(パン作り秘話2)
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完結になります。
走り出したユリアは、まるで突風のようだった。
ベルーゼ領を歩き回って、火属性と風属性をもつ果実や香草や雑穀などを搔き集めた。
それらを持ち帰り、パン酵母をつくる。
邸の料理長から「見せてほしい」と頼まれたので、ユリアはパン酵母のことを一から説明した。
エフェル製のパン酵母に魔力がわずかに含まれていたことや、それで思いついたことなど、全部話した。
料理長や副料理長も、興味津々に聞いてくれた。
「それでね、どんな頑固なパン生地でも強力に膨らむように、ベルーゼで色々と材料を見繕ってきたの」
ユリアは、これらもひとつひとつ説明した。
火の魔法属性が強い魔草は、ベルーゼの山に自生しているものだ。魔力が強すぎて、なかなか使い道が限られている魔草だ。
冷え性の特効薬でもある。
「それから、これは、風の魔力がすごいの。
この茎の青は、風属性が強い証拠でね。
魔導具で測ると、青く瞬いて眩いくらい風の魔力が強いわ。
えっと、それから、酵母の多い果物の代表はこの紅野葡萄。
多少、条件が悪くても、2日でぶくぶく発酵するから」
ユリアは、さらにいくつか候補を並べた。
「私が選んだ、最強のパン酵母候補よ」
ユリアは自信満々だったが、料理長たちは密かに不安だった。
――最強すぎませんか、お嬢様……。
そう思いながらも、とりあえず見守ることにした。
ユリアは、これまでの手順通りにパン酵母を作った。
2日後。
魔力がこもった材料を使ったわりにぷくぷくと泡立ち、酵母らしい酵母が出来上がった。
今日は、いよいよパン作りだ。
料理長たちにも手伝ってもらってパン生地を作る。
生地を発酵させる。
ほんのり温めたお湯にボールを浮かべて、その中に丸めたパン生地を入れた。
「さぁ、今日は膨らんでね!
ベルーゼ1号!」
ユリアは、厨房の片づけを手伝ったりしながらちらちらとパン生地を見る。
美味く出来たら食べようと、食糧庫にジャムを取りに行き戻ってくると、
「お、お嬢さま!」
と、厨房の下働きに呼ばれた。
慌ててパン生地を見ると、まだ20分も経っていないのにパン生地が3倍くらいに膨れていた。
「せ、成功?」
なぜか疑問形になってしまった。
――魔草を入れたのがマズかった?
と、ちらりと思いながらも次の作業に入る。
パン生地は、どんどん、元気に成長していく。
「これは、成功の予感がするわ。
焼きましょう!」
「そ、そう、ですね」
料理長たちには、不安な予感がした。
成形し二次発酵も終えて天板に並べたパンをオーブンに入れる。
コルネール家のオーブンは最新式で、中の様子を見られるガラス窓が付いている。
ユリアと料理長は、頻繁に中の様子を見ていた。
30分くらいで焼きあがる予定だったが、わずか10分でパンが倍に膨れている。
まるで膨らし粉を入れ過ぎたパンのようだ。
15分で3倍に膨れてオーブンが生焼けのパンで一杯の様相を呈してくる。
「……お嬢様……」
料理長の言いたいことはわかっている。
オーブンの天井をパンが攻撃しそうなのだ。
「……取り出します……」
ユリアは身を切られる思いでまだ生焼けのパンを取り出した。
パン生地は、膨れたと言うより、爆発したと言いたくなるくらい、凄まじく膨らんでいた。
「ふ、膨らませるという点に関しては、大成功ですよ、お嬢様」
「そ、そうよね! ベルーゼ1号! よくやったわ!」
ベルーゼ1号は、半分に切って焼き直し、乾燥させてからすりおろしてパン粉にした。
でも、ユリアにとっては、成功への第一歩だった。
その後、ユリアは、料理長に懇願されて、魔力たっぷりの魔草を入れるのは止めた。
魔力が少々、含まれている程度の薬草を使うことにする。
ユリアは、試作品を作りまくった。
