(4)
3日後。
今日は朝からコルネール家は慌ただしかった。
昨日、ローレン殿下から「婚約者殿と親交を深めたい」と訪問の先触れが来た。
ユリアは綺麗な服に着替えさせられた。
公爵令嬢ならいつでも綺麗なワンピースくらい着ているものらしいが、ユリアは違う。
いつでも庭の畑で座り込めるように、洗濯が簡単な綿か麻のブラウスとスカートという格好だ。あるいは、ズボンか。領地の畑ではたいがいズボンを穿いているが、王都の別邸では母が嘆くのでスカートの方が多い。
コルネール家の侍女たちもよほどの新人以外は「うちのお嬢様はこれが平常運転」と心得ている。
殿下にはそんな姿は見せられないらしい。
ユリアとしては、ありのままの姿もそのうち見てもらわないと、後で悔やまれても困るのだが、まさか婚約3日後に正体を暴露する必要もないだろう。
ユリアはローレンを庭に案内した。
ローレンに「ユリアが作った畑が見たい」と言われたからだ。
王子殿下が小さな畑を見たいだなんて、物好きだなと思いながらも、他に案内するようなところも思いつかないので裏庭にお連れする。
――デートの定番には植物園や庭園もよくあるらしいから、私の畑をお見せするのもアリよね。
ユリアは知らなかった。
植物園や庭園は、季節の花が咲き乱れるロマンチックな中でデートするもので、野菜畑とは違うことを。
「ここですわ」
ユリアは、大事な宝物を婚約者に見せた。
「ここが……」
ローレンが想像していたものとは少し……いや、だいぶ違っていた。
ローレンはきっと煉瓦で囲われた整然とした畑に果菜や葉物野菜がすくすく育ってるんだろう、と思っていた。
けれど、目の前の畑は、少々、整然とは違っていた。
きれいな芝生の真ん中に、ユリアの畑はあった。
低い木の柵でぐるりと囲まれた中は、雑草がそこかしこに生えていた。
畑は幾つかのエリアに分かれ、それぞれに、葉物野菜、果菜、根菜、豆類、瓜類などが元気に実をつけ葉を茂らせていた。雑草も生えているが、作物は雑草に負けないワイルドさで雄々しく育っている。
「美味しそうでしょう」
ユリアが自慢げに畑に手を差し伸べる。
「……そうだね。なんか、野性的な畑だね」
「あの草むらの影には、大鉢で小さな池を作ってあるの。
カエルが住み着いてて、カエルたちは害虫を食べてくれるから。
私の畑の衛兵たち。
あ、ほら、あそこに」
ユリアが指し示すほうに緑色のカエルがぴょんとはねている。
「へ、へぇ」
ローレンはふつうの令嬢にとっては両生類は天敵では? と思いながら、でも畑にとっては確かに衛兵だろうと納得する。
「味方の敵は敵」と考えるとふつうの令嬢は畑の敵かもしれない。
「カエルたちだけでなく、トカゲも衛兵で、私の畑には衛兵がたくさんいるわ。
それから、完熟した肥料をあげるようにしてるんです。
まだ未熟な肥料は、虫を呼んでしまうから。
よく年数をかけて発酵がすっかり済んだ肥料は、作物のご馳走なの。
あ……」
ユリアはなにか見つけたのか、ワンピースの裾をたくし上げると低い柵をまたいで畑に入る。
ローレンはユリアのきれいな足は見なかったフリをした。
「どうしたんだい?」
ローレンも柵を超えてユリアのそばに屈んだ。
「香草が生えてたの。
今年は撒いてなかったのに。
去年のこぼれ種が芽を出したんだわ」
「こぼれ種?」
「去年、育った香草が種をつけて、それがこぼれていたの。
冬の間、畑で寝ていた種から出た芽は、とても力強いの。
きっと大きく育つわ」
「へぇ、楽しみだね」
「美味しい香草が採れたら、お茶をご馳走するわ。
この香草は、魔草ほどではないですが、光属性の魔力を少し含んでて。
生命力を高めて疲れを癒す効能があって……」
と話す途中で、ユリアはふいに押し黙った。
「どうしたの?」
ローレンは不思議に思い尋ねた。
「私ばかり、自分の好きなことを喋って、申し訳ないと思って」
ユリアは気まずく俯いた。
畑のことを母や侍女に話すと、あくびを堪えているのがあからさまだった。
母たちと違って、父は、案外、話を聞いてくれたが、領地のためにあれこれやっているのは良いことだと思って居たのかもしれない。
だが、王子がそんな土仕事の話に興味を持つはずがない。
「私も楽しんでいるよ。
ユリア、気にせず話してほしいな。
こういう作物や畑のことは、国の基本だろう。
私も興味があるよ」
「そうですか?
