舞台の裏側で…
番外編を投稿いたします。
「舞台の裏側で…」リグラス王子の失恋話です。最後の方におまけでレーナのその後もありますが、ほんの少々後味が悪いかもしれません。
この後、「元王様の絵画展」、「女の戦い?」などを予定しています。
読んでいただけると嬉しいです。
「オホホホホ、アハハハハ」
女の笑い声が響き渡る。
狂喜を含んだ声に観客は目を見張り、劇場の全ての視線は舞台に釘付けになっていた。
演技とは思えない声、表情、オーラだった。
「すまなかった、ですって? 悪かった?
そんな言葉で、獄中で死んだ父と母と兄の無念が晴れるとでも?」
底冷えのする声で女が言い放つ。
「看守どもがあそこまで非道なことをするとは思わなかったのだ」
男は必死に言い募った。
女が男のグラスに軽い麻痺毒を仕込んだために動けない。
「馬鹿ね。そんな言い訳を誰が信じるの? 相変わらず、嘘と誤魔化しが得意ね。
看守にあれだけたっぷりと金を渡して『何があっても露見はしない』と言い聞かせて、父たちが無事で済むとでも?
婚約者だった私を娼館に売る男が、知らなかった……ねぇ?」
「だ、だから、それは……」
女は容赦なく杖を振り上げた。
ガツンっ!
男の喚き声が響く。
何度も何度も杖が振り下ろされる。
女のギラギラと狂った目。振り下ろされる杖の音。
男の叫び。
舞台は暗転する。
淡々と、その後を語るナレーション。
女の復讐は終わりを告げる。
復讐の場面の時間は短い。劇場としては、生々しい復讐シーンを長く舞台に登場させるつもりはない。
それにも関わらず、女のあのギラついたガラス玉のような目と、もがく男の姿は観客の胸に強く残っただろう。
――やっぱり、凄い……。
リグラスは深くため息を吐いた。
舞台の袖で二人の場面に見入り、山場では息をするのも忘れた。
今宵の公演は、古典をもとに脚本化されたもの。
歌劇『白薔薇』は、娼館で「白薔薇」とあだ名を付けられた女ジュリの復讐劇だ。
いつもリグラスは「白薔薇」では、娼館でジュリと出会い惚れて、彼女の復讐を手伝う恋人役だった。
本当は、ジュリを裏切る元婚約者の役をやってみたい。
主役はジュリだが、準主役は元婚約者ロブナスだ。
ただ、自分がまだロブナスを演じきれないことは分かっている。
ロブナス役は、毎回、看板俳優の大先輩だ。
リグラスは、自分の演技に自信はある。自信がなければやっていけない。もともと、リグラスは自信家だった。
だが、この劇場で働き始めて、先輩たちの演技を目の当たりにして、上には上が居ると知った。
特に、ジュリ役を体当たりで演じる女優ロザリには、初っ端から魅了されていた。
リグラスは、支配人から釘を刺されていた。
「うちの俳優たちは、みんな身持ちが固い者ばかりですよ。真面目に仕事をしてくれています。
ただ、ウブな子もいます。
そんな俳優を騙すような真似をして引っ掛けるのは、くれぐれもやめてくださいね。
契約書の『劇団内の調和を乱す行為』に含まれますからね」
リグラスも色々とあったために、ここでは真面目に暮らすつもりだった。
だから、ロザリには挨拶くらいしか声をかけていない。
もしもロザリからの好意を感じることがあれば食事くらい誘いたい。
けれど、見込みがないことは、もう知ってしまった。
公演が終わり、借りている我が家に帰るために劇場の廊下を歩いていると、ロザリの姿があった。
衣装を脱ぎ化粧を落とした彼女には舞台の華やかさはない。
どちらかというと地味だ。
顔立ちは悪くもないが、目も鼻も小さめで、そのくせ口は大きめだ。
舞台では目元をしっかり派手に化粧するので、誤魔化せてる。
でも、普段の彼女は、ほぼすっぴんだ。金茶色の髪は引っ詰めて縛り、朗らかに笑い、冗談を言う。
舞台での妖艶な姿や、悲劇のヒロインの儚さはない。
――でも、それが可愛い……。
彼女は、生き生きとしていた。
舞台明けで若干、疲れた様子の彼女でさえも、役作りに悩みしかめ面をしている時でさえも、全力で生きてる。
舞台裏の彼女も、舞台と同じくらいに魅力的だった。
惹かれれば惹かれるほど、現実を知ったときに打ちのめされる。
