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(1)

 親や周囲のものに甘やかされ、途方もなくワガママに育ってしまった者がいる。

 教育に失敗した人間だ。

 魔獣のように理性に欠け、淫魔のごとく欲望に忠実で、盗賊のように道徳心がない。


「ユリアの婚約者となるリグラス王子はそういう少年だ」


 父から容赦無く言われた言葉に、ユリアは思わず身を固くした。

「お断りすることは……?」

 なんとか掠れた声を絞り出した。

「国王陛下からの申し入れなのでね」


 ユリアはコルネール家の長女。

 婚約者はいない。

 今年14歳。王子とは同い年だ。健康体。

 長男の兄がいるので結婚は割と自由。

 つまり、断る理由がない。


 明くる日。

 ユリアは王宮に向かう馬車に両親とともに揺られていた。

 ――眠い……。


 今日は婚約者殿との初顔合わせだ。

 昨夜、父から第二王子リグラスがどういう人物か聞いた。

 おかげで、眠りが浅かった。

 そのうち婚約することは覚悟していた。第二王子が我儘と聞いたこともある。けれど、父が深刻な顔をするほどとは思っていなかった。

 以前から少しずつ説明があったのだ、ただユリアがよく聞いてなかっただけで。

 ここのところユリアは、領地の香草と果菜の苗のことでかかりきりだった。


 村の周りで採れる香草は香りがよくないと相談を受けていた。同じ科の雑草と自然交配し、元の香草とは違ってしまったのだ。

 地元の山野で原種を探す必要がありそうだ。

 果菜の方は、生育時の自然環境によって実の種が増えるという。うまく育てば実は柔らかく味も良いが、硬い種が増えると食味がとても悪くなる。栽培方法を工夫するか、品種改良するか。

 そんなわけで、ユリアは夢中だった。

 聞き流してしまった自信がある。


 王宮の中庭に案内された。

 美しい庭園だ。

 今は盛りの緋色の花が見事だ。大輪のキンポウゲのようだ。

 ――どんな肥料をあげてるんだろ?

 こんなに柔らかく花弁が育ったら、風に弱くない?


 つい、花壇に心がいってしまった。

 さすが王宮の庭師は腕が良い。さぞ、手塩にかけた花たちだろう。


 ……と、不意に大声が聞こえてきた。


「僕はこんな豚と婚約するのは嫌だっ!」


 見ると、金髪碧眼の美少年が、ユリアを指さして睨んでいる。

 ユリアはここ数年、太り気味の自覚はあるが、豚と罵られるほどとは思って居なかった。

 だが、彼の指先は確かに、ユリアに向いている。


「美しい僕の妃に、なんで豚を選ぶっ!

 こんなものが、僕の隣に立つなんて、許さないっ!

 僕をなんだと思っているっ!

 マリアデア王国の頂点に立つ人間なんだぞっ!

 こんな醜いものを僕の視野に入れるなっ!

