嫌なこと、嫌いな人間への脳内対処法(グロ表現あり)
特に話題も見つからない。
それでもただただ無意味に文章を書き込みたい。そんな日がある。
そう、まさに今。そんな気分だ。
今の心境を無意味に吐露したい。だが吐露すべき心境が見つからない。
ただただ無心。いや、イラつきはある。日常のストレス。他者への失望。関係性の断絶への羨望。
腹の底に溜まるあれこれのせいでただただイライラしている。
嫌なことがあった。忘れたい記憶がある。憎たらしくぶちのめしてやりたい人間が今日もどこかで息を吸っているという現実への嫌悪感。
なんだ全然無心ではないではないか。
前回もだいぶ真っ黒な話をしたが、今日も引き続き真っ黒な話になりそうだ。
嫌なことがあった、忘れたい記憶がフラッシュバックする。嫌いな人間が脳裏をよぎりイライラする。
そんなとき、他の人はどうするのだろうか?
楽しいことを思い浮かべる?気分転換に外に出る?おいしいものを食べる?趣味に没頭する?友人に愚痴を聞いてもらう?
多分だが、世間一般的にはこんな感じでストレスを発散させるのだろう。
だが私は悲しいことに、上記の行動では何一つ発散されないのだ。
むしろそれでどうやって発散できるのか教えてほしいくらいには。
楽しいことを思い浮かべたって、嫌な記憶が同時に襲い掛かり邪魔をする。
外に出るのは好きじゃない。用がない限り外出したくない。むしろ着替えすらしたくないという究極のインドアなのだ。
おいしいものを食べる?まぁ、「おいしい」という感情は沸くだろう。だが、食事してるときもその嫌なことが脳裏をちらつくのだ。おいしさ半減。がっかりする。
嫌なことがあると趣味に没頭できなくなる。純粋に楽しめない。楽しいのに楽しくない。
友人とかいないし。ボッチだし。まじで。連絡とってるの身内以外リアルに一人しかいない。
とまぁ何一つ発散できない私は、とある方法で気分を紛らわしている。
それは「嫌なことはすべて夢の中の出来事」だと思うようにしているんのだ。
夢というのは、現実に起きたことではない。フィクション。ファンタジー。ありえないこと。
体一つで空を飛んだり、物語の中に入ったり、怖いものに追いかけられたり、殺されたり。
嫌なことだって、起きてしまえばそれは「過去」で「記憶」だ。
確かに他の人間、まったく見知らぬ垢の他人や上司や同僚、友人などが実際に関わっていることも多い。
多いが、その人たちからのその物事に対しての今現在の感想はどうあれ「終わったこと、過去のこと」と少しでも思わせられているならばそれはもう「記憶」なのだ。
ならばもう自分の中でいくら好きに改変したってかまわないだろう。
あれは夢。あれは夢。あれは夢。あれは夢……。と何度も何度も繰り返し思う。
そのたびにフラッシュバックするがそれさえも夢のことだと考える。
そうしてると段々「だってこの部分現実的ではないではないか」と思うようになる。
例えば、嫌な客にありもしないことで難癖つけられ上司からもお前が悪いと言われたとしよう。
あれは夢。あれは夢。あれは夢。あれは夢……。と繰り返す。
そうしてると段々、難癖つけられてる時、上司に嫌味を言われてる瞬間を別の角度から見ている自分がいるのだ。
怒られている自分の姿も見え始める。少し斜めから、テレビや絵画を見ているような感覚で。
ほらもうこれは現実ではない。
だって実際に起こっている、起こった事実なら、そんな変な角度の自分やクソ客やクソ上司が見えるわけないじゃないか。夢だよ、夢。
夢だから大丈夫。現実じゃないよ。って、そう言い聞かせる。
そうすると少しだけ軽くなる。だって現実じゃないもの。怖い夢から覚めただけ。ちょっとその怖い夢を今も引きずっているだけ。大丈夫大丈夫。
まぁそんな感じに嫌なこと、記憶はこうやって処理している。
こうすると、まぁ、少しは楽になれる。
フラッシュバックの多い人生だからこうでもしないとやっていけないってのもある。
だが弊害として、その嫌な記憶の前後にある「良い記憶」も同時に夢として処理するというか、まぜこぜになるため、記憶のなかにあるものが「実際に起こったこと」なのか「夢」なのかが判断がつかなくなっている。
おかげで誰かと遊んだとか楽しかったとかどこかへ行ったとかそういったいい思い出さえ現実なのか夢なのかわからない。
身内との思い出も全く思い出せないしわからなくなっている。
葬式の時に別れの手紙とか絶対に書けない。だから死んでほしくない。めっちゃ困る。
ここまで読んでくださってる方なら大体察していると思うけれども、北野は自他共に認めるクズです。
まぁそれはさておき、嫌な人間に対してですけれども、これは記憶との処理とはちょっと変わってきますよね。だって嫌な人間って大抵リアルタイムで関わってることが多いし。
考えるだけ無駄だって頭では理解してるんですよ?
