(2)
マリアデア王国第一王子ローレンの最大にして最悪の不幸は、父親が愚王だったことだ。
祖父である前王は、死ぬ間際まで気に病んでいた。
前王は王妃しか愛さなかったが、娘ばかりが生まれて、ようやく生まれた息子シオンは王妃に可愛がられ愚かに育ってしまった。
性悪ではないのだが、はっきり言って頭が悪い。
祖父はずいぶん気にかけて教育をやり直そうとしたが、なかなかうまくはいかなかった。
媚びて甘やかそうとする人間が周りに多すぎた。
このままでは、息子の代で国が傾く。
祖父は、議会の力を強めると同時に、偏った派閥が力を持つのを防ぐ改革を施した。
宰相には大臣の人事権を与えた。その宰相は聡明な人格者が選ばれるように法も改正した。
要は、愚王となりそうな息子シオンの権力を削ぐために全力を注いだ。
祖父は賢王だった。
息子の嫁であり、未来の王妃となる令嬢も厳選した。
ローレンの母、ジネブラだ。
聡明な王妃には、王を支える力を与えた。
とはいえ、次の世代では、王妃選びに失敗することもあるだろうから、保険として、王室管理室にも権限を与え、その代わり、王室管理室の人選は慎重に行われるように王室典範も改善した。
賢王と宰相、それに、領主会議議長であるコルネール公爵はシオン王の治世に備えた。
前王は、激務の末に過労で亡くなった。
コルネール公爵と宰相は、死際の賢王の枕元で「国は子息から守りましょう」と伝え、老王を安心させたものだ。
努力の結果、今のところ、愚王シオンの影響は最小で済んでいた。
ところが、シオン王の愛息《 あいそく》リグラスは、予想を超えた性悪に育ってしまった。
リグラスの母、第二妃イレーヌは、贅沢好きで、ずる賢い女だ。
隣国の王女ゆえに、扱いに困る。
16年前、シオンが隣国を訪問したおり。
可愛らしい第三王女に見惚れ、宴席で「麗しい姫君ですね、妃にしたいくらいだ」と曰ったところ、ドマシュ国王は了解してしまった。
王には、すでにジネブラ妃が嫁いでいたというのに。
ドマシュの王は、尻軽な上に我が強く金のかかる王女を、隣国の愚鈍で年若い王に押し付けるのにまんまと成功した。
後に、イレーヌはリグラスを産んだ。
リグラス王子の婚約者には、コルネール公爵家の娘ユリアが選ばれた。イレーヌ妃が選んだのだ。
王妃ジネブラは、ユリアを知っていた。
ユリアの母ソフィアは、ジネブラの友人だった。
とは言え、一応、第三者目線でも調べておいた。
調査結果をローレンも見た。
意外な内容だった。
『ユリア・コルネール。
亜麻色の髪、藤色の瞳。
容姿、端麗。
持っている魔法属性、水、土、光。
魔力量、「特大」。
幼少の頃より、草木や花を好む。
泥だらけになって土いじりをし、夫人や侍女たちを嘆かせる。
7歳頃より、自分が継ぐ予定のベルーゼ伯爵領の農業に興味を持つ。
週に一度は、衛兵の騎馬に乗り、片道数時間かけて領地へ通う。
小麦などの農作物の苗を持ち帰り、自ら工夫して改良を加える。
12歳の頃には、小麦は3等級の安価な品質だったものを、2等級にまで改良することに成功。
さらに、「ベルーゼ小麦」に合ったパン種の作り方も見つけ、領地だけでなく王都でも広める。
芳醇で味の良いパンとして好評を博す。
また、地元の野苺は、酸っぱくて酢の代わりにしかならなかったものを、大粒で甘い果実に品種改良し、昨今、ジャムが王都で売れ始めている。
現在、魔導学園中等部に在籍。
王立学園をやめて魔導学園にしたのは、7歳の頃に土魔法の使用時に事故を起こしたのが原因。
コルネール公爵邸の裏庭を土魔法で耕そうとして、四阿を破壊。
令嬢の魔法の訓練はもっと慎重に行う必要があると知った公爵が、魔導学園への入学に変更したため』
ベルーゼのパンはローレンも知っていた。風味は格別でふんわりとした食感も良く美味いパンだ。学園の食堂でも人気だった。
まさか当時12歳の少女が作ったとは知らなかった。
こんな奇才を、アホで性悪な愚弟の婚約者にするなど、もったいないとしか思えなかった。
下手したら、ユリアの才能を潰してしまうかもしれない。
