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(パン作り秘話1)

ブクマや評価や感想をありがとうございます。^^






 ユリアが倒れた。

 妊娠中だというのに。

 狼狽えたローレンはユリアのそばを離れなくなった。

 やむなく、母ソフィア夫人が駆け付け、ローレンを部屋から追い出した。


 それから……。

 ユリアの懐妊が知れ渡ると、なぜかローレンのそばに纏いつく女が増えた。

 妻の妊娠中に浮気をする男は珍しくないが、国王の側室狙いらしい。


 それでなくとも神経過敏気味だったローレンの機嫌が悪化した。


「落ち着きなさいな。

 ユリアは、軽い貧血よ。

 もう回復してるって、言われたでしょ」

 ジネブラは狼狽えすぎているローレンに呆れた。

 王の執務室では溜まった仕事をなんとか片付けたローレンが一休みし、ジネブラも優雅にカップを手に取っている。


「……私が王太子からは遠いと思われていたころは歯牙にもかけなかった女たちが群がってきて……」

 ローレンがぶつぶつと愚痴る。

「あーもう、放っておきなさいな。上手くあしらえばよろしいでしょ……って、あなたには無理ね。

 まぁ、その怒気エネルギーをユリアを庇うことに使いなさい。

 ソフィアからも頼まれてるんだけど。

 ユリアは、猪突猛進なところがあるし、生粋の研究者気質だから、あまり興味を引きそうな仕事を見せない方がいいわ。

 パンの研究に燃えていたころは、ソフィアやコルネール公爵がいくら言い聞かせても、自分で馬を駆ってベルーゼ領に走っていきそうになったみたいだから」

「本当に?」

 ローレンは目を見開いた。その頃と言えば、ユリアは12歳だろう。

「周りが見えなくなるそうよ。

 私は、小麦のことでは、ユリアにお世話になってるでしょ。

 公爵から聞いているわ。

 ユリアからの手紙でも知ってるの」


 ベルーゼのパンは、本当に美味い。


 朝食には厚切りのパンをキツネ色に焼き、上等のバターを塗る。香ばしい匂いもご馳走だ。

 半熟卵や新鮮なサラダが合う。


 以前は、そう簡単には手に入らなかった。

 出回る量が少なかったからだ。今では気軽に買えるようになった。


 ローレンは、ベルーゼのパン作り秘話を聞いた。


◇◇


 ユリアは12歳のときにベルーゼ小麦の品種改良を成功させた。

 それで、農業協会で等級の検査を受けることになった。


 ユリアが執事とともに農業協会に小麦を持って行ったとき、注目の的だった。

 少女が籠にいっぱいの小麦とパンを運んできたからだろう。

 ベルーゼ領を治める未来の領主として、ユリアは自分が持っていくのは当たり前だと思っていた。

 多くの職員が群がる中。

 ユリアは、見るからに大粒で良質の麦を職員らに見せた。

「品種改良が成功した麦です」

 と告げながら。


「品種改良が?」

「それはすごいですね」

「麦の品種改良ですか」


