10:初めての譲渡会
カフェの営業と並行して、保護活動を続けて一ヵ月ほど。
各地での猫の保護は基本的に順調に進んでいるのだが、猫の数が増えればどうしても店は手狭になっていく。
売り上げのほかに国王からの支援金もあって、金に困ることはない。いざとなれば店を拡張することだってできるのだが、手伝いを入れているとはいえ、世話の範囲にも限度があった。
猫を保護し続けることは必要な活動だが、それによって一匹一匹への世話の質が落ちてしまうのは、本末転倒もいいところだ。
そこで、俺は常連客の中に「猫を飼いたい」と言い出す人が、ちらほらいたことを思い出したのだ。──その筆頭が、他でもないバダード国王なのだが。
これまで多くの客と触れ合ってきたこともあり、カフェの猫たちはすっかり人間に慣れていた。訪れる人間もまた、猫たちを魔獣とは呼ばなくなっている。
今なら譲渡に出したとしても、人間のもとで問題無く生活することができるだろう。
譲渡会を開くというチラシを配ると、当日には想像以上に多くの人が集まってくれた。
中には遠方の町から通う常連客もいて、保護活動の途中で見た顔もいる。カフェはこれまでにないほどの人で賑わっていた。
「それではこれから、譲渡会を始めたいと思います。皆さん、改めてお手元の誓約書をご確認ください」
譲渡会に集まってくれた人たちに、俺は今日のために作っておいた誓約書を配布していた。そこには猫を譲渡するための条件や、違反すればどうなるかなどの項目が記載されている。
譲渡の条件自体は、それほど難しいものではない。
まず第一に、飼育に必要な道具が揃っていることだ。トイレや爪とぎ、寛ぐためのスペースや安心して眠ることのできるハウスなどが主となる。
当然これらは町にある店では販売していないので、俺が作った見本を魔法で職人に複製してもらった。マタタビ饅頭なども含め、それらをカフェで販売する仕組みだ。
次に、猫の世話に必要なことをしっかり把握していること。
トイレや部屋を清潔に保つことや、与えてはいけない食べ物。触れ方や遊び方など、これらは常連客であれば簡単にクリアできる項目だろう。
他には、最後まで責任を持って世話ができること。
命を預かるということは、大きな責任が伴う。人間の赤ん坊を産むのと同じように、飼育を始めれば途中で投げ出すことは許されない。
もちろん、やむを得ない事情があれば、再びカフェで引き取ることも考えてはいる。しかし、最初から中途半端な覚悟で来る人間には、譲渡をすることはできない。
「確認を終えた方から、自由に店内を回ってください。希望する猫が決まったら、俺に声をかけてくださいね」
「早い者順ではありませんので、焦らなくて大丈夫です」
誓約書に目を通し終えた人々は、それを聞くとまばらに行動を開始する。各々が、お目当ての猫を探し始めたのだ。
俺はいつものように接客をしたり、猫の世話をしながらも、少しだけ気持ちが落ち着かずにいた。
誓約書に書かれた条件の大半は、ここにいる人間ならクリアできる人の方が多いだろう。けれど、この譲渡会では最後の条件がもっとも難しく、もっとも重要なものである。
それは、「飼い主となる人間を、猫が選ぶ」というものだ。
譲渡を希望する人々には、それぞれ連れて帰りたいと思う猫を選んでもらう。しかし、その猫が応じない場合には、どれほど優良な人物であっても譲渡の許可はできない。
だからこそ早い者勝ちにはならないし、人間も猫も、お互いの相性をじっくり見極めることができると思ったのだ。
店内を歩き回る客の中には、やはりと言うべきかお忍びでやってきた国王の姿もあった。彼の目当ては考えるまでもなく掌猫だろう。
「店長さん、この子いいかしら?」
最初に声をかけてきたのは、臆病な少年・クルールの母親だ。
呼ばれた方に移動すると、クルールと父親が花猫と戯れていた。尻尾に花を咲かせた見た目が特徴的な猫で、日向ぼっこをよく好む。
クルールがキャリーケースの扉を開けると、花猫は驚くほどすんなりとその中に入っていった。
「決まりですね、誓約書にサインをいただいたら譲渡成立です」
「やった……! 僕、もう名前も考えてあるんだ!」
花猫を飼うことができるとわかると、クルールは頬を真っ赤にしながら喜ぶ。そんな息子の姿を見て、両親も嬉しそうだ。
この世界の猫たちは、俺が思う以上に頭がいい。この花猫も、クルールの一家に貰われていくということをちゃんと理解しているのだ。
猫に選ばれるという条件を必須にしたのは、そうした理由もあってのことだった。
「ヨウさん、あちらでも譲渡をご希望の方がお呼びです」
「わかった。この子の譲渡が済んだらすぐに行くよ」
こうして、初めての譲渡会はあれよあれよという間に終わりを告げた。
結果的に、十匹以上の猫が貰われていくことになったのだ。どんな結果になるかと不安を抱えてもいたのだが、思った以上に猫たちは人間に信頼を寄せていたらしい。
これまで世話してきた猫たちが巣立っていく寂しさはあった。それでも、魔獣として恐れられていた猫たちが、家族として迎え入れられるのは喜ばしいことだ。
