(国王、その後)
ブクマや評価や感想をありがとうございます。エネルギー源にさせていただきました。
「国王その後」をupします。ざまぁありです。
「パン作り秘話」は長くなり2話となりました。明日と明後日に投稿します。
完結後、誤字の修正や少し手直しをしました。内容などはそのままです。
誤字脱字報告も、ありがとうございました。
国の南西の端にある古ぼけた邸に、元国王シオンはやってきた。
イレーヌもそのうち来る予定だ。
イレーヌは抵抗したために、先に到着したのはシオンだった。
シオンは「これで休める」と頬を緩めた。
まだ50歳にもならない、40代も半ばでシオンは老けて見えた。
顔立ちは良いというのに、どうもみすぼらしい印象がある。
覇気がない。
覇気など、あったことはない。
別荘に持ってくるのにシオンが選んだのは、画帳と、書きやすいペン。
それに、読むつもりで放っておいた本を数冊。
別荘の管理人ふたりが元国王を出迎えた。
中年の兄と妹だ。
それに、通いのお手伝いと庭や厩の世話をする使用人、護衛も紹介された。
邸には幾つもの防犯の魔導具が設置され、誰も入れないが、誰も出られない。
出入りは、防犯装置に登録された魔力波動をもった人間だけだ。
シオンとイレーヌは、入るだけで出られない――はずだ。シオンはそう聞いている。
その日は長旅の疲れで早く休んだ。
明くる日。
シオンは早くから起きて日課の散歩をした。
大して大きくもない邸だ。
邸というより、家かもしれない。
広い庭にぽつんと建っている。
シオンはその広い庭をさんざん歩き、朝食を食べ、庭先で絵を描いた。
絵は、細々と続けている。
以前に、絵を見せた側近に、陰で「退屈な絵」と言われてから、ひとには見せない。
国王ゆえに、退屈な絵でも、見ればひとは褒めなければならない。
それでも熱心に描いていると、別荘の管理人の妹が茶を運んできてちらりと見た。
「ああ、茶か」
とシオンは顔を上げた。
「お邪魔をしまして申し訳ありません」
夫人はそう詫びた。
茶色い髪と瞳の感じのよい女性だ。
ザザという名だと聞いた。
王宮ではひとが多すぎて、侍女の名など覚えていなかったが、ここはひとが少ないので覚えるのが楽だ。
「良い。
茶をもらおう」
シオンは画帳をテーブルにおいた。
ザザはしげしげと絵を見た。
「絵は好きか?」
気まぐれにシオンは尋ねた。
「はい、初めて見ました」
「この地に絵はないのか?」
「いえ、私は、ただ見る機会がありませんでしたので。
幼いころに絵本を見た記憶も、もう残ってませんし。
本の図とかそういうのは目にしても、こういう絵は初めてな気がします。
楽しくて、綺麗で、良いものですね」
「そうか。
もっと見せようか」
シオンは画帳を開いて自分の描いた絵を見せた。
ザザは、シオンが手をかけた建物の陰影のところで目を凝らしたり、隅に描いた鳥の巣を見て微笑んでいる。退屈な様子はないので、気が済むまで見せた。
ザザは、昼飯の支度でやむなく下がるまで熱心に画帳をめくっていた。
ここでの暮らしは、案外、良いな、とシオンは思い始めていた。
すっかり暮らしに慣れたころ、イレーヌがやってきた。
シオンが来てから、すでに3週間は過ぎていた。
シオンが王都を出るころ。
イレーヌをここに閉じ込めるために、リグラスが説得をしていた。
もっと日にちがかかると思っていた。
もしかしたら、イレーヌには二度と会えないかもしれないと思っていた。
それが、わずか3週間で来たのだ。
リグラスは意外と優秀ではないか、とシオンは感心した。
イレーヌを操ることなど、シオンにはどう頑張っても出来ない。
イレーヌを力づくで抑えなかったのは、イレーヌが隣国の元王女だからだろう。
表向き、イレーヌに、にこやかに別荘に向かって欲しかったのだ。
そんなことは、無理だろうとシオンは思っていた。
