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(3)

 王妃から、ユリアとローレン王子との婚約を打診され、フェルナン・コルネール公爵は若干、うんざりしながらも、良い点もある、と考えた。

「第一王子と婚約させれば、あの性悪な第二王子と婚約させられる心配は無くなるかもしれんな」


 国王から第二王子との婚約を打診された時に、咄嗟に適当な他の婚約者を見繕うことも考えたが、相手は国王と第二妃からの嫌がらせを受けるだろうから止めたのだ。

 王妃なら対抗できる。


 とりあえず、王妃と連絡を取り、直接、話を聞くことにした。


「やけにいきなりですな」

 最低限の挨拶を交わしたのち、フェルナンは尋ねた。

 リグラスとの婚約に関しては、国王と第二妃からさんざん申し入れがあり、断りきれなくなった。

 だが、ローレン王子からの婚約話は、唐突だった。


「いくらか理由がありますの。

ローレンの閨係に不審者が忍んでいた件はご存知?」

「耳には入ってますな」

 フェルナンは思わず痛まし気な表情を浮かべた。

 閨係とは、性教育をほどこす者のことをいう。

 一般的には、容姿の良い未亡人を選ぶ。

 不審者は、おそらくイレーヌ妃が寄越したのだろう。

 幸い、ローレンが気付いて大事には至らなかったが、閨係の女は近衛が捕らえたところで自害した。

 以来、第一王子が女性不信気味、という話は宰相から聞いていた。

 ローレンの婚約者選びが進んでいないのも事件の影響だろう。


「そもそも、閨係の未亡人に性教育させるなんて、私は気に入らなかったのですけれどね。

 王家の慣習だからと王室管理室にしつこく言われて従ったら、これですもの。

 まぁ、王室管理室から妙な人間を排除することが出来たのは不幸中の幸いでしたわ。

 でも、あれから、ローレンは『女と魔物の違いがわからない』とか言うし。

 私自身も、ローレンの婚約者を決める気にならなかったんですの。

 それ以前から、私はまるきりの政略結婚でしたから、息子には自分で選ばせてあげたいと思ってましたしね。

 で、この度はローレン本人がユリアを婚約者にと望んだんですの」

「……王子が選んだ結果というには、うちの娘とは接点がなかったようですが?」

 フェルナンは訝しげに眉をひそめた。

「リグラス王子の婚約候補ということで、改めて御令嬢を調べさせてもらいましたのよ。

 ソフィアの可愛いお嬢さんですし、存じ上げてはいましたけど。

 ローレンにも教えてあげたいと思いましてね

 それで、ローレンは興味を持ったの。

 お世辞ぬきに、優秀な令嬢だものね。

 あの初顔合わせの日、ローレンは、様子を伺って居たのよ。

 歴史に残る婚約の茶会だったそうね」

「黒歴史ですな」

 フェルナンは、ハハと笑った。

「うまく切り抜けられましたわね。

 聡明な公爵閣下だと息子は感心してましたわ」

「それはどうも」

 公爵は肩をすくめた。

「コルネール家の方々がお帰りになる姿を見に行ったんですよ、ローレンは。

 それで、令嬢がとても可愛いと。

 一目惚れしたらしいわ」

 王妃は困ったように笑った。

「なんとも言えませんな」

 フェルナンも、困ったように苦笑した。


 図らずも、ユリアをふたりの王子が取り合うような形になってしまった。


「小麦の件では、ユリアに感謝しているわ」

 ジネブラは、ふいにしんみりとそう言った。

「王妃殿下。

 娘は、自分の研究と、民のためにやったのですよ」

「そうだとしてもね。

 悪徳貴族にとどめを刺すのは、宰相がやってくれましたわ。

 もう安心して、ユリアの名前を出せますわ。対価も……」

「妃殿下。

 あの貧しい農地は、妃殿下が長年にわたって資産を投じなければ、とっくに潰れてましたよ。

 最後に、美味しいところだけ手に入れる真似を、我が家がするわけないでしょう。

 ユリアも『民の主食で儲ける気はありません』ときっぱり言ってますからね」


 フェルナンの言う「貧しい農地」とは、ジネブラが手助けをしていた環境的に厳しい農地のことだ。

 国内の貧しい農地は、ベルーゼ領だけではなかった。

 ジネブラは国内の小麦の価格を守るために、そういった農地に自分の資産を使っていた。


「いい子過ぎるわ」

 王妃が苦笑する。

「民の主食というのは、特別ですよ。