――俺は、馬鹿だな。
ロザリは、大道具係のクマのように逞しい男性に頬染めて話しかけている。
「どうだった? 今日のジュリ」
「白薔薇のジュリは、今日も復讐の鬼になってたなぁ」
クマ男、ダグートは、朗らかにそう言った。
「ひどい言い方!」
ロザリは、文句を言いながらも嬉しそうだ。
リグラスは、二人が相思相愛なのを知っている。知りたくなくても見ればわかる。
ロザリが手作りの焼き菓子をダグートに渡したり、サンドイッチを持ってきて二人で並んで食べているのも見た。
劇団員たちの噂も聞いた。
『ダグートのやつ、ほんと大きいなりして奥手でヘタレだぜ』
『すぐに照れるんだから』
『デートも満足に誘えないんだと』
二人が並んで歩いているのも見た。
クマのようにデカイ男とほっそりとしたロザリ。
ゆっくり、手を繋いで歩く後ろ姿。時折、互いに、互いの様子を見る二人。
――あぁ、想い合ってるんだな。
胸が締め付けられる。
数えきれないくらいの女を抱いてきたのに、愛を感じたことはなかった。
唯一、兄の婚約者に、強く惹かれたことがあった。
その一瞬のちには、兄の腕に抱かれる彼女に、もう何もかも手遅れなのだと悟った。
初恋かと思った瞬間には、想いは粉々になっていた。
あれからリグラスは、愛だの恋だのと言うものにはまるで縁もないし興味も感じなかった。
聖職者のように清廉な人生を歩むのもいいな、などとさえ思っていた。
それが、ロザリに出会って、あっさり清廉生活はどうでも良くなった。
そのロザリも、他に想い人がいた。
ロザリを諦めるにしても、もう誰でも良いなんて思えない。
酒を飲むようになったのは、俳優になってからだ。
帽子を深々と被り眼鏡をかける。
他の劇団員もたまに訪れる酒場は、俳優がお忍びで来ているとわかると、奥まったカウンター席に座れと目線で案内してくれる。
目立たない席だ。店の灯りがあまり届かないのだ。
以前なら、古びた店のこんな薄暗い席で酒を飲もうなんて思わなかっただろう。
「軽いやつで」
そう酒を頼むと、度数の低い酒を適当に選んでくれる。リグラスはあまり強くない。
ちびちびとやりながら飲み干すと、二杯目に何を頼むかを迷った。
飲んで酔って、何もわからなくなりたかった。
美人を引っ掛けて粋がっていたクズの自分が思い浮かんでならない時は、酒を飲まずにはいられない。
あの頃より、今の方がずっと生きていると実感できる。
俳優の仕事はやりがいがある。
生きがいでもある。
おかげで、なんとか、人生に前向きになっている。
けれど、ロザリとダグートの姿を見てしまうと、もうダメだ。
「自分がどうしようもなくクズだったと思い浮かんで仕方ない時は、どんな酒がいいかな」
リグラスがマスターにそんなセリフ染みたことを言うと、初老の男は渋く笑った。
「公演は終わりですか」
「ああ、今夜が千秋楽だった」
リグラスは、空のグラスを弄びながら答えた。
「打ち上げはなしですか」
マスターが首を傾げる。
「私が行っても浮くだけだ」
「そんなことはないと思いますよ。
団の若い子が酔っ払いに絡まれてるのを助けたそうですね」
「え? あ、いや、たまたま……」
リグラスは、そういえばそんなことがあったな、と思い出した。劇団で練習し、遅くなった帰りだった。
喧嘩などしたこともないが、相手が足元もおぼつかないくらい酔っていたおかげでなんとか助けることができた。
「小道具係の坊やに、お母さんの薬代をそっとくれてやったとか?」
「金は困ってないんで」
それもたまたまだった。その少年は、薬代に困ってると仲間に金を借りようとしていたのだ。
ただ、小道具の下っ端仲間も裕福ではない。だから、簡単な小間使いのような仕事をわざと頼んで小遣いをやった。
「みなさん、仲間だと思ってくれてるみたいですよ」
「そ、そうか……」
「行ったらどうです? 打ち上げ」
「いや……」
リグラスが行かない理由は、ロザリがダグートといちゃついているのを見たくないと言うのもあった。
「まぁ、片思いの人を見たくない、と言うのはわかりますが、みんな知ってるから庇ってくれますよ」
マスターが片目をつぶる。