ドマシュ王国は、19年ほど前に、イレーヌをマリアデア王国に押し付けた。
イレーヌの父親は国王だが、母親は男爵家の庶子だった。
一応、王女だ。必要な教育は受けさせた。
だが、金遣いは荒く、王宮で男を漁り、素行がすこぶる悪い。どうやって始末しようかと裏で検討していた。
それを、隣国の愚かで若い王が引き取ってくれた。
どうでもよい娘が、良い働きをしてくれた。
それが、別荘に隠居させられることになった。
ドマシュ王国としては、見て見ぬふりが一番、楽だ。
とは言え、イレーヌが騒ぐようなら、見て見ぬふりは出来ないし、そこに付け込むもうとするのがドマシュ王国という国だ。
ただ、付け込むと言っても、簡単ではない。
イレーヌを押し付けるときに、もう戻ってこないよう、契約を交わした。
マリアデアの外交部はそうとう腹を立てていたので、厳しい条件を飲まされた。
たとえば、イレーヌは、ドマシュ王国から侍女を連れて行ったが、侍女には魔導具を着けさせ、マリアデアの機密が漏れないよう制約を与えた。それを破ったら法外な違約金を払わされる。
イレーヌが犯罪行為をして離縁となっても同様だ。
今回はどういう決着となるのか、実のところイレーヌのために金を払いたくないので、ドマシュ王国は様子見をしていた。
マリアデア王国の方では、若干、イレーヌを嵌めた側面もあるので、ドマシュ王国には恨みつらみはあるが、イレーヌが大人しく別荘に引っ込むならそれでよしとするつもりだった。
イレーヌの侍女たちは、契約違反をしていた。着けさせた魔導具を壊したのだ。
もう、これだけで、莫大な金をドマシュ王国に請求できる。
請求しようか、という話ももちろんあった。
だが、その魔導具自体が、マリアデアの機密なのだ。
魔導具を破壊してしまった侍女5人は、徐々に精神を病んでいる。
マリアデアの機密を、信用ならない隣国から守るために作ったものだ。
馬鹿な侍女たちだ。
イレーヌがもっとも愚かなのだが、そういうわけで、侍女らは地下牢で残り短い寿命を迎えてもらう予定だ。
それで、イレーヌは、大人しく別荘に引っ込んでくれればよい。
できれば、穏やかに、自ら馬車に乗り、別荘に向かってもらう。
祖国ドマシュ王国にも、「引退することにしたわ」と、ドマシュ王国の外交官を通じて一言、別れを告げてもらえれば理想だ。
リグラスと宰相は、イレーヌをなだめ、騙し、脅し、それをやってのけた。
まず、イレーヌの病んだ侍女たちを利用した。
イレーヌが魔導具を壊させた結果、こんな有様になったと、もっとも状態の悪い侍女を見せた。
侍女に化粧をほどこして、さらに酷い状態に見せかけるアイデアは、リグラスが思いついた。
脅すのも、あまりショックを与えすぎてイレーヌがパニックを起こすだけでは結果が思わしくないので、宰相とリグラスと、事情聴取が上手い裏任務の者や、経験の豊富な侍女長が話し合った。
国王を、一足先に別荘へ送ったのも、宰相と侍女長の考えだ。
イレーヌを不安にさせるためだ。
その前に、国王にも、一芝居うってもらった。
とは言え、国王には芝居などできないので、リグラスが隣でフォローしながら、必要なセリフを言ってもらうように仕向けた。
その時も、宰相が裏で監督をしていた。
みなの知恵と才覚と演技と小細工の結果、イレーヌは、こちらの望むように動いた。
3週間後にイレーヌが別荘にやってきたのは、そういう経緯だった。
やってきたとたん、別荘の穏やかな暮らしは終わりを告げた。
イレーヌは、朝から晩まで、文句を言い続けた。
よくもまぁ、思いつく。
使用人たちの挨拶の仕方から、窓の景色から、庭の芝生から、茶の渋味から、素朴なカップから、ベッドのカバーから、カーテンから、なにもかもを貶した。
シオンは、自分の妻が化け物に見えた。
機嫌を損なうと面倒なのは知っていた。だが、今までは広く美しい王宮で多くの者に囲まれていたために気にならなかった。
