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今日の2話目になります。
いつもありがとうございます。
明日も、8時か9時くらいに投稿の予定です。1話だけの場合は9時になります。
結婚式まであと1か月半という頃だった。
「婚儀の件で確認がある」と王宮からお声がかかった。
王宮に着くとさらに謁見の間へと呼ばれた。
護衛のマールスは控室で待機と言われる。
――いよいよね。
6人、とユリアの胸に言葉が浮かぶ。
宰相から父を通じて教えられた情報だ。
イレーヌ妃が我が国に嫁いでから今までで、王宮内で行方不明となった侍女や文官の人数。
イレーヌ妃がかかわると思われるが、証拠はなかった。
1人目の行方不明者以降、宰相や、侍女長、侍従長らが注意をし続けているが、防げない件もあった。
ちなみにドマシュ王国では日常茶飯事だという。
――うちの国で、よくも……。
ユリアは拳を固く握った。
王に謁見する前に魔導具の身体検査を受けた。
ユリアが装備している魔導具は微弱なものだ。
魔力のある人間が、元からわずかに洩れている魔力に紛れる程度の威力しかない。
計算通り、魔導具のチェックはスルーされた。
謁見の間のドアは見上げるほどに立派で細部にまで彫刻がほどこされていた。
重厚な扉を警備の騎士が開ける。
古典柄の美しい絨毯を踏みながら奥へと進む。
そっと呼吸を整えて震えそうな体をなだめる。
――これは武者震いよ。
思ったよりなんともないわ。
品種改良した小麦が結実するときのほうが緊張したし。
初めて国王とイレーヌ妃を見た。
陛下はふたりの王子に少しずつ似ていた。
イレーヌ妃は美女と聞いていたがそうでもなかった。
マッド気味な研究者の興味対象外への美意識はいい加減だが、それ以前に、イレーヌが、感じの悪いニヤニヤ笑いをしているからだ。
どう見ても、犯罪者臭い顔だ。
「この書類に署名せよ」
国王に命じられた。
署名のための台が運ばれ、そのうえに書類があった。
ユリアは、以前にリグラスに見せられた書類とは違うことに気付いた。
状況が変わったからだろう。
以前は、ユリアは未成年で、ローレンと婚約していた。
そのため、国神の名のもとに伴侶を変えて誓い直すような、荒業的な誓約書だった。
今回、ユリアはすでに成人している。
書類は3種類あった。
ひとつは、ローレン王子との婚約を破棄する、というもの。
もうひとつは、リグラス王子との婚姻届け。
さらにもうひとつは、ゼルべガルム神の名のもとにリグラス王子と伴侶となることを誓う、という誓約書。
――……念入りすぎる……。
必死なの? 自棄なの?
ローレン王子に対抗するためだろうか。
確かに、ナナベル皇女との婚約がなくなった今、国内でもっとも条件の良い優良物件はユリアだ。
「早く署名なさいっ!」
イレーヌがキレ始めた。
とても沸点が低いひとらしい。
「で、ですが、これは、ローレン王子殿下の許可なく署名できるような書類ではありませんので……」
「私が署名しろと言ってるのよっ!」
「ですから、まず、破棄するというのがこれでは不可能ですのに……」
「不可能なんかないわっ!
父親である国王が署名してるでしょっ! ローレンは一応シオンの息子だわっ!」
「ですが……」
「小賢しいわね!
シオンっ!」
「署名をせよ。
お前の名は?」
「ユリアと申します」
「国王として命ずる。署名するように、ユリアよ」
シオン王が王錫を掲げ、威圧的にカツンと床に打ち付けた。
――……国王陛下……、とうとうやっちゃったのね。
マズいって、わかってるかなぁ。
そう思いながら、ユリアは署名する。
臣下が王に命じられたら、たとえ国の法律では無効だとしても、とりあえず、逆らえない。
立場的に逆らえない。
荘厳な謁見の間には、近衛たちがずらりと並んでいる。
群青色の騎士服に身を包んだ近衛たちは、誰もが無表情だ。
マリアデア王国では、近衛の上司は国王だが、そのさらに上は国家だ。
国王が法律違反をした場合、近衛は従わない。
その判断は司法が行うし、近衛は聴取に応じる義務がある。
国王が「証言するな」と命じることはできない。
「これで、お前とリグラスは夫婦よ。
みすぼらしい娘だけど、仕方ないわ」
イレーヌが「ほほほほ」と高笑いをする。
イレーヌに「連れて行きなさい」と命じられ、近衛はユリアの腕を掴む。
ユリアが連れて行かれたのは、誰かの私室だ。
ずいぶんと煌びやかな部屋だ。
ソファに座っていたのはリグラスだった。
「ちっ。
本当に来たのかよ。
まぁ、レーナの頼みだから、抱いてやってもいいぜ」
リグラスは気が進まない様子だ。以前よりやつれたようにも見える。
ユリアは呆気にとられた。
「恋人がそんなことを頼むの?
おかしくないですか?
ふたりは愛し合ってるのではないのですか」
ユリアは、後ろ手に縛られた格好で、なるべく離れて立ったままでいた。
リグラスもすぐには動こうとしなかった。よほど嫌なのだろう。
「愛し合ってるに決まってるだろう。
貴様が大人しく婚約しないからだ」
リグラスの台詞は、棒読みのようで力がない。
「好きでもないひとと婚約しない方がよろしいでしょう?