 大事にするのは、貴族の矜持です。

 無欲なわけではないですよ。

 他では儲けてますからね」

「お言葉に甘えましょう」


 ふたりは、それから、ユリアとローレンの婚約のことを話した。


「ユリアを、あの国王や第二妃や、第二王子から守りましょう」

 王妃は確約し、フェルナンは話に乗ることにした。


□□□


 王族との初顔合わせは二度目だ。


 ユリアは、ローレン王子は、リグラスの兄とは信じられないくらいまともだと聞いていた。


 あれから10日ほどが過ぎ、ユリアは流石に少し食欲が落ちて、ほんのわずか、痩せたかもしれない。

 鏡を見た限りでは成果は出ていないが。

 ――またお断りしてもらえないかな。


 万が一、王子妃にでもなったら、ベルーゼ領をユリアが治める話はどうなってしまうのだろう。


 もうひとりの王子にまで豚とかデブとか言われたら乙女のメンタル的にマズい気もするが、そんなのは一時だけだ。

 婚約が決まったら、何年もお付き合いが続く。

 それなら、一時くらい、我慢しよう。


 母であるソフィア・コルネール夫人は、この日のために紺色の上品なドレスを選んでくれた。

 つまり、膨張色と言われる薄い色はやめだ。

 フリルなどもついていない。スッキリしたシルエットだ。

 以前から、フリルだのレースだのはユリアが好きではなかったので控えめなドレスばかりだが、今日のドレスは特にそうだ。


 王宮の王妃の応接間で、この日の茶会は行われた。

 コルネール公爵は今日は先約があるので留守だ。

 王妃とソフィア公爵夫人、それに、ローレン王子とユリアの4人が、王妃の瀟洒な居間にくつろいだ。


「お久しぶりね、ソフィア」

 王妃が美しく微笑んだ。

 派手な美人ではなく、端正な正統派美人だ。

 ユリアは、その高貴な美に思わず見惚れた。

 すらりと立つ姿も完璧で、マナーのお手本よりも綺麗だ。

 こういう女性を、本当の貴婦人というのだろう。

 王妃は、見事な金の髪に鮮やかな緑の瞳をしていた。

 隣に立つ王子は、髪は王妃ゆずりらしく同じ金色で、瞳は青みがかった美しい緑青色だ。

「王妃殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう……」

 ソフィアが優美にお辞儀をして挨拶を述べると、王妃は「ホホホ」と軽やかな笑いで遮った。

「そんな他人行儀な。

 ご機嫌よう、と気軽に言ってちょうだいな。

 ふたりで会えるなんて、嬉しいわ。

 夜会じゃ、上品な話しか出来ないものねぇ。

 学園の頃は、教師のモノマネをして笑ったわよね」

「まぁー。娘の前で、やめてくださいな。

 後でやってと頼まれるのだから」

「ホホホ」


 確かに、ユリアは、帰ったら母にモノマネを見せてもらおうと思ったところだった。


 王妃は、ローレン王子に声をかけた。

「私たちは、積もる話がありますの。

 若い二人で自己紹介でもし合いなさい。

 庭を案内してくれてもいいわ。温室に庭師自慢の花が咲いてるわ」

「はい、母上」

「またね、ユリア」

 王妃が優しく微笑む。

 ユリアは、ジネブラ妃とは手紙では親しくさせてもらっていた。

 ユリアの小麦の種を、ジネブラ妃が支援している小麦の産地に提供したからだ。

 自然環境や畑の条件が悪く苦労しているような産地を、ジネブラ妃は自分の資産で支えていた。

 ユリアは母からその話を聞き、自分の種を渡した。

 直接お会いしたことはなかったが、手紙やお礼の品のやり取りは今もある。


 王妃に親しげに名を呼ばれ、ユリアは思わず頬を染め、「はい、王妃様」とお辞儀をした。

 ユリアは、王妃にはろくに挨拶をしないで済んでしまった。

 母仕込みの挨拶は自信があったのだが、やらないで済むのならそれに越したことはない。


 ユリアは、ローレン王子に「行こう」と誘われて部屋を出た。


 ローレン王子にエスコートされて王宮の廊下を歩く。

 兄以外の若い男性にエスコートされるのは初めてだ。

 ドキドキする。

 ローレンは背が高く均整の取れた体躯で、15歳と聞いているが、小柄なユリアから見るともうしっかりと男性だ。

 ――淑女になった気分。

 領地の男の子たちと畑でわいわい過ごすのとは、やっぱり違うわ。

 ……当たり前だけど。

 でも、温室に行くだけなのにエスコートって、要る?


