第4話
夕焼けが彼女の長く艶のある髪を透かして、チラチラ乱反射しているのが絵画のようで、息をのむ。
声を出そうとして、息だけがスッと口から出るのを感じ、咳込みながらも彼女に応答する。
「あ、クスン。えっとさっきの。部員の人達との話は終わったんですか?」
「終わってはないですけど、切り上げてきました。今日は見学に来ただけなので。……部員の人たちって、すいぶん他人行儀な言い方。貴方も部員ですよね?」
とクスっと笑う彼女もまた可愛い。
こうも完璧な女性を前にするとその美貌に嫉妬などという感情は毛ほども湧かない。
「あ、私は辻井 瞳と言います。一応、軽音楽部に入る予定です」
「そうなんですね。軽音楽部は楽しいし、楽器の上手い先輩もいるのでお勧めですよ。それに思ったほどチャラくはないですし」
突然の彼女との会話に頭がこんがらがり、意図した言葉が出てこず散らかった言葉が宙に並ぶ。
「でも、私、楽器初心者なんです。だから、まだ迷っていて…………」
彼女は少し憂いを帯びた視線をこちらに向けると、また微笑をたたえた。
「あの、なんで、私たち同学年なのにお互い敬語なんでしょう?それに、お名前をまだ伺っておりませんでした」
いや、貴方がその育ちの良い話し方なので合わせてたんですよと私は心の中でつぶやく。
「あ、私は桜井 琥珀と言います」
琥珀さんと、反復して小さくつぶやく彼女はちょっと愛おしく見え、わざと敬語をつかう。
「初対面の人に敬語抜きで話すのはやっぱりむつかしいですね」
「ああ!敬語禁止にしましょう!桜井さん…………いえ、琥珀は!」
前のめりなった彼女の頬がほのかに赤く見えるのは夕焼けのせいではない。
その姿に思わず私は笑ってしまう。
「なんで笑うの………頑張ったのに。もう。コホン。琥珀は楽器は何やってるの?」
彼女は恥ずかしさを隠すためか、仰々しくわざとらしい咳払いをして私に問う。
「私はギターやってるよ。瞳はなんの楽器をしたいとかある?」
「うん!私はベースが良いかな。かっこいいし。音が低くて、こう心臓に響く感じがこっちで生きている気がするの」
瞳は私の砕けた話し方に満足したのか、満面の笑みで答える。
「そっか。じゃ、じゃあ。私まだバンド組んでないし、もしよければ私とバンド組まない?瞳とならなんか楽しく音楽できそうだし」
意を決して誘う私の声はやっぱり少し上擦っていた。
それはそうだ。こんな出会って間もない人間からの誘いに乗る人は少ない。
断られる可能性が多分にある。
しかし、その誘いを受けた瞳は私の精一杯の思いが届いたのか、真剣に悩んで目を伏せてン~と考え込む。
「でも、私は楽器初心者だよ。それでも大丈夫かな?琥珀の足を引っ張らない?」
「大丈夫。私もまだちょっとしかギター弾けないけど、分からないことはすぐ教えるし、バンドは楽しかったらそれでいいんだよ」
私の言葉を聞き、瞳はまた思案する。
彼女とこうして一緒に帰っているというのもなんの因果なのか。
この好機を逃すわけにはいかない。
もし、今別れたら、この先、一生彼女と話すことはないかもしれないという行き過ぎた妄想のような思考が私を襲った。
私はただ静かに彼女の答えを待つ。
会話がなくなり、足音だけが耳につく。
今まで意識していなかったせいか、車の排気音、烏の声、町の喧騒などが耳障りなほどよく聞こえてくる。
それほどに、彼女の回答を待っている時間は長く感じられた。
彼女は悩み、そして空を仰いで、瞳を閉じた。
「そっか。ならやってみようかな。うん。私も軽音楽部入るね」
彼女がそう明確に自分の意志を伝えてきたから、私は狼狽し、また首肯してくれた際の答えも用意していなかったため、吃音交じりに「や、やった」と答えるので精一杯であった。
夕焼けを背景に笑う彼女が可愛らしく、それが幻想的な写りだったからなのか、はたまたバンドメンバーが一人増えたことで、胸がいっぱいになったからなのか、私は泣きそうになり唇を少し噛んだ。
乾いた唇に犬歯が食い込んで思ったより痛くて、やっぱり少し涙がでた。
その後、瞳という友達を得た私はこの調子でバンドメンバーもすぐに揃うだろうと安易な考えを抱いていたのだが、現実は非情である。
瞳とこの間、部室で話したらしい、女子がドラムをやってくれるという話からとんとん拍子にボーカルも見つかると思っていた。
しかし、この皮算用はうまくいくことはなかった。
ボーカルは手が出しやすいパートでありながら、その実むつかしい。
楽器ほど練習の成果が出るわけではなく、個々の才能に依存する面が多分に含まれるものだからだ。
また、私たちのバンドが今のところ皆、女子のみで構成されていることも要因の一つに挙げられる。
ボーカル探しに難航していた私たちだけが、バンド練習を出来ない現状に苛立つ日々である。
部室の中で他の一年生バンドはさっそく初めてのバンド練習を終わらして、曲の話や、学校外でのスタジオでの練習の話など、こちらが嫉妬の目を向けていようがお構いなしに話している。
くうっと恨めしそうな声を上げ、鬼をも殺せそうな目で彼らの動向を追っていると、不意に頭をはたかられた。
「こらっ。琥珀は美人さんなのに、いつもそんな般若のような顔をする」
困り顔の瞳が私を窘める。
「美人さんて………というか、しょうがないじゃん。こっちは血眼でボーカル捜索活動をしているのに、向こうでお気楽に話されたらそりゃあ気が滅入るわよ。瞳には分らないのよ。待たざる者の気持ちが」
「いや、私も同じバンドでしょう…………この子はほんとに」
いまでは、漫才師のようなやり取りもお手の物。
瞳との距離は確実に縮まっている。
しかし、この如何ともしがたい状況を打破しなければ、私たちのバンド活動は始まらないのである。
「聞いてよ、彩羽。また、勝手に一人で悩んでるのよ、この子は」
「あらま。しょうがないのは琥珀だよ。ねえ、知ってる?琥珀は今まで誰とも話さないからクールービューティーって陰で言われていたんだよ。なのに、いざ話してみるとこんなポンコツだったとは………初めて会った時の緊張感を返してよ」
この言われよう。許せん。
私は部室に現れても、他の一年生とあまり話さないことから、このような不名誉なあだ名をつけられていたと知った。
こんな、うじうじと悩む人間のどこがクールなのかぜひともそのあだ名の名付け親に尋ねたいものである。
そして、このズケズケものをいう眼鏡っ子は瞳が連れてきた、前述のドラムスの子である。
名は不知火 彩羽という。
彩羽、瞳との仲は良好であるが、それゆえこの三人の雰囲気に馴染めるボーカルを探さなければならないということもまたボーカル探しのネックになっている。
私たちは購