レーナ嬢と婚約すればいいじゃないですか」
「母上が了解しないのだ!」
「国王陛下は?」
「父上は、かまわんみたいだが……」
リグラスは、しばし、考え込む様子を見せた。
「国王陛下の了解があれば、結婚できますでしょう。
お母様が反対されても」
「そんなわけにはいかない。
父上は、私よりも、母の願いを聞く」
リグラスは力なく首を振った。
「だいたい、なんで、私とリグラス殿下は、婚約しなければならないんです?」
「俺が王太子になるためだ。
そんなこともわからないのか」
リグラスが呆れた。
「私と婚約したくらいでは、王太子にはなれませんよ」
「なぜだ?」
「コルネール家の後ろ盾が要るんですよね?
こんな形で無理矢理、娘が結婚させられて、父が黙っていると思いますか」
「は?」
「いったい、これは、誰の案ですか?」
「レーナは、うまくいくと言っていたのにか。
卒業パーティのときに婚約破棄してやれば、結婚もしなくて済むし……」
「なんです? その婚約破棄って。
私と婚約破棄するのに婚約するってことですか?
王太子になるために?
残念ながら、そんな都合よくいきませんよ。
ご自分で署名した書類を読まなかったのですか。
婚姻届けと、おまけに、誓約書でしたよ。
国神の名のもとに伴侶となることを誓ってるんですから。
ゼルべガルム神を国教と認める王族なら、なおさらです。
それで破棄するとなったら、離縁の手続きになります。
我が国の離縁がどれだけ大変か、お分かりです?
婚約を無くすのとは、わけが違いますよ」
「なっ……。
そんな馬鹿な」
「バカじゃありません。
本当です。
まさかと思いますが、署名した書類を読まれなかったんですね」
「母上に署名しろと言われれば、署名する以外にないだろっ!
レーナは、貴様が、レーナのことを嫉妬して少しばかり虐めれば、簡単に婚約破棄できると言っていた!」
「嫉妬なんか、するわけないですよ。
私は、ローレン様と恋仲なんですから。
それに、虐めるってなんです?
私、レーナ嬢なんて、見たことないんですよ。
学園も違うし。
これからもお会いする予定はありません」
「貴様は、王立学園に転校させる予定だった!」
「しませんし、できません。
私は、少し飛び級しててもう最終学年なんです。研究室に入ってますから、転校なんて出来るわけありません」
「な、なんだって!」
「はぁー、私の情報くらい、調べればいいじゃないですか。
もう、そんな杜撰でありえない計画、破綻してます」
「なんだよ、『はたん』って。
難しい単語を使ってごまかそうとしても無駄だ!」
「ごまかしてなんかいませんよ、事実です!
破綻というのは、計画が破れて壊れてるって意味です!
どれもこれも、駄目だってわかりますでしょ。
だいたい、リグラス殿下は、本当に国王になりたいんですか?
国王陛下は、王の執務を楽しんでいるように見えます?
陛下は外国語がぜんぜん話せないために、けっこう、外交中とか退屈されていると聞いていますし……」
ユリアに言われて、リグラスはぐっと押し黙ったが、すぐに口を開いた。
「うるさい! 黙れ!
俺に国王以外の仕事ができるわけがないだろ!
ずっと、国王になると言われていたのだから!」
「でも、リグラス殿下も、ご自分が楽しいと思う興味のある分野に進めばいいじゃないですか」
一瞬、リグラスの脳裏に自分の好きな美しく華やかなものたちが思い浮かぶ。
綺麗なひと、モノ、邸、劇場……。自然な景色などは興味はない。リグラスは人工的なものが好きだ。
けれど、そんなものは仕事にならない。
むしろ、好きなものを手に入れるために、王位が要る。
――でも、本当に?
「そ、そんなもの、ないっ!」
「ありますよ、ぜったい。
誰でも、ひとつ以上は、そういうものがあるんです!」
「ない!」
「あります!」
「俺はない!」
「ある!」
「ないんだ!」
「あるってば!」
リグラスは面倒になったのか、ユリアの腕を掴んでベッドに引き摺って行った。
「あーもう、知りませんよ、こんなことして」
ユリアは引き摺られながら文句を言う。
「黙れって! 俺も嫌々なんだからな!」
……と、ドアの外でなにやら言い争うような声が聞こえたのち、バタンっと壊れそうな音がしてドアが開いた。
ふたりがドアの方を向くと、ローレンと第一王子付きの従者と、ユリアの警護マールスの姿があった。
「ふたりの会話は録らせてもらったよ。
ユリア、怖かっただろう、我慢させてごめんね」
「いえ。そんなでもなかったです」
ユリアがローレンのそばに行こうとすると、リグラスは「あっ、貴様!」と手を伸ばし、ユリアのペンダントに指がかかった。
認識阻害のペンダントだ。
外れたペンダントがベッドのヘッドボードに当たり、カシャンと割れる音がした。
「お前、その姿……」
リグラスが目を見開いた。
リグラスは、ユリアの本当の姿を初めて見た。
14歳の小太りユリアを見たはずだが、リグラスはすぐに泣き喚き始めたのだから、しっかり見たわけではなかった。
ユリアがベルーゼ領で「豊穣の女神」と評判なのは、小麦の品種改良を成功させたからという理由だけではなかった。
亜麻色の艶やかな髪に美しい藤色の瞳、端正な顔は、見た目も女神だからだ。
「くっそ。
私の可愛い妻を見るな!」
ローレンはユリアを抱きしめた。
「……そういうことかよ……」
なぜかリグラスが力を失ったように項垂れた。