ローレンは、調査報告書を見てから、胸がざわついてならなかった。
子供の頃から領地を豊かにしようと努力しているような令嬢だ。
性質も良い子なのだろう。
それなのに、婚約者としてあてがわれるのは、あのまともに話もできないような王子だ。
リグラスとユリアとの初顔合わせの日。
その情報は、王妃経由でローレンも知っていた。
ローレンは朝から落ち着かず、なにも手につかなかった。
幸い、茶会は、中庭で行われた。
密かに風魔法を使えば様子を知ることができた。
ローレンは、王族らしく魔力量が高く、訓練も熱心にやって居たので魔法は巧みだ。
見合いの茶会は大惨事となった。
ローレンにとっては嬉しい結果だ。
ユリアは一言も発せないままだった。おかげで、ローレンは、ユリアの声が聞けなかった。
なにしろ、リグラスの叫び声がすごかった。
「僕はこんな豚と婚約するのは嫌だっ!」
という喚き声が中庭に響いたのを皮切りに。
「美しい僕の妃に、なんで豚を選ぶっ!」
「醜いものは生きている資格はないっ!」
「なんでそんなものが婚約者なんだっ!」
「父上も母上も、僕を愛して居ないのかっ!」
「完璧な僕には、完璧な妃こそふさわしいっ!」
いかにも性悪な王子の叫び声以外、不気味なほど静まり返っていた。
不愉快な罵りは、延々と続いた。
リグラスが叫び疲れ、声が掠れてきた頃、イレーヌ妃の声で侍女に茶を入れ直すようにと聞こえてきた。
それを遮ったのは、コルネール公爵の渋い声だった。
「いや、茶はもう要りませんな。
婚約は取りやめです。
理由は、もうご存知ですな。
今日、署名するはずだった書類は、廃棄だ。
まだ婚約が正式になされる前で幸いだった」
公爵の言葉だけが庭園に流れている。
どうやら、国王夫妻は、黙り込むことにしたらしい。
何を考えているのか、ローレンは推測した――おそらく、何も考えてないのだろう。
この場をやり過ごせば、またなんとかなるくらいは考えているかもしれないが。
「では、この婚約は、二度と、蒸し返されないということで良いですな。
ちなみに、この様子は、魔導具で写し撮らせてもらった」
公爵の身動きする音は、魔導具を取出して見せたためと思われる。
「ま、まさか、そんな魔導具を無断で……」
イレーヌ妃の声を、公爵は容赦無くぶった斬った。
「王室管理室と宰相の許可はとってありますよ。
それから、警備の近衛隊長の許可もね。
そうでなければ持ち込めないでしょうに。
娘と、王太子になるかもしれない王子との婚約に関わる情報は、残らずとってある。
当然でしょう。
こういうことには慎重であるべきと思っておりますのでね。
では失礼する」
ローレンは、今更ながら、コルネール公爵の聡明さに感心した。
慎重であったのは、愚王と女狐第二妃が画策した婚約だからだろう。
おまけに、第二王子リグラスは、異常なほどに頭と性格が悪かった。
公爵なりに、手を尽くして居たのだ。
自分の娘ユリアの奇才ぶりを、公爵もよく心得て居たし、潰されたくないと願って居たのだろう。
婚約の場で愚王たちに失言などがあれば、のちに使おうと魔導具を用意したのだ。
ローレンは、すぐさま動いた。
コルネール公爵家の家族の姿を一眼でも見たかった。
夫妻と令嬢は、茶会の庭園から王宮の正門へと向かっていた。
遠目ではあったが、ユリアを見ることができた。
――……可愛い……。
確かに、ぽっちゃりしている。
だから、余計に可愛い。
顔立ちは天使だった。
聡明な澄んだ瞳で、中庭から続く灌木の茂みをつくづくと眺めている。
「この灌木の小枝をもらったらだめですか」
とこっそり尋ねて、公爵を困らせている。
「後にしなさい」
公爵に諭されて、「はい」と残念そうに答えた。
夫人は苦笑している。
その暖かな家族の様子すら愛しく思えた。
ローレンは、母である王妃に報告を入れ、次いで、頼んだ。
「ユリアを私の婚約者にしたい」
と。
コルネール公爵が渋々ながらも承諾してくれたのは、ローレンと王妃が、
「ユリアを、あの国王や第二妃や、第二王子から守りましょう」
と約束したからだろう。