 実のところ、王家の温室と聞いた途端、もう、気持ちは温室の中だった。

 王宮の庭師自慢の花って、どんなだろう? ワクワクが止まらない。

 うっかり、「ふんふん」と鼻歌を歌ってしまった。


 ローレンが振り返って、「ご機嫌だね、ユリア嬢」と微笑んだ。

 ユリアは、行儀が悪かったと気づいた。

「あ、ごめんなさい。

 つい……」

 慌てて頭を下げた。

「いいよ。楽しそうにしてくれて嬉しいから。

 もしかして、温室に行くから?」

「はい。植物は、好きなものですから」

「うん、知ってる。

 領地の作物の品種改良をしてるんだよね?」

「そうです」

 ――そうか、婚約するくらいだから、調べるわよね。


 納得だ。

 普通は調べるものだ。

 ユリアも、ローレン王子は「成績もよく真面目な性格」とか一通り聞いている。


 ――ということは、庭の芝生を耕して畑にしてるとか、四阿を壊したとかも?

 まさかね……。


 思わず冷や汗が背中を伝った。


「母の文通友達なんだってね?

 私も、母のように、ユリアと呼んでもいい?」

「あ、はい。

 あの、王妃様が私を文通友達と?」

「そう聞いたけど?」

「う、嬉しいです」

 ユリアは美しい王妃の友達と言われて、照れた。

「色々、愚痴をこぼせて楽しいって。

 母上は、どんな愚痴をこぼしてるの?」

「ひ、秘密、です!」

「ハハ。秘密なんだ」


 ――愚痴って、あれかしら。

 最近、お化粧ののりが悪いとか。

 美肌の魔草で作った母が大喜びしたお手製美容液をお送りしたけど。

 ご子息に言ったらダメよね。


 白い温室が見えてきた。

 さすが王家の温室。立派だ。

 歪みのないガラスの透明度といい、瀟洒な白い枠組みといい、美術館のようだ。

 ローレンがドアを開けると、ほわりと暖かな空気が頬を撫でる。

 多種多様な花や草の匂いがたちまち包み込んでくる。

 圧巻だった。見事の一言だ。

 鉢の数が多い。

 地植えの灌木や果樹や花木もあるが、木箱のように大きな容器にも土が盛られ、この国では咲かないはずの花々も咲き誇っている。


「すごいわ。

 あ、あれは、ドルスタ王国の蘭香花」

 ユリアは金色の壺のような形の大きな花に駆け寄った。

「黒蜜のような匂い……植物図鑑の特徴通りの匂いだわ。

 でも、少し、酸味も感じる。

 そうだわ、花の蜜はすぐに発酵するって記されてた。

 酵母が採れるかしら。

 どんな性質の酵母菌だろう」

「ユリア。もしも欲しいなら、花をあげるよ」

「よろしいんですか?」

 屈み込んでいたユリアは勢いよく顔を上げた。

「もちろん」

 ローレンはにこりと微笑む。

「ああ、でも、今日は採取用の袋を用意してないので。

 傷まないように持ち帰らないと」

「なんなら、株ごとあげる」

「王子殿下。一介の小娘がそんな大層なものを贈ってもらうのは、さすがに……」

 ユリアは苦笑を浮かべた。

 蘭香花は調べたことがあるが、値段まで確認していない。

 だが、きっと高価な花だ。

「一介の小娘って……。ユリアは公爵令嬢じゃないか。

 おまけに私の婚約者だし」

「え?