基本……とは思いますけど、基本すぎて、王子殿下にはあまり関係ないのでは……。
国の中枢の方は、もっと高いところから指示を出すものですよね?」
ユリアは首を傾げた。
「ユリアは、本当に聡明だね。
話してて楽しいよ。
でも、上の方ばかりにいて、基本を知らないなんて、愚かだと思うな。
それに、ある分野で秀でているひとの話というのは、色々と深い含蓄があってためになるよ。
だから、もし興味の薄い分野でも、才能のあるひとの話は貴重だ」
ユリアは、ローレンの言葉を聞いて、しょんぼりと俯いた。
「私、自分の好きな分野ばかりに夢中でしたわ。
ホント、視野が狭くて」
ユリアはスカートのすそを握って、落ち込んでいる。
ローレンは慌ててユリアの手に触れた。
「ユリア、そんな悲しそうにしないで。
ユリアはまだ14歳じゃないか」
「ローレン殿下もひとつしか違わないわ」
「私は、あまり良い環境にいないからね。
どうしても、スレてしまうんだ。
駆け足で大人ぶる必要があっただけだよ」
「あ……」
ユリアは、ローレンの立場が難しいことを知っていた。
父から聞かされたのだ。
「ハハ。
そんな顔をしないで。
私のそばに居るときは、ユリアは、自分の好きなことに夢中なユリアでいてくれていいからね。
その方が楽しいから。
畑の話も、領地の品種改良とかも、どんどん話して」
「……殿下が、本当によろしければ……」
「いいよ。
それから、殿下とは呼ばないで。
婚約者なんだから。
レンって呼んで」
「……レン様?」
ユリアが照れながらそう呼びかけると、ローレンは花が綻ぶように嬉しそうな笑みを浮かべた。
その笑顔がとても綺麗で、ユリアの胸がドキリと高鳴った。
ローレンは、度々、コルネール家を訪れるようになった。
ユリアを喜ばせようと、珍しい苗や種を持ってきてくれた。
ユリアが畑のことや品種改良のことを話すのを、熱心に聞いてくれた。
ユリアが絆されるのに時間はかからなかった。
◇◇◇
婚約からひと月ほど過ぎた日も、ローレンはコルネール家を訪れていた。
その日は、王妃からの書状を携えており、コルネール公爵は書状に目を通してから、公爵の書斎にいるユリアとローレンに視線を寄越した。
ふたりは並んでソファに座っていた。
公爵が「座るように」と勧めたのだ。
侍女は茶の用意をすると速やかに退室している。
「ふむ。
ふたりの婚約のことは、陛下は気付いておらぬようだね」
どこか拍子抜けしたようにフェルナン・コルネールはそう呟いた。
「はい。
母はそう言ってましたね」
ローレンが頷く。
「では、このまま、知らんままにしておくということか。
王妃殿下は、安全第一を選ばれたようだな」
ユリアはふたりのやり取りを大人しく聞いていた。
予め聞いていたことなので、疑問もない。
貴族の婚約は、家と家との契約だ。
きちんとした婚約は、当然ながら、契約書を交わす。
婚約の条件などを取り決め、当主と婚約する当人らが署名して法務部に提出しておく。
ユリアとローレンの婚約は、王妃とコルネール公爵と、証人や婚約したふたりが署名し、法務部に提出した。
国王の署名はされていない。
国王は反対するに決まってるので、最初からなにも言わずにおいた。
ユリアは「それでは、婚約は無効になってしまうのでは?」と疑問だったが、今回の場合は特例のケースだという。
結婚や婚約の書類は、それぞれの事情によっては署名が揃わない場合もあるので、そんなときのために救済措置がある。
例えば、両親のうち、片親の人格や経済状態に問題がある場合。
そういうケースは、よくある。
世の中には、暴力的だったり、家に金をいれない親もいる。
愛人の家に入り浸りの不品行な親もいる。
そんな場合は、祖父母や、職場の同僚や上司の証言があれば、片親の署名だけでも認められる。
国王は、第二妃のところに入り浸りで、王妃の宮にはまったく訪れないのは有名だった。
ローレンの養育や教育に関しても、国王は一度も手を貸そうとはせず接触もない。
学園に必要な書類はみな、王妃や母方の祖父の署名で済ませ、家庭教師の選定なども同様だ。
むしろ、良い家庭教師を選ぶのを邪魔している有様だった。
ローレンの学費などは王室管理費で賄われているが、国王はローレンに父親らしい贈り物をあげたこともない。
王は、リグラスには、湖畔の別荘でも、美しい名馬でも、宝飾品でも、強請ればいくらでも買い与えているのにだ。
我が国は、亡き賢王が、自分の資産を孤児院や救護院などに寄付したために、王家はさほどの財産を持っていない。
そのうえ、王家が使える国家予算も、他の王国に比べれば抑えられている。前王が、愚かな息子が湯水のごとく国の金を使うことがないように抑えたという経緯がある。
とは言え、あくまで、同じ規模の国と比べればの話だ。