 少し遠くからも、関係がなさそうな職員らがやってきて、小麦の粒を覗き込んだ。

「確かに、健康優良児そうな麦だ」

 と、みなが言っている。

「お粥にしても美味しいんです。これは、膨らし粉のパンですけど」

 本当は、酵母のパンが良いのだが、ベルーゼの麦に合う酵母の心当たりはなく、仕方がない。

「ああ、美味しいですね」

「これはいい」


 味見もしてもらった。


 すると、廊下の方から、慌てた様子の男性がやってきた。

「私が検査の担当です! 勝手なことはされないでください!」

 奪い取るように籠を手に取った。


「ケイン、なにを慌てているんだ」

「ご令嬢に失礼なことをするな」


 周りの職員に口々に言われて、ケインと名を呼ばれた男は額に汗を光らせて口を噤んだ。

 ケインという職員は、細面の優男風な男だった。


 のちに、ケインは、検査結果を捻じ曲げるために数々の犯罪を行った容疑で捕まる。

 まだ30代だったがその後の生涯を過酷な鉱山で過ごすことになる。

 ケインは、本当は、ベルーゼの小麦を3等級のままにするつもりだった。そうエフェルに頼まれていたからだ。

 だが、ユリアが他の職員に粒ぞろいの麦を見せてしまい、パンの味見までさせてしまったため、小麦を廃棄することができなくなった。


 捕らえられたときに、そう証言していた。


 ユリアも、あるいは他の誰も、そんな経緯などは知らないが、ベルーゼの小麦は2等級という結果になった。

 本来なら、十分に1等級の品質であったにも関わらず。


 ユリアは農業協会を見返してやる、と闘志を燃やした。


「うちの小麦なら、国一番に美味しいパンが焼けるわ!」


 そこからまた闘いが始まった。

 ユリアは、マリアデアでは困難な、パン酵母でふっくらさせたパンを目指した。

 マリアデア王国のパンの多くは、膨らし粉を使ってふっくらパンを焼くのだ。


 ユリアが酵母のパンこだわったのは、ベルーゼ小麦が強力粉だったからだ。

 小麦粉には「薄力粉」「中力粉」「強力粉」と種類があり、ベルーゼの小麦は、わずかに中力粉よりの強力粉だった。


 ゆえに、酵母菌のパンが合う、はずだった。


 「パン事情」は、国によって違う。

 とは言え、魔素や瘴気の少ない国なら、どこもそう違わない。

 魔素や瘴気は、生き物に影響を与え、動植物のもつ魔力量を増大させる。


 魔力が小麦に含まれるか否かが、パンを決める。


 マリアデア王国のように、地域によって瘴気や土中の魔素が違う国だと、小麦の産地ごとに酵母の働きが違う。

 小麦に微量に含まれる魔力に、酵母は左右される。

 そんなわけで、なかなか地元の小麦と相性の合うパン酵母が見つからない。


 その結果、マリアデア王国のパンは、膨らし粉で膨らませたパンが多い。

 酵母菌を使ったパンは、たしかに風味があって美味いが、「癖があるから食べ難い」というひとも多い。


 ユリアは、なぜだか、「すごく美味しい酵母菌のパンができるはず」という信念を持っていた。


 どこからその信念がやってきたのだろう?

