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本日、2話投稿します。こちらは1話目になります。
王宮内のまっとうな文官や侍従、侍女たちは、イレーヌ妃を嫌い怖れていた。
イレーヌ妃の周りでお世話をする侍女などは特に気を付けないと、命の危険もある。
宰相や、王妃、侍女長、侍従長らは必死に庇おうとするが、取りこぼしもあるのだ。
イレーヌ妃が、ローレン王子とドマシュ王国の王女を結婚させようとしたさい。
同行した外交官は驚愕した。
名前のあがった王女は、悪い意味で、非常に有名だったからだ。
隣国のそういった情報ぐらい、外交官なら知っている。
ドマシュ王国の王女はたいがい金がかかるのだが、彼女は特にひどく気性は荒く、男漁りも激しく、見栄えの良い侍従や近衛はみな無理矢理に迫られ、王女は何回か妊娠している……という情報が洩れている。
おまけに、王女の母親は末端の側室で、容姿も王族のわりによろしくない。
おかげで、王族との婚約を拒否できる高位貴族から軒並み断られ、27歳独身。
そんな王女を、自国に嫁入りさせたいと思うような外交官はいない。
末代まで、「あの外交官が付いていながら……」と言われるだろう。
件の外交官は優秀だった。
ドマシュ王国の契約時の慣習やマリアデア王国の契約書類などについても熟知していた。
契約書類を少々工夫し、イレーヌ妃にも署名させることで、「ローレン王子と王女の婚約」を「リグラス王子と王女の婚約」にすり替えた。
婚約相手がいつの間にか変わっていたことに気付いたとき、イレーヌ妃と国王は大騒ぎをした。
特にイレーヌ妃は「この女はマンドラゴラか」と思うほどに甲高い声で喚いた。
さすがリグラス王子の母親だ。
だが、第二妃がいくら泣き喚いたところで法律は変えられない。
違約金も、裁判にかけて差し押さえる、と脅して無理矢理払わせた。
当然ながら、外交官は怨まれた。
宰相も、外交部大臣も、万が一の際には外交官を守れるように手を打っておいた。
契約書類には、外交部の彼の上司である大臣と高官が、予め署名したものを持たせてあった。つまり、彼の名前が直接出ないよう責任が問われないようにしてあった。
帰国後、やり遂げた外交官は、王宮が全力で匿った。
あれから日が経ちローレン王子とユリア・コルネールの婚約が公になり、婚約披露の宴も開かれた。
国の憂いを救った外交官は、現場復帰をし始めた。
どうせ、イレーヌ妃と国王は外交官の顔など覚えていない。
だが、大事を取って、容姿を誤魔化す魔道具を装備している。
――あの第二妃は、どうにかならないか。
王宮内での、みなの想いは切実だった。
□□□
婚約披露のパーティから2か月が過ぎるころ。
――はぁ……。
話が通じない……。って言うか、聞く気ないわよね。
ユリアは『王子妃教育の件で』と呼び出された部屋で、リグラス王子と対面していた。
まだ30分も経っていないと思うが、気疲れでぐったりしてきた。
ひたすら、「家の者と相談させていただきます」と繰り返している。
他に答えようがない。
認識阻害の魔導具の効果で、ユリアの表情は少々わかり難いだろう。
ごく軽い魔導具だ。
王宮内でも問題なく使える程度のものだが、顔を地味に感じさせる効果がほんのりある。
ユリアは、亜麻色の髪に藤色の瞳という、配色としては目立つ方だが、魔導具のおかげで人目を引くことはない。
「わざわざ相談が要ることか?!」
リグラス王子は眉間に皺を寄せ、ユリアに署名させる予定だった書類をトントンと苛立たしげに指で叩いた。
国王のお気に入りの王子に「署名しろ」と言われれば、ふつうは断れないだろう。
リグラスはそう思っていたはずだ。
だが、ユリアはしなかった。
書類には「婚約に関する申し合わせ」とあり、ユリアの婚約者を、ローレン第一王子からリグラス第二王子に変更することを「ユリア・コルネールは希望する」云々と記されていた。
ユリアはその文言にイラっとしたが耐える。
「さすがに、婚約者の交代とか、そういう話は、私の一存では決めかねます」
ユリアは、俯き気味に神妙に答えた。
「公爵家にとっては良い話に決まってるだろ!
王太子になれる見込みのない兄上から、僕に婚約者を替えてやろうと言っているんだから!」
リグラスはユリアを睨みつけた。
こういう表情の時は、王子の美貌はなりを潜め、ただ性悪な男の顔となる。
ユリアは『正体が顔に出てるわ』と密かに思う。
金髪碧眼の「国一番の美男」と評判の王子だが、美醜は好みによるのだ。
少なくとも、ユリアの中で、彼は一番ではない。
「申し訳ありません」
「まぁ、いいよ。ブサイクなお前といるのは、もう飽きた。
次に会うまでに公爵に確認しておくんだぞっ!」
――確認してもムリ。
と思いながらユリアは立ち上がった。
「それでは失礼します」
強面の王子付きの護衛たちに睨まれながら、意識して背筋を伸ばし、凛として礼をすると退室した。
影のように付き従うマールスも静かに付いてくる。ユリアの護衛、兼、従者だ。
婚約者のローレンが付けてくれた。
リグラスが手荒な真似をできなかったのは、彼が付いていたからだ。
部屋を出てからも、王宮から逃れるまでは迂闊なことはできない。
ユリアはせっせと足を動かした。
――なにが「僕の方が兄上よりいいだろ」よ。
よくないわ!
