。
――レン様は、婚約候補をごり押しされてるのよね。
しかも、私を豚と罵った第二王子殿下に気に入られるくらい美人な令嬢……。
ユリアは「醜い」「生きている資格はない」とまで言われたというのに。
ユリアは遅まきながらダイエットを決意した。
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