国王が自分の長子であるローレンにケチなのは、ただ単に国王のお人柄による。
おかげさまで、宰相が証人となり法務部の大臣が国王の署名なしでも婚約の書類を受理することができた。
王室管理室も「法務部が受理したのなら了解する」と認めている。
だが、国王や第二妃は、法務部や王室管理室に自分の手の者を入れていることだろう。
ゆえに、どうせバレると思っていた。
相手は国王であり、ずる賢い女狐イレーヌ妃だ。
どこに誰が忍び込んでいるのかわからない。
ところが、どうやら気付いていないようだった。
その場合は、なるべく秘密にしておこうと、王妃とフェルナン・コルネールは示し合わせていた。
婚約が決まれば、婚約披露のパーティを開くものだが、それも内輪だけで、ごく小ぢんまりと開こうと決めた。
「こちらの都合で、なにもかも内輪だけになってしまって申し訳ない」
ローレンが少々、気落ちしている。
「ハハハ。そんなことは我が家は気にしませんな。
ユリアもだろう?」
フェルナンが愛娘の方を見ると、ユリアはこくこくと頷いた。
「小ぢんまり、好きです!」
かなり食い気味に答えた。
ローレンは「ユリアはそうだったね……」と脱力した。
◇◇◇
夜には、ユリアとローレンの婚約に関する話が母と兄にも知らされた。
兄セオドア・コルネールは「まぁ、その方が安全だよね」と、とりあえず安堵した。
あの国王と第二妃と第二王子がどんな嫌がらせを仕掛けてくるか、セオドアは心配していたのだ。
セオドアは、3歳年下の妹の才能をよく理解しているし、生粋の魔導士気質で無垢なユリアが可愛かった。
ユリアは、ふつうの妹ではない。
ごくふつうの令嬢であったなら、もっと違う風に可愛いと思ったかもしれない。
セオドアのユリアへの想いは、複雑だった。
特異な能力をもつ妹に嫉妬したこともあったが、ユリアはあまりにも人外だった。
ちっぽけな嫉妬など、意味もないほどに。
公爵家の領地の片隅にあるベルーゼ領。
痩せ地の農村を束ねたような貧しい領地を、父が「ユリアに任せる」と言ったときには、『ウソだろ』と信じられなかった。
あんな難しく益も少ない領地を妹に? と。
父フェルナンは、ユリアが庭の萎びた香草の花壇を、わずか6歳で土魔法を使って繁茂させるのを見て、試しに言ってみたのだ。
ユリアは父親の提案を喜んだ。
小さな少女は邸の護衛の騎士に送迎を頼んで騎馬で領地に通った。馬車よりも騎馬の方が速いからだ。
12歳の頃には領地の小麦の品種改良をやり遂げてしまった。
まるで、『豊穣の女神』のようだった。
ベルーゼ領の領民たちは、貧しさから抜け出し、豊かになりつつある。
子供たちに教育を受けさせ、病んだり怪我をしたときには十分な手当ても受けられる。
寒いときにはたっぷりと薪を、秋には豊穣を、春に撒く種に困ることもなく、身体を壊すほどに働かなくても生きていけるようになった。
セオドアは、兄として次期領主として、妹を守る使命を自然と胸に抱くようになった。
一方、母ソフィア・コルネール夫人も心中は複雑だった。
本音では、ユリアを美しく着飾らせて盛大な婚約披露パーティを開きたかった。
それが理想だ。
だが、あの国王たちと対決したいわけではない。
今回、「父王の署名なしで第一王子の婚約が認められた」。
法務部の審議会を通過したのだ。
法律上、齟齬はなかった、ということだ。
この場合、婚姻も同様に認められるだろう。
よほど父親……すなわち、国王の振舞いが改善されない限りそうなる。
――つまり、ユリアが16歳になったら、婚姻の届け出もできるのよねぇ。
それは2年後だ。
コルネール公爵は、セオドアとソフィアが納得したように頷くと、話をつづけた。
「ユリアがベルーゼ領民の生活の質を2倍豊かにしたことを理解すれば、国王たちに目を付けられる可能性がある。
そうなる前に、ローレン王子との婚姻まで済ませられたら良いがな。
まぁ、そう上手くいくとは期待していない。
とりあえず、国王たちが、さほど王宮内の情報を掌握していないのはわかった」
「ローレン殿下がしじゅう、ユリアに会いに来ていたら、そのうちバレるのでは?」
セオドアがしかめ面をする。
「わざわざ、使用人用の馬車を使ってきているくらいだから、大丈夫だろう」
「なんだか、殿下は、本当に一目惚れしたみたいに見えるのよね。
一緒にいても楽しそうだし」
ソフィアが苦笑する。
「……ユリアの可愛さがわかるなんて、見込みはあると思いますけどね」
セオドアがさらに嫌そうにしている。
「ハハ。
ふたりには、なんら問題はないようだ。
このまま、支障なく済めばよいのだがね。
今後も、慎重にな」
フェルナンに告げられ、ソフィアとセオドアは頷いて応えた。
ありがとうございました。
次話は明日の20時に投稿予定です。