嫌いな人間のこと考えて時間潰すよりも好きなアニメ見て脳内ウハウハさせたほうが絶対有意義ですし。
それでもやっぱり負の感情というものは強いわけで、正論なんかでどうにかなるものじゃないんですよ。わかる人にはわかると思いますが。
だから愚痴ったり叫んだり裏垢で公開したりとか様々な方法があるわけで。
その中で私がしているのは「脳内殺害」ですね。えぇ、殺します。脳内で。そいつを。無残に。ありとあらゆる残虐な方法で。
長い生の中、死にたくなることがあるでしょう?そのたびに「いつでも死ねるから」って言い聞かせることありません?
それと同じです。「いつでも殺してやれるから」って言い聞かせるんです。簡単に死ねるんですもん。簡単に殺せるでしょう?
しかも実際に殺すわけじゃありません。脳内だけです。脳内だけなので何度でも殺せます。十回でも百回でも、殺したいと思う数だけ。しかも実際に殺すわけじゃないから法にも引っかからない。考えるだけ自由。行動に移したらアウト。それはアウトですよ。えぇ。
殺し方だってなんだって試せます。封神〇義って漫画でありましたよね。人肉ハンバーグ。脳内でなら試せますよ。その嫌いな人間での人肉ハンバーグ。完成したら捨てるもよしさらに嫌いな人間に食わすもよし。脳内だからできること。なんて楽しい。
古今東西ありとあらゆる拷問をためすことだってできます。嫌いな人間だから躊躇いなんていりません。泣いて懇願して土下座して足を舐めてくるんですよ。気持ち悪いですね。死なない程度に甚振りましょう。簡単には逝かせませんよ。もっと苦しめ。
そうするとですね、結構簡単に、実際にできそうな方法とかが生まれるわけですよ。
それで次にその嫌いな人に会ったときに嫌だな会いたくないな口を利くどころか目も合わせたくないって思いながら「でも私は簡単にお前のこと殺せるからな」って思うんです。ちょっとだけ広い心が持てます。だってその人もしかしたら私に殺されるかもしれない超がつくほどの弱者かもしれないじゃないですか。
あぁ、自分の手すら汚したくないって思うこともありますよ。そういう場合はありとあらゆるえぐい事故を思い浮かべるんです。
どっかの国の事故でありましたよね。エスカレーター乗ってたら足元の板が壊れてミンチになったっていう。あいつそんな感じにならないかなぁって思いを馳せます。何度も何度も脳内で思い浮かべます。嫌いだから遠慮なんかしません。考えるだけ自由です。
こんな風に脳内で嫌いなやつ、憎いやつを抹殺すると少しだけすっきりします。
ここまで言ってあれですが、本当に考えるだけですよ?
実際に行ったりするのはアウトです。
実際に誰かに「そうなればいいのに!」と話すのもアウトです。
上記は文章なのである意味フィクション扱い。ギリオーケーです。
嫌な記憶は夢にして、憎いやつは脳内で殺す。
そうして飲み干しながら日々生きています。
生きることは無意味で反吐がでますが生きています。
なんで生きてるんでしょうね。さっさと死にたいのですが。
痛みを感じず簡単にさっくり死ぬ方法がいまだに見つかりません。残念。
あぁ、明日の仕事で嫌なことがありそうなフラグが立ってるから余計にこんなこと考えるんですよ。
あのクソクレーマーが本社に電話してたらまじでめんどくさい。
今日休みでクレームあったって連絡なかったから大丈夫だとは思うけれども。
クレームあって数日放置するとか多分ないと思いたいけど。
上司もあてにならないので確実に私の責任にされますよ。
ただでさえ上司の評判悪いのに。
未来で起きそうな嫌なことに関しての処理方法。いまだにわかりません。