譲渡が決まった猫には、飼い猫の証として手作りの首輪をプレゼントしていた。
猫に不快感を与えないよう、硬すぎない材質の毛糸を編み込んで夜なべして作ったのだ。どんな猫にも合うようにと、色やサイズも豊富に取り揃えた。
お陰で寝不足になったことをコシュカに窘められてしまったのだが、やはり作っておいて良かったと思う。
バダード国王はといえば、残念ながら掌猫に選ばれることはなく、ルジェの励ましを受けながら肩を落として帰っていった。
(国王様も悪い人ではないし、猫愛も強いんだけどな……)
初対面では、掌猫も好意的な態度を見せていたのだ。猫が遠ざかってしまう要因となっているのは、主に地声と身振りの大きさだろう。猫愛が強まってから、なおさらそれが増したように思える。
何度かそれとなく指摘してはいるのだが、国王陛下に直接声が大きいなどと告げるのは憚られて、そのままにしている。
これでめげる人ならば、とっくにカフェには通わなくなっていることだろう。
ルジェにとってはその方が良いのかもしれないが、バダード国王はまたやってくると容易に想像ができた。
「譲渡会、成功でしたね。国王陛下は残念でしたけど」
「ああ、思ったよりお客さんも来てくれたしね。これなら今後も定期的に譲渡していけそうだ」
あれほど賑わっていた店内が、今はすっかり静まり返っている。
譲渡会がスムーズに進んでくれたのも、想像以上に猫たちが人間との触れ合いに慣れてくれていたからだろう。
カフェをオープンしたばかりの頃には、この世界の人々と猫が共に暮らす姿なんて、とても想像できなかった。
けれど、今は確実に一歩前進したように思える。
猫の数が減ったことで、寝床の数にも余りが出ている。そこに物寂しさはあるのだが、保護活動を続けていけばあっという間にそれらの寝床も埋まるだろう。
そして、その猫たちにも特別な居場所を作ってやりたいと考えるのは、俺のエゴだろうか?
「……そういえば、ヨルさんには差し上げないんですか?」
「え?」
「首輪です。貰われることが決まった猫には、首輪を差し上げてましたよね」
コシュカの抱いた疑問は、もっともなものかもしれない。
ヨルは、俺の飼い猫というよりも相棒に近い存在だと思っているのだが。それでも、確かにヨルは野良猫ではない。
首輪を作っている時、そのことを考えないわけではなかったのだ。
「ああ……実は、ヨルにも作ってあるんだ」
そう、現に俺はヨルの首輪も作っていた。
エプロンのポケットの中から取り出したのは、ヨルの毛並みとは正反対の真っ白な首輪だ。鈴もつけようかと考えたのだが、ヨルがうるさいだろうからやめておいた。
定位置とも呼べる肩の上のヨルの鼻先に、その首輪を近づけてみる。
「ヨル、どうかな?」
首輪の匂いを嗅ぐ姿を横目に尋ねてみると、ヨルは突然肩から逃げるように地面へと飛び降りていく。
愛情を込めて作ったものではあるが、ヨル自身が嫌がるのであれば、それを強制したくはない。
そう思って首輪をポケットに戻そうとした時だった。
「ミャオ」
時計回りにくるりと一回転して見せたヨルは、その場に座って俺を見上げている。
「……もしかして、着けてくれるのか?」
「ミャア」
俺の言葉に、ヨルは確かに返事をしてくれた。
ヨルの前に膝をついて、その首元に首輪を巻き付けていく。苦しくない程度のゆるさに調節すると、真っ黒な毛並みの中に白色がしっくり馴染んでいるように見えた。
確かめるように後ろ足で軽く首輪を掻いたあと、どうだと言わんばかりにヨルが俺を見る。
「うん、凄く似合ってるよ」
「ヨルさんも気に入ったみたいですね」
足元からよじ登ってきた俺の小さな相棒は、再び肩の上で満足そうにしている。
首輪は猫を束縛するためのものではなく、家族の証なのだ。それを他でもないヨル自身に受け入れてもらえたことが、俺は堪らなく嬉しかった。
「ヨウさん、良ければ私にも首輪の作り方を教えてもらえませんか?」
「え? それは構わないけど、突然どうしたの?」
「これからも譲渡の機会は増えるでしょうし、新しい物が必要になることもあると思うんです。なので、少しでも数は多い方がいいのではないかと」
確かに、コシュカの言う通りだ。
丈夫な首輪だとはいえ、使い続ければいつかは壊れてしまうだろう。一つを作るのにもそれなりに時間がかかる。
魔法を使って複製を頼めば良いのだろうが、これだけは手作りをしたい気持ちがあった。
「じゃあ、仕事の合間にでも教えるよ。そんなに難しくはないから、すぐに作れるようになると思うし」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、気遣ってくれてありがとう」
気がつけば、コシュカにはいつも助けられている。
いつか彼女にも恩返しができたら良いと思いつつ、今日も一日が終わりを告げていくのだった。
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