 決定なんですか?」

 ユリアは驚いて問い返した。

「公爵は、良い返事をくれているよ。

 ユリアと私が今日会って、お互いに問題なければ、婚約は決定だ。

 だめかな?」

 ローレンは、少々、不安そうに尋ねた。

 大抵の令嬢は、ローレンがそばにいれば嬉しそうに寄ってくるし、秋波を送ってくるものだ。

 ユリアはそんな素振りは全くなく、ローレンよりも花を愛でている。

 そういう令嬢だろうとは思っていたが、ここまでとは予想外だ。


「いえ、それは、まぁ、えっと、まさか、え?」

 正直ユリアは、またボツだろうと思っていた。

 こんな美男の王子だ。ユリアが隣に立つのは嫌だろう。

 もっと素敵な令嬢が、婚約者にふさわしい。


「……嫌なのかい?」

「あの……今日会ってすぐにとは思ってなかったものですから。

 王子殿下も、気が進まないでしょうし。

 すんなりとは……」

「政略結婚なんて、親が決めるものだよね?」

「それは、一般的にはもちろんそうです。

 でも、先日は、リグラス王子殿下との婚約があっさりなかったことになったので。

 王子殿下は、自由に婚約を決められるんだと思っておりました」


「あー、まぁ、リグラスはね。

 あれは、特別だよ。

 それからこの婚約は、実は私が希望して母上に頼んでもらった」

「えぇ? まさか……。

 なんでまた。

 あ、そうか、あの……後ろ盾? ですか。

 でも、私、思ったんですけど、後ろ盾って、婚約しなくても得られるものじゃないかしら。

 私の父は、とても優秀なんです。

 婚約うんぬんとかは抜きにして、後ろ盾すべきと思えばするのが父です」

 ユリアは自信満々に答えた。

 ローレンは頭を抱えたくなったが耐えた。

「……後ろ盾のことは、この婚約に関しては関係ないよ。

 私は、ユリアに一目惚れしたので、婚約を申し込んだ。

 そう伝えたつもりだったが?」

「一目惚れのことは、王妃様から苦笑混じりに申し入れがあったと……」

「それは、一目惚れの経緯が、苦笑される状況だったからでね。

 ユリアが、愚弟と婚約を解消した時に、私はこっそり様子をうかがってた」

「あー、あの、あれをご覧に……」

 ユリアの目が遠くなる。

 思い出すと、怪鳥のごとく泣き喚いていた王子の姿が思い浮かぶ。

「風魔法で聞いていただけだから、見てはいなかったんだけどね。

 その後、コルネール家のみなが帰る姿を遠目で見かけた。

 ユリアは、灌木の茂みを見て小枝を欲しがって……」

「ぷっ」

 ユリアはまさかの場面を王子に見られていたと知って、うっかりふいた。

「……可愛いな、と……」

 王子がなぜか照れている。


「あ、悪趣味ですね、殿下……」

 ユリアは呆気に取られて、つい不敬な文句を呟いた。

「悪趣味?

 ユリアはふつうに可愛いだろ」


 ――婚約解消されたばかりで小太りの14歳の小娘に一目惚れ……、しないですよ、ふつう。


 ユリアはそう思いながらも、これ以上は、人の趣味とか、信じられなさとか、諸々を飲み込んでスルーすることにした。

「まぁ、それは置いておくとして……」

「置いておかれたくないんだが……」

「蘭香花の株は、あまりにも申し訳なくて、いただけません」

「……遠慮深いね」

「他の花も見せていただいて良いですか」

「もちろん。

 珍しいところでは、魔草も……」

「魔草? 魔草と仰いました?