「え?」
「バレバレですって。
ここだけの話、ダグートのせいで失恋したやつは、一人二人じゃないそうですよ」
「えぇ?」
「涼しい顔でロブナス役をやってる大物俳優も……」
「えぇぇ?」
「失恋クラブができそうな勢い」
「まさか……」
「連中とくだ巻いて酒飲むのも一興かと」
リグラスは思いがけない情報に頭が真っ白になったのちに『確かにそれも面白いか』と言う考えが浮かんだ。
「二杯目は、打ち上げで飲んでくる」
リグラスは立ち上がった。
「そうしてください」
マスターの声に押されるように酒の代金を払うと、そそくさと打ち上げ会場に向かった。
「あの噂の王子様とは思えないなぁ」
渋いマスターはそっと微笑んだ。
◇◇◇◇◇おまけ、レーナのその後。
酒処「酒楼」はイーサンという裏ボスめいた男がオーナーの店だった。
レーナはそこで給仕として働いていた。
イーサンの愛人業もしている。
休みや仕事の後にはリグラスの追っかけをしていたが、ゴシップ誌に「リグラス王子、熱愛!」と書かれた記事に落ち込んでからは足が遠のいた。
――はぁ、とうとう、今の生活から抜け出せる頼みの綱が絶たれちゃったか……。
イーサンの愛人業も、イマイチ、下っ端だしなぁ。
イーサンは、好みの女には良い暮らしをさせている。
一番のお気に入りのドリーは、ドレスも宝石も靴も最高級品を身につけている。もちろんドリーは働いていない。
イーサンの秘書的なことも少しはやっているらしいが、悠々自適な生活をしている。
――はぁ、ウラヤマ。
もっと尽くさないとダメかな。でもなぁ。どうせ、巨乳じゃないし。
この腕輪があるおかげで、他の男なんて見つけられないしなぁ。
タラタラと働いていたら店長に怒鳴られた。
可愛い顔のおかげで働かせてもらっているけれど、給仕としては大して役に立っていないかもしれない。
――イーサンの「お渡り」があったら、今度は頑張ってみよーかな。
相変わらずタラタラと働いていると、客の若い男に「君、可愛いね」と声をかけられた。
初めて見る客だ。レーナがイーサンの女だということを知らないのだろう。
――久しぶり! ナンパ、されちゃう?
レーナは浮かれた。
「ありがとう! うふ!」
愛想笑いをしてグラスを置く……と、男の視線がレーナの「罪人の腕輪」に留まった。
――あ、しまった!
と思った時には、すでに男の視線は不自然に背けられていた。
――あぁ〜またダメかぁ。
これがあるから、イーサンくらいしか相手してくれないんだよなぁ。
レーナは真面目に勉強をしなかったので知らなかった。
罪人の腕輪は、鉱山で働いたり刑務所で刑務作業をして罪を償わないことを選んだ犯罪者に付けられる。「特別な場合」にのみ使われるものだ。
「特別な場合」とは、多くは秘匿されているので庶民は事情がわからない。
わからないために、余計に忌避される。
レーナは、隣国の王女だったイレーヌ絡みのことで、罪人の腕輪をつけられることになった。
ただ、官吏たちは、レーナはきっと修道院に行くことを自分から望むだろうと考えていた。
普通、罪人の腕輪をつけて町に放たれても、若い女は野垂れ死ぬだけだ。
罪人の腕輪つきでは娼館でも働き難い。
ところが、レーナは無知ゆえに腕輪を選び、たまたまイーサンに拾われたおかげで死なずに済んだ。
だが、自分の現状を分かっていないために、イーサンに大して感謝などしていない。
それに、イーサンの好みもわかっていない。
イーサンが好きなのは、賢い女だ。
容姿が良い女も好きではあるが、どれだけ美人でも愚物は好かない。
レーナは気まぐれに助けてやった。
だが、レーナはやる気もないし、使えない給仕だった。ただ、顔が良いので客引きになるから置いている。
本当は愛人にしたくもなかったが、使えない女を置いておく理由がないと、他の者たちがレーナを妬むだろうから相手をしてやっているだけだ。
そんなこともわからないレーナに、イーサンはそろそろ「慈善事業してやるのも飽きてきたな」と思い始めていた。
――修道院に行く地図でもくれてやるかな。
と。
お読みいただきありがとうございます。