 醜いものは生きている資格はないっ!」


 リグラス王子は腹立ち紛れに、ワゴンやテーブルの上に綺麗に並べられた茶器を腕で打ち払い、掴み上げた椅子でテーブルを殴った。

 瀟洒な茶碗やティーポットは花壇の方にまで飛んだ。

 ユリアは、陶器の欠片や熱い茶が、キンポウゲの花を直撃したのを唖然として見た。

 か弱い大輪の花はあっという間に無惨な姿になった。

 椅子の背を掴んだまま、王子はさらに泣き喚き怒り狂った。


 耳を覆うような罵詈雑言は延々と続いた。

 数分後。

 叫び疲れたらしい王子の声が掠れてきた。

 王子の実母である第二妃イレーヌが、ようやく王子の叫びが途切れた隙に口を挟んだ。


「茶を入れ直しなさい。

 リグラスの喉が痛んでしまったわ」


 気にするところはそれじゃないだろう、とその場にいたほとんどの者は思った。

 ほとんど、と言うのは、王子とその親である国王と妃は違う常識で生きているらしいからだ。


 急いでテーブルを整えようとした従者や侍女を、穏やかな男性の声が止めた。

「いや、茶はもう要りませんな。

 婚約は取りやめです。

 理由は、もうご存知ですな。

 今日、署名するはずだった書類は、廃棄だ。

 まだ婚約が正式になされる前で幸いだった」


 コルネール公爵の言葉に、誰も返答はない。

 国王も、第二妃も、返す言葉がないらしい。

「では、この婚約は、二度と、蒸し返されないということで良いですな。

 ちなみに、この様子は、魔導具で写し撮らせてもらった」

 公爵は小さな魔導具を懐から取出して見せた。

「ま、まさか、そんな魔導具を無断で……」

 イレーヌ妃の抗議を、公爵は容赦無く遮った。


「王室管理室と宰相の許可はとってありますよ。

 それから、警備の近衛隊長の許可もね。

 そうでなければ持ち込めないでしょうに。

 娘と、王太子になるかもしれない王子との婚約に関わる情報は、残らずとってある。

 当然でしょう。

 こういうことには慎重であるべきと思っておりますのでね。

 では失礼する」


 こうして、ユリアの気の進まない婚約は、目出たく立ち消えとなった。


 まさか、明くる日に、また王族からの婚約申込が舞い込むとは思わなかった。


 申し込んできたのは、ローレン第一王子だった。

 昨日、つつがなく婚約がなくなったリグラス王子の兄であり、リグラスとは王位を争っている最中の王子だ。

 よほどコルネール公爵家の後ろ盾は魅力があるようだ。


 コルネール家は、領主会議の議長を務めている家だ。

 財力、人脈、権力、ともに我が国では傑出した家であり、広大で豊かなコルネール領の影響が及ぶ範囲も強大だ。


 国王は、リグラス王子を王太子にしようとしている。

 リグラスの母である第二妃イレーヌは、隣国ドマシュ王国の王女だ。


 一方、第一王子ローレンは、見目良く優秀で、人格も真面目だ。

 王妃の産んだ王家の長子であり、王妃ジネブラは富裕な侯爵家の出だ。


 第一王子に問題がなければ、王太子とすべきだ。

 それなのに、国王は第二王子を王太子に望んだ。

 波乱の幕開けだ。


 王太子を決める領主会議は、約2年後、リグラス王子の16歳の成人を待って行うと決まっている。

 それまでは、第一王子が王位継承権第一位のままだ。


 リグラスの性質を知っている普通の領主は、了承などしないだろう。

 ただ、国王が望んでいるために、従う領主もいる。

 我が国の王は、独裁できるほどの権力はないが、王国と名がつく程度には影響力を持っている。

 例えば、王室御用達と指定してもらっている諸々の関係者など。

 国王は、王立研究所や王立学園のトップでもある。

 そういったしがらみで、逆らえない者たちが一定数はいる。

 あるいは愚王の方が都合が良いと思っている者もいる。


 ゆえに、ふたりの王子にとって、ここでコルネール家の後ろ盾が得られるか否かは重要だった。


 ユリアにしてみれば、王子との婚約など、災厄が降りかかったようなものだ。


 貴族家の子として生まれ育ち、政略結婚を強いられる覚悟はあったが、王子に豚と言われたのはさすがに堪えた。

 少しはダイエットでもしようか、と思う程度にはショックを受けていた。

 でも、痩せて、万が一、あの異様にワガママな王子との婚約が復活したら嫌だな、とも思った。


 そんなことはないとは思うが、コルネール家の後ろ盾が必要なら、豚でなくなったらまた婚約を無理強いされるかもしれない。


 ユリアは不安で、憂鬱だった。

 今度はローレン第一王子との婚約だ。

 両親や、後継の兄に迷惑はかけたくない。

 それに、父を信頼している。父の決定に従うのが一番だと思っている。

 それでも、どうしても不安だった。