 移植が不可能と言われている、魔草?」

 ユリアの食いつきがあまりにも激しく、ローレンは仰け反りそうになった。


 魔草は、魔力を多く含んだ薬草のことを言う。

 どれくらい魔力を含んでいれば魔草と呼ぶかは、薬師組合や研究所で大まかに基準が決まっている。

 強い効能があり、移植は非常に困難だ。


「その魔草だよ。

 庭師が苦労してるらしい」

「すごいわ、素晴らしいです、天才かも、さすが王宮庭師の方ですねっ!」

 ユリアが目を輝かせた。

 ローレンは、自分よりも庭師に興味津々のユリアに思うところはあったが、なんとか気を取り直した。

「こちらだよ、ずっと奥だ」

 ローレンは先に立って歩く。

 周りの香しい花々や、果樹や珍しい薬草を眺めながらなのでゆっくりだ。

 ローレンは、魔導学園のことをユリアに尋ね、ユリアは嬉々として魔導の授業の素晴らしさを熱弁した。

 ユリアの口からは、王都のカフェのことや観劇のことや、他の貴族の噂話などは一つも出てこない。

 興味がないのだろう。

 ――思った通り、研究者気質なんだな。


 ローレンは胸中で苦笑した。

 まるで、魔導にしか興味のない魔導士や、研究所の研究者と話しているようだ。


 特に魔力の高い魔導士は、本当に、魔導にしか興味を持てず、生涯独身とか珍しくない。

 国が、貴重な魔導士の血筋を絶やさないために、かなり無理やり、結婚させ血筋を残させなければ、我が国の魔導士は半分も残っていなかっただろう。

 ユリアも魔力はかなり高い。魔導士の平均以上はある。


 ――見た目、天使な女の子なのに、中身は研究オタクの魔導士なんだよなぁ。

 でも、そんな中身も愛らしいけど。

 ユリアには、私と結婚して可愛い我が子を産んでもらわないとね。


 あまり回りくどくなく、真正面からはっきり言わないと駄目だとはわかった。


 広い温室の奥まった一角は、雰囲気が違う。

 土魔法属性の魔力をふんだんに注いだ土が、ほんのりと輝いているからだ。

 ちらりとローレンがユリアの様子を見ると、ユリアの表情も輝いているようだ。

「まるで天上の温室だわ」

 うっとりとユリアが呟いた。

 ローレンは『デート中は、そういう目は、私に向けて欲しいよなぁ』と心中で己の理想を零しながらも、やっぱり、可愛いなと思う。

 何かに夢中になっていると目がキラキラする。

 そんな無垢な心は、とうにどこかに置いてきてしまった。

 周りの皆もそうだ。

 もう、子供じゃない。

 貴族が子供の心を捨てるのは早かった。王族などその最たるものだ。


 ユリアは、その特別な一角の奥に魔草を見つけた。

「トゲ実草ね」

 恐る恐る近づいて、2歩ほど手前で立ち止まる。

 屈み込んで、じっくりとトゲ実草を見つめた。

「もっと近づかないの?」

 ローレンがユリアの後ろから声をかけた。

「近づいて良いのか分からないので……」

 ユリアが答えた。

 まるで、その場の空気を揺らさないよう気遣うように小さな声だ。

「では庭師に訊いてあげよう」

 ローレンは立ち上がると、温室奥横にある小さな扉まで歩いて開けた。

 細くて低い扉で、目立たないよう木々に隠れるようにあった。


「ここの者はいるか」

 ローレンが声をかけると、誰かが戸口にまでやってきた。

 がっしりとした体躯の男性だ。

 30代くらいと、まだ若い。くすんだ金髪は短く刈り込んであった。

 厳つい顔をしているが、金色がかった茶色の目は穏やかだ。

「王子殿下、御用でございますか」

「魔草を見せてもらいたい。

 近づいても問題ないか」

「魔草ですか」


 庭師の男性は、魔草の前に屈み込むユリアを見て目を見開いた。

「こちらの御令嬢は……」

 戸惑ったような庭師の声。

「私は、ユリア・コルネールと申します。

 庭師の方、ですか」

 ユリアは慌てて立ち上がると淑女の礼をした。

 庭師も慌ててお辞儀をした。

「こちらの温室をお世話しております、ジャン・ロバンと申します。

 代々、王宮に庭師として仕えております。

 魔草は、どうぞもっと近くでご覧になってください。

 触れられても構いません。魔力は与えないでいただけると助かります。データを録っているものですから」

「触れませんわ。

 この子はどこから運ばれてきたのか、教えていただけます?」

「王都南のマロエの森です」

「ああ、マロエの……。

 魔草の宝庫ですね。

 トゲ実草は、土ごと掘り取っただけで、根付かせることができるんですか。

 毒の効力が落ちたりは?」

「毒なのか?」

 王子は思わず口を挟んだ。

「毒と言っても、ごく弱いですわ、ローレン殿下。

 それに、薄めると、弱った心臓を強める薬になるんです。

 冷え性にも効きますわ。

 冷え性の薬にするには、鬼生姜を加える必要がありますけど。

 そうすると、体を温める効果を持続させますから。

 そのまま煎じて飲むと、カッと熱くなって、速やかに冷えてく感じで」

「ユリア……まさか、飲んだことないよね?」

「飲みましたわ。

 山に魔草を採りに行って、迷子になって雨に降られて。

 体を温めたかったときに」

「……その話はまた後で詳しく聞こう」

「とても有益な魔草なんです。

 移植は難しくなかったですか、ジャンさん」

「御令嬢。

 仰る通り、難しかったです。

 トゲ実草は、そのまま土ごと運んでもなかなか良い状態は保てないのですが、肥料を工夫すると、翌年、実をつけるまでは育てることができます。

 効能は、やはり、多少は落ちますね」

「まぁ、肥料を?