豚は嫌だと自分で婚約を蹴ったくせに!
それに、リグラス王子には恋人がいるし。
リグラスの相手は、レーナ・ダロン男爵令嬢。
ふわふわの金髪にぱっちりお目目の可愛い令嬢らしい。
庇護欲を掻き立てる見た目に、「リグラス様ぁ」と間延びして話しかけてくる馬鹿っぽいところもリグラス王子の好みだったとか。
レーナは、王立学園では、複数の男子学生と噂があった。
空き教室で二人きりだった、などという幾つもの噂が広まっている。
レーナは迂闊な女で、噂の一つはユリアの従姉妹も目撃している。
そんな女性を「清らかな聖女みたいに可愛い子」とリグラス王子は夢中だという。
感覚がそうとう可笑しい。
ようやく王宮の馬車留め近くにある出入り口までたどり着いた。
守衛は出ていく人間に関してはチラリと見るくらいだ。
ユリアが守衛の前を歩こうとしていると、後方から声が聞こえた。
「ユリア!」
女の声だ。
振り返ると従姉妹のラミダが小走りでこちらに向かっていた。
ユリアはつい顔をひそめた。
半刻ほどのち。
二人は王都の小洒落たカフェに座っていた。
ユリアは一刻も早く帰りたかったのに、無理やり引きずられるように連れ込まれた。
ラミダはリグラス王子ほどではないが、我儘で自分勝手だ。
王宮の侍女として働いている今は、特に気合を入れて化粧をしている。
下っ端侍女の地味な灰色の制服に、派手な化粧とふわりと結い上げた髪はあまり似合わないが、それは指摘してはいけないだろう。
彼女は、王宮で、誰か良い結婚相手を見つけようと必死なのだ。
一方、ユリアは、私服なのに地味だった。
いつものことだ。
マールスもユリアの隣に座った。
茶店で後ろに立ち護衛すると目立つから、座ってもらうようにしている。
それでなくとも、赤毛に琥珀の瞳で長身のマールスは、所作が静かな割に視線を集める。
ラミダは男前のマールスに熱のこもった視線を送るが、マールスは目もくれない。
当たり前だ。
マールスは伯爵家の出なので、ラミダよりも家格は上だった。
ラミダはいい加減、諦めることを学んだのか、すぐにメニューに視線を戻した。
ユリアはメニューなど見ないで給仕に茶をふたつ頼む。一つはマールスの分だ。
「あんた、ホントに、化粧とると見窄らしくなるわねぇ、ユリア。
一緒にいるのが恥ずかしいわよ」
ユリアが少し地味に見えるのは認識阻害の魔導具のせいだが、それにしてもひどい言い方だ。
ラミダは魔導具に気付いていない。
ユリアも面倒だから言わない。
従姉妹のくせに、ユリアの姿が微妙に不自然なことに気付かないなんて、本当に鈍感な女だ。
――婚約披露のときは、魔導具、着けてなかったのに。
まぁ、ラミダは、私の顔なんか見てなかったけど。
婚約披露の宴では、この従姉妹は、周りの高位貴族の令息たちに目移りするのが忙しく、ユリアの顔など見ていないのだ。挨拶したときも、ローレンにひたすら見惚れていた。
「……それなら誘わないでよ。
奢らないからね」
「あー、ひどい、安月給なのよ!」
ユリアは奢ったことはない。
逃げられてやむなく払ったことはあるが、あれはただの無銭飲食の尻拭いだ。
以来、気をつけている。
こんな従姉妹に奢りたくない。
コルネール家は富豪だが、ユリアは自由に使える金はすべて研究に注ぎ込んでいた。
「知らないわよ」
ユリアは王子妃教育で培ったマナーで優雅に茶のカップを傾ける。
すでに、息を吐くように仕草だけは王族だ。
王宮付きの指南役たちの目は厳しく、完璧でなければ何度もやり直しをさせられたのだ。
ユリアは公爵家でマナーは学んでいたが、小指の先の角度まではさすがに躾けられていなかった。
外交や執務に関する知識も叩き込まれた。
ユリアは若い脳細胞のおかげで王子妃教育は順調だ。
指南役たちに「よくお出来です」と褒めてもらった。
婚約者のローレン王子も、王子としての帝王学を受け終えているらしい。
ローレンは学園での成績も首席だ。
リグラスとは違って。
リグラス王子は、物心ついた頃からどんな我儘も許されて育った。
勉強も、王子が「退屈だ。やりたくない」といえば王命で免除だ。
それなのに、国王は王太子にリグラスを望んでいる。
――あの王子に国王の執務とか、外交とか、どう考えても無理なのに。
今のシオン王でも、側近たちはそうとう苦労してるって話だし。
はぁ、と思わずため息が出た。