 ……と、ユリアの周りの誰もが思った。

 ユリアは、とりあえず、手近な材料でパン酵母を作ってみた。

 干した野葡萄と甘い根菜のすりおろしを使った。

 暖かな場所で3日ほど置いた。

 しゅわしゅわと泡が出て発酵し始めたのでベルーゼの小麦粉と合わせて捏ねて、パン種を発酵させて、と通常の手順通りにパンを作った。

 できなかった。

 膨らまない。

 かちこちのパンを、よく砕いてシチューに混ぜてもらった。

 もったりとしたシチューを、みなで食べた。


 ユリアは、いったん、試みをやめた。

 こうなることは、わかっていたのだ。

 わかっていたことを確かめただけだ。

 ベルーゼの小麦には、魔力が含まれている。


 マリアデア王国の小麦は、大雑把にわけて、南部の小麦と、北部の小麦がある。

 北部の小麦は、収量も多いし、流通もしっかりしている。

 流通の拠点に、エフェル領がある。

 エフェル伯爵が、北部の小麦を配下に収めている……と言われている。

 実質的には、そうなのだろう。

 流通の要にある領地だし、交易路の整備を担っているのもエフェル領だ。


 一方、南部の小麦畑では、ユリアが品種改良した小麦が出回るまでは収量が少なかった。


 収量が少ないのに、とても手をかけて小麦を育てていた。

 収穫のころには、農民たちは、毎日、何度も、空を見上げた。

 収穫に適した気候であれば、麦の育ったころに、こんなに不安にならない。

 熟した麦に雨が当たると品質がとても落ちるのだ。


 今では違う。

 品種改良した小麦は、早生で雨に強かった。

 北部ほどではないが、以前の倍も収量は増えた。等級もこの度2等に上がった。


 ベルーゼ領は、南部の小麦畑だった。


 南部の小麦には、魔力がこもっている。

 北部の小麦にも、魔力はある。

 違いは、ほんの僅かだ。

 だが、そのほんの僅かな魔力の違いが、酵母に大きな影響を与えてしまう。


 古代の研究者がそれを証している。

 魔力の酵母への影響は大きい。常識ともいえる知識だ。


 それに関しては、ただ受け入れればよい。

 受け入れて、対策を考えるのだ。


 ――小麦に魔力を含まない国では、酵母パンが、なんの苦も無く焼けるのよね。

 でも、マリアデア王国の酵母パンは、簡単ではないわ。


 ベルーゼ小麦のパン酵母を作ろうと試み始めから、早くも2か月が過ぎた。

 傍目には、ユリアは、ただ思い悩んでいるように見える。

 実際、思い悩んでいた。


 ユリアは、食料品の店から、市販のパン用酵母を買ってきた。

 かなり高価だ。

 ――こんなにお高いから、酵母のパンはあまり売られないのよね。

 膨らし粉のパンの方がお手軽だわ。


 ユリアが買った酵母は、エフェル領で作られ販売されていた。

 一番、一般的なものだ。

 ただ、北部の小麦用なのだ。

 試しに使ってみたが、やはり、ふくらみが悪い。

 ユリアが前に作ったカチカチ酵母パンよりはだいぶマシだが、これでは売り物にはならない。

 これも砕いてシチューに入れてもらった。

 今度はもっとパンらしいパンを作りたいものだ。厨房に申し訳ない。


 ユリアは、残ったエフェル製のパン酵母を調べてみた。

 まずはぬるま湯でほぐして、匂いを嗅いでみる。

 やはり、少しお酒っぽい匂いがする。

 パンを捏ねるときにも気が付いていた。

 酒も、発酵食品ではある。

 ――酒種を使ってるみたいね。


 とは言え、まるきり酒という匂いでもない。

 いろいろと混ぜてあるのだろう。

 鑑定の魔導具で、試しに魔力をみてみた。

 魔導具が、微かに瞬く。

 ――え? 魔力が、ある……?


 ないはず、だった。

 ないことを確かめるために、鑑定の魔導具を使った。

 それなのに、魔導具は反応した。

 魔力が酵母の邪魔をするはずなのに、パン酵母に魔力が含まれている。

 微弱ではあるが、それでも、わずかでも、魔力が酵母に与える影響は大きい、はずだ。


 ――もしかして、酵母の邪魔にならない魔力がある……?


 市販の酵母の魔力は、か弱すぎて詳しくはわからない。

 もう少し強ければ、魔力の色が見えるだろう。

 鑑定の魔導具がほんの僅か反応する程度では、正体不明だ。

 それでも、確かにあるのだ。


 ユリアの脳裏を、さまざまな知識の断片が走り回る。


 酵母の働きは、素材を変化させることだ。

 その結果、粘りのあるパン生地になり、さらにガスが発生して、そのガスが焼かれることで膨張して、ふっくら柔らかいパンになる。


 ――そうだわ、素材を変化させる性質をもった魔力なら、酵母を助けるかも。


 ユリアは、魔力の性質を思い浮かべる。

 代表的なよくある魔力の属性は「火」「水」「土」「風」の4つだ。


 「変化」という性質を持っている魔法属性は、「火」だ。

 たとえば、火の属性をもつ植物は、触れると炎症を起こしたりする。


 植物のもつ火の質が、皮膚表面を刺激し、影響を与え、反応を引き起こす。

 簡単に言えば、皮膚表面の変化を引き起こすのが、「火」という魔法属性だからだ。


 「水」や、「土」には、そういう質は低い。

 「風」は、軽さや空気の質だから、パンには良いかもしれない。

 なにしろ、酵母で作られるのはガスだ。


 ユリアは、活動を開始した。

 すぐさま、邸の護衛隊長のところに行った。

「隊長! ベルーゼ領までお願い!」


 隊長は苦笑した。

「お嬢様、まずは、お着替えになられたり、弁当を作らせたり、奥様や執事殿に報告しておいたり、なさってください」



最終話は明日の9時です。

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