 うちで黒芋の芋がらで作った肥料を与えた時は、あくる年までは元気だったんですけど、トゲ実をならせるまではできなかったわ」

 ユリアの声が悔しそうだ。

「そうですか、黒芋の芋がらを……。

 この子には、魔力を含んだ薬草の枯葉を与えています」

「贅沢だわ……さすが王宮」

「いえ、枯葉ですからね」

「貧しい領地では、薬草は、枯れさせるような贅沢はしません」

「あー、それはそうですね」

「やはり、魔力を含んだ肥料が必要なのかしら。

 でも、野生の魔草だって、周りに魔力入りの栄養分があるわけじゃないですよね?」

「それは、私も疑問だったんですよ。

 なぜ魔力入りの肥料を与えると、長持ちするのか。

 でも、私からすると、芋がらの肥料でそこまで魔草を育てられたコルネール様の方が驚きなんですけど」

「ああ、それは、ちょっとズルを」

「ズル?」

「ええ、まぁ。

 ところで、他の魔草も挑戦されました?」

 ユリアはあからさまに話題を変えた。

 どうやら、言い難いズルらしい。

 言えないなら最初から話題にしなければ良いものを、とローレンは苦笑する。

 そもそも、ユリアはローレンとデート中なのだ。

「ユリア。そろそろ、他に行かないか」


 ローレンが割り込むと、ユリアは、王子を放っておいたことを思い出した。

「ジャンさん。

 またお会いできませんか」

 なぜか庭師を誘っている。

 ローレンは、答えに迷う庭師に変わって、「また連れてきてあげるよ」と答えて、ユリアの手を取った。

「母上たちが心配してるといけないからね」

「あ、そうでした。

 お見合い中でした」


 ――忘れないで欲しいなぁ……。


 ローレンは、見合い中に、自分よりも先に庭師と約束させるのはなんとか阻止し、ユリアの手を取って歩き出す。

 ユリアは若干、後ろ髪を引かれながら、温室を歩いた。

「私の婚約者になってくれたら、王妃の庭園も案内してあげる」

「王妃様の庭園?」

「代々の王妃がもつ庭園があるんだ」

「まぁ……」

 ユリアが興味津々という顔になる。

 わくわくしているのがよくわかる。

「それに、私と婚約しておけば、リグラスとの婚約を蒸し返されないで済むよ。

 イレーヌ妃は、まだ諦めてないからね」

「えぇ……? 第二王子とまた婚約するかもしれないんですか?」

「そりゃね。ユリアは知らなかったみたいだけど、イレーヌ妃がコルネール家に、最初の婚約の打診をしたのは4年も前だよ。

 ずっと公爵が阻止していた」

「お父様が……」

「イレーヌ妃に対抗できる人なんて、母上くらいだ」

「その通りです」

「私は、ユリアを好ましいと思ってる」

「……ありがとうございます」

「信じてないね?」

「ぅ……」

「まぁ、それは、そのうち信じてもらうとして。

 私なら、ユリアが好きなことをするのを止めないよ。

 芝生を畑にしても怒らないし。うっかり四阿を壊すのは危ないからやめて欲しいけど」

「……もう壊しません」

「魔草を採りに行くのも許可しよう。

 王家のもつ森に行ってもいいし、マロエの国有地に入る許可も簡単に出せる……」

「ローレン王子、私と婚約していただけませんか」

 ユリアはローレン王子に歩み寄り、キラキラとした目で見上げた。


 ――釣れた!


 ローレンは満面の笑みで頷いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 一話一話読み応えがある分量ですごく良いです >でも、私、思ったんですけど、後ろ盾って、婚約しなくても得られるものじゃないかしら。  私の父は、とても優秀なんです。  婚約うんぬんとかは抜…
[一言] 読み返していますが、やっぱり面白いですね!ユリアの興味のあること以外の明確な塩っぷりw ローレン王子は人を良く見てるので、ユリアの特性を理解し自分との婚約のメリットアピールでまんまと釣るw …
[良い点] 釣れた!<ヒデェ だがそれがいい
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