時が戻れたら、こんな女は第二妃にしなかった。
ここは王宮ではない。
シオンは、自分が罪人として追いやられたことを理解し、受け入れた。
亡き父に、お前は王命を使うな、と厳しく言われていた。
父の言葉を忘れたわけではなかった。
自分の選んだ第二妃が望んだゆえに、叶えた。
哀れなリグラスのためでもあった。
結末はわかっていたので、驚きもない。
リグラスは、シオンに似ていた。「無能」だと陰で囁かれていた。
ローレンは、ジネブラに似ていた。彼は労せず手に入れるだろう、尊敬も信頼も、成功も。
あの美しい娘を、イレーヌがみすぼらしいと言い、面食いなリグラスが拒絶したのだけは、最後まで謎だった。
そんな話をしたら、ザザが、
「認識阻害の魔導具を使っていたのでしょう」
と教えた。
「シオン様は、魔導が上手なので、引っかからなかったのですよ」
シオンは、そんな風に、裏も表もなく褒められたのは、初めてだ。
イレーヌの文句が特に多かったのは、食事だ。
イレーヌは、ザザが勧めるスープやサラダは決して食べなかった。
「銀器が変色したのは香草のせいです、毒ではありません」
ザザが説明しても、怒鳴りつけて熱いスープを投げつけてくる。
シオンが美味いと食べていると「解毒剤ね」と言うのだ。
シオンは首をかしげるしかない。
あげく、鬼のような顔で「解毒剤を寄越しなさいよ」と、ザザにもらったハッカの飴や、髭剃りのクリームや、庭師がくれた木の実をすり潰した素朴な菓子をむしり取っていくのだ。
髭剃りのクリームを嘗めていたのには驚いた。
「害はないので問題ないです」
とザザはシオンを安心させ、苦笑した。
これ以上、ザザや手伝いの者たちに犠牲を強いるわけにはいかない。
シオンは「もう彼女にはスープは出さなくて良い」と頼んだ。
イレーヌがあれこれと文句を言えば、「わかった、わかった」と宥め続けた。
シオンにはなにもできない。
ただ、気休めを述べて宥めるだけだ。
たとえそれで、イレーヌが余計にイラついたとしても。
◇◇◇
半年後。
宰相は、いつものように、ザザからの手紙を受け取った。
――思った通りだな。
ザザの手紙は、最初の数通は、しごく穏やかだった。
前王は平穏に暮らしていて、威張ることもなく、優しい方だ、とまで書いてある。
『絵を描くのがお上手で、見せていただくのが楽しみです』
とあった。
それが、イレーヌが来たとたん、不穏となった。
ザザが手紙で嘆いていた。
『シオン様の優し気で、可愛らしくて、素敵な絵を、イレーヌ様が「へたくそ過ぎて気分が悪い」と破り捨ててしまったのです』
と、ザザの泣き顔が見えるようだ。
宰相は、ザザを知っていた。
元魔導士で、研究者なのだ。
邸の管理人は、体を悪くして引退した兄と、彼の妹だ。ザザは事故で夫を失っていた。
『イレーヌ様は、お勧めしたお食事は、召し上がられません』
とザザは書いている。
「だろうな」
宰相はひとり頷く。
南西部アウロラの森にある別荘を選んだのは宰相だ。
ドマシュ王国から遠く隔たっている。
瘴気の流れが変わって危険で放置された邸を使うことにした。
研究を兼ねて、引退したマキシーとザザの兄妹が住んでいた。
データを取って記録する代わりに、生活費と家賃は国が払い、幾らかの給金が出る。
今回は、さらに、シオンとイレーヌの面倒をみる手間賃もつけた。
瘴気の研究は国家機密だ。
マリアデア固有の性質を持った瘴気の情報は、国の弱点でもあるからだ。
ゆえに、罪人で外国人のイレーヌには話せない。
「あの薬草は、瘴気の悪影響をなくし、むしろ、健康を促進する、とザザは言っていたな」
だから、その薬草を多く食事に使っていた。
シオンは「なかなか美味い」と喜んで食べているらしい。
イレーヌは銀器を持って行った。
銀の食器は、毒で色が変わる。
だが、色が変わるのは、毒だけとは限らない。