 ローレン王子との婚約を申し入れてきたのはジネブラ妃だという。

 ローレンの実母である聡明な正妃だ。

「ローレンが一目惚れしたらしいわ」

 と王妃は苦笑して居たという。

 全く、苦笑ものだ。

 もちろん、冗談だろう。

 あるいは、政治的な理由で、そういう設定にしたのかもしれない。


 ユリアの姿を、第一王子と王妃は知らないのだろう。

 知っていたら、一目惚れなどという冗談は言わなかった。


 ユリアが小太りだったのは理由があった。


 コルネール家は、長男である兄セオドアが継ぐ。

 長女のユリアは、コルネール公爵領の端にくっついてあるベルーゼ伯爵領を継ぐ予定だった。

 ベルーゼは、貧しい農村がより集まったような領地だ。

 コルネール家の持っている伯爵位を継げば貴族でいられるし、貧しいながらも税収は入るので生きるに困らない。

 とは言え、あんな条件の悪い領地、ふつうの貴族令嬢は欲しがらない。


 だが、ユリアは、自分が継ぐ予定の領地をなんとかしようと、地元特産の作物や苗を運んできて、品種改良したりパンやジャムや乾物を作ったりしていた。

 試作品を味見しているうちに太ってしまった。


 ユリアは、5歳で魔力鑑定を受けた時、魔法属性は水と土、光と言われた。

 3つも持っているのは珍しい。

 ふつうは、1つか2つくらいだ。

 魔導士の家系では4つ5つもある者がいるらしいが、ユリアは、土と水と光があればいい。

 農作物の品種改良をするときに役立つからだ。

 土と光の魔力を与えた植物は、成長が桁外れに早いのだ。


 ユリアには、前世に農大で品種改良を学んでいた記憶がある。

 前世の記憶がどういう仕組みか知らないが、ユリアの記憶は、夢に似ている。

 それでも、確かに、前世の記憶なのだと、直感的にそう思う。


 前世では、おそらく、学生のうちに死んだ。

 学生だった記憶から先がまったくないのだ。


 幼少時から少女の頃の記憶は、果樹園にいたものばかりだ。

 それしかない。

 多分、ユリアは、果樹園の子供だった。


 果樹園には、青紫色の果実がなる小果樹の畑もあった。

 夏になると、低木の小果樹はたくさんの小粒の実をつけた。

 小粒の果実は、甘酸っぱく、栄養価が高かった。

 目に良い成分が入っていた。


 大学では、品種改良の研究をした。

 もっと大きな実をならしたい、もっと甘く、もっと香りよく。そんな願いを叶えてくれるのが品種改良だと当時のユリアは思っていた。

 品種改良は難しい。

 収量をあげても栄養が劣ってしまってはいけない。

 味も大切だ。

 とはいえ、品種改良した作物は、以前とは違う調理の仕方が合う時もあった。

 新しい調理方法で料理すると、元々の作物よりもおいしくなったりするのだ。


 そういう農作物が食卓にあがるまでの全ての過程を研究しようとすると、時間がかかる。

 何年もの月日がかかる。


 でも、魔法があれば、作物の成長を早め、何年もの月日を、何ヶ月という単位に縮小できる。


 前世のユリアにとっては、それこそ、夢の魔法だ。

 だから、この世界に生まれ変わったんじゃないかと思う。


 ユリアは、前世では、志半ばで死んだ。

 半ばどころか、これからという時に、出だしで死んでしまった。

 よほど悔しかったのだろう。

 ユリアの前世の記憶は、研究のことばかりだ。

 名前も、家族も、顔も、何も覚えていないくせに、青紫色の小さな果実の味はリアルに覚えていたりするのだから。

 自分でも恐ろしくなる。


 ユリアは、記憶を徐々に甦らせてから、ベルーゼ領の農作物の研究に夢中になってしまった。


 公爵家の裏庭の一部は、ユリアの畑だ。

 父に頼んで作らせてもらった。

 ここにはユリアの宝物がある。

 幼いころから土いじりが好きだった。

 公爵令嬢のくせして。

 7歳の頃、ベルーゼ領の話を聞き、一番最初に運んできた苗は小麦だった。

 ベルーゼ領の痩せ地に生える小麦は、味がよくなかった。

 三等級の小麦は庶民のパンの材料や、家畜の餌になっていた。

 高級小麦は、ベルーゼでは採れない。

 美味しい小麦にならないだろうか。

 優等な小麦の品種と交配させ、土魔法を浴びせながら育ててみた。

 植木鉢の実験では物足りなくなり、父に裏庭の一部をもらった。

 裏の芝生を土魔法で耕してしまった時の母の顔を忘れられない。

 いつも上品な母が、目も口もあんぐりと開けていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] > 小粒の果実は、甘酸っぱく、栄養価が高かった。 > 目に良い成分が入っていた。 あ!あれだ、蜂蜜味の目薬!
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