連日、コルネール家には、膨らみすぎたり、少しふくらみが足りなかったり、香りが独特すぎるパンが焼きあがった。
香りが独特過ぎるパンは、香辛料たっぷりのシチューの具にしてもらった。
コルネール家の料理人は、腕が良かったのでなんとか食べられた。
試作品のパンを、お菓子にも加工した。
邸の使用人たちは、毎日、お土産にもらった。
ユリアがパン酵母を研究し始めて半年ほどが過ぎ、大成功したパンが安定して焼けるようになったころには、ユリアも美味しいパンのごとくふっくらしていた。
完成したパンは、自然の恵みのように芳醇だった。
ナイフで切ると、酵母の材料の野葡萄や甘い香草の匂いがふんわりと香る。
やわらかな風味なので、料理とも合う。
「信じられないくらい美味しい」と大好評だった。
丁度よく膨らんで、パンの皮部分は香ばしい。
この味わいと食感は、酵母パンならではだ。
次は、流通させ、ベルーゼのパンを有名にするのだ。
そこで、初めて、農業協会をぎゃふんと言わせることが出来るだろう。
ベルーゼ領の野葡萄や林檎を潰し、甘い根菜をすりおろし、さらに香草を加えて仕込み発酵させると、「ベルーゼパン酵母」が出来上がる。
ユリアは、小麦の種を送った南部の領地に、「ベルーゼパン酵母」を使ってもらおうと考えた。
父、フェルナン・コルネール公爵は、コルネール家の息のかかった商人を間に入れてパン酵母を販売した。
ユリアを表に出さなかったのは、エフェル伯爵に目を付けさせないためだ。
価格は、ユリアの願いで、手ごろな値段とした。
おかげで、南部では、ベルーゼパン酵母が速やかに広まっていった。
だが、王都での知名度はまだ足りない。
フェルナンは、ベルーゼのパンで王都に殴り込みをかけるべく、カフェを開いた。
そこからは怒涛の勢いだ。
ユリアは、カフェのメニューを考えた。
必死に考えて、思いつく。
酢と油と卵黄と塩を充分に攪拌して作ったソース、名付けて「マヨ」。
マヨが優れたソースだと気付いた料理長は、ゆで卵と和えたり、蒸した鶏肉と混ぜた。ほっくりした茹で芋も合う。
朝には美味しいパンの焼ける匂いを店の周りに漂わせ、食事の前のちょうど空腹を感じるころには厚切りトーストと上等のバターの匂いが通行人の食欲をくすぐった。味見用に、パンの小袋も配った。
ベルーゼパンを薄く切ってバターを塗り、「マヨ」で和えた具を挟む「おかずパン」は、連日午前中で売り切れてしまう。
急遽、追加でひとを雇い入れた。
カフェ「ベルーゼ」は、大人気のパン屋兼カフェとして王都で人気を博す。
同時に、ベルーゼのパンは王都では知らないひとがいないくらいに、短期間で有名になった。
フェルナンは、娘の護衛を増やした。
エフェル伯爵は良い噂を聞かない。
ユリアのおかげで、エフェルは、そうとう資産を減らしている。
南部の小麦の隆盛は、王妃のおかげだろうと、エフェルは思っている。
おかげで、ジネブラ妃は、恨みをかっている。
フェルナンは、心配ではある。
だが、王妃は慎重なひとだ。
イレーヌ妃にも狙われているので、優秀な護衛だけでなく、防犯の魔導具を装備している。
呪薬でも使われなければ、大丈夫だろう。
――エフェルは力を失っているしな。
のちに、「あんな美味いパンが焼ける小麦が、なんで2等?」とさんざん騒がれて、農業協会に入り込んでいた不審者を暴く結果となり、エフェルは罪人として捕まった。
◇◇◇
「ずいぶん、苦労したんだね」
ローレンはユリアの髪を労わるように撫でた。
ユリアには、なるべくゆったりしてもらっている。
今も、心地よい王妃の居間にいる。
「ぜんぜん。
苦労なんて、してないの。
夢中になってしまうと、それにかかり切りで居る方が良いの。
もう、やりたくて仕方がないから。
我慢する方が辛いくらい」
「さすが……」
ローレンは苦笑した。