我が国には魔力含有量の多い薬草、「魔草」がある。
イレーヌが騒げば、邸の者は、毒ではないと説明したはずだ。香草なのだと。
それ以上の説明は、機密が関わるので話せない。
イレーヌは、納得しなかっただろう。
瘴気の地で暮らし、なにも手を打たなければ、確実に体は蝕まれる。
過去、他国であった例だが、壮健な若者が2年でやせ衰えて死んだという。
そんな書物の知識が、脳裏をかすめる。
――あの女狐は、いつまでもつかな。
ひとを信じることを知らない者に、毒と薬の区別はつくだろうか。
さらに2か月後の手紙には、イレーヌは寝込んだきり、ほとんど起き上がれなくなった、とあった。
宰相は、読み終えた手紙はこれまで通り関係書類のファイルに収めた。
◇◇◇
イレーヌは、あまり手がかからない。
神経の痛みがあるために疲れるのだろう。疲れて寝ていることが多い。
研究者のザザは知っている。
纏いつく痛みは死ぬまで続く。
ザザは、シオンとともにイレーヌの面倒をみると、眠ったイレーヌを置いて部屋を出た。今日は、通いのお手伝いは休みだった。
――シオン様は、本当にお優しいのね。
ザザは、使い終わった湯をバケツに入れて運ぶシオンの後ろ姿を見つめる。
シオンは、「暇だから」とイレーヌの世話を手伝ってくれる。
まさか、元国王にそんな真似をさせていいのかわからないが、彼が自分から手を貸してくれるので、有難く頼っている。
イレーヌがここに来て8か月ほどになる。
瘴気毒の症状は顕著だ。
イレーヌが、香草と野菜のスープを飲まなかったからだ。
瘴気の森の別荘で過ごし、ひと月ほどで体調が悪くなり、イレーヌはとても大人しくなった。
「気怠い」としきりに言うようになり、文句が減った。
しんどいのだろう。
瘴気の影響で、ぼんやりするのだ。
それに、瘴気に触れ続けた喉の衰えは、イレーヌの喧しい声を奪った。
おかげで、また、別荘に静寂がもどってきた。
ザザは、密かに安堵した。
あの罵声の嵐が続いていたら、手伝いの女性が辞めそうだったからだ。
それが、ひと月ほどで静まった。
イレーヌは、どんどん弱っていった。
ザザは、香草をごく少なくして、スープを作ってみた。
それでも、やはりスープを払い除けられた。
弱ったあとには、痛みがくるのだ。瘴気の毒が深くに浸透している。
弱る前なら、イレーヌは痛み止めを欲しがって騒いだかもしれない。
もう、欲する声は出ない。
今は、食事はシオンが香草入りスープを飲ませている。
だが、手遅れだ。
ここまでひどくなっては、回復はしない。
スープは、ただ延命を助けるだけだ。
果たして、苦しみながら寝ている状態で、延命させるのはイレーヌにとって良いことか。
――でも、亡くなってしまうのも、少し困りますもの、ね。
ドマシュ王国から文句を言われたら困るのだ。
――この状態で、我慢してもらいましょう。
「ザザ、また写生に行くか?」
シオンが振り返って尋ねる。
「ええ、ぜひ」
ザザは微笑んで頷いた。
シオンがザザの手伝いをするのは、ザザの仕事が早く終われば一緒に過ごせるからだ。
イレーヌが来て、シオンの絵を貶して破いたときは、ザザは破れた絵を手に涙をこぼしていた。
ザザが気に入った絵だった。
ザザが行ってみたい、と話していた海辺の町を描いた。
シオンは国王だったので、外交であちこちに行った経験がある。
思い出せば、たいていの国の絵を描ける。
シオンは絵が貶されたことよりも、のちに部屋でひとり泣いていたザザの姿の方が胸に堪えた。
最近、シオンは、野花の中で花摘みをするザザを描いている。
以前は素描だけだったが、今は絵の具を使う。
ひとを描くのは初めてだ。
「私は、こんなに可愛くはないですよ」
と頬を染めるザザは可愛らしいと思う。
シオンは、ここへ追いやられて良かった、とつくづく思う。
王都にいたころよりも体調も良い。
ここはとても穏やかで、平和だった。