――魔導士研究オタク思考だ……。やはりユリアには、しばらく農業関係の仕事を見せるのは控えた方がいいかな。
ユリアは、気が付けば休息や食事よりも研究を選んでいる。
悪阻もあったおかげで貧血を起こしたのは自業自得だ。
でも、ローレンは、ユリアのせいにするつもりはなかった。
ユリアの研究オタクは知っていた。
それでも、ユリアを愛し、自分の妃に娶りふたりの子が欲しいと願ったのは自分なのだから。
「ユリアのおかげで今では、北部も南部も、美味しいパンが食べられるようになったよ。
でも、まだ、西部と東部の端は、丁度、パンの恩恵が得られない地域になっているけどね……」
ローレンが、ふと遠い目をした。
ユリアは、ローレンの少し寂し気な目がわかる気がした。
――シオン様は、たしか……。
シオン王は、良い父親ではなかった。
ローレンと触れ合うこともなかった。
ただ、ジネブラ妃が懐妊し第一子が生まれたおりには手放しで喜んだと、それだけは聞いている。
たったそれだけだ。
ローレンは、母である王妃から聞いたことがある。
「私も、もっと、寄り添えば良かったのでしょうね。親しくなる機会はあったのよ。
彼は、優しいだけのひとだった。
若いころの私はプライドが高く、彼を愚かだと見下していたわ」
王は、退位をあっさりと受け入れた。穏やかに表情も変えず頷いた。
その態度だけは立派だったと、皆は認めた。
今、前国王とイレーヌ妃は、南西部の端にいるという。
流通は、そんな国の端は十分ではない。
酵母のパンが食べられる地域ではないだろう。
「あの……ベルーゼの小麦粉とパン酵母を、お父様のところにお送りしたらご迷惑かしら。
品質保持のための魔導具付き容器に入れれば、パン酵母を良い状態で送れると思うの」
「迷惑ではないと思うよ。
不便なところらしいから。
宰相に問い合わせてみよう」
その後、宰相から了解を得て、ユリアは小麦粉とパン酵母を送った。
添える手紙は、さんざん悩んで、『季節の変わり目ですので、どうかお体ご自愛下さいませ』というごく無難なカードになった。カードには手作りの押し花を添えた。
2か月ほどのち。
シオンからお礼の手紙と、魔導具付きの容器には独特な風味の香草が入れられて送られてきた。
香草は、一応確かめられたが、非常に珍しい、生命力を高める魔草だった。妊婦にも良いらしく治癒師と相談しながらいただくことにした。
『パンというものを、初めて、みなと一緒に捏ねて、焼いてみた。
それはそれは、美味く焼けて、みなと賞味した。
また送ってもらえると嬉しい。
ローレン。
お前が優しい妻を娶れた幸運を、この地より寿ぐ。
すまなかった。
国を頼む』
手紙にはそうあった。
王がパンを捏ねるなんて、楽しすぎる、とユリアは思い、ローレンも笑っている。
イレーヌを国に入れたことは『すまなかった』の一言では済まされない。
だが、国王は若くして瘴気の地へ追いやられた。
父は息子であるローレンに嵌められ僻地に送られることを、無抵抗に受け入れ、恨み言ひとつ言うことなく「すまなかった」と述べている。
闘いは終わったのだ。
少なくとも、心のわだかまりはあらかた消えていた。
さらに、絵が2枚同封されていた。
1枚は、一面、紫色の野菊の咲く風景画。
もう1枚は、数人の人物画で、「ここでの家族」と記されていた。
――でも、イレーヌ様は、おられない?
ユリアの疑問に、なにも言わないうちにローレンが答えた。
「イレーヌ夫人は、体調を崩されて臥せりがちだそうだ」
「……そう」
それでも、「家族」の中に居ないのが少し気になったが、触れることでもない。
「家族」と記された絵は、背景はそう大きくはない邸だ。
庭に立つその人々は、どうやら、使用人の服を着ている。
みな、穏やかに微笑んでいる。
シオン前王が、幸せに暮らしておられるのがうかがえる、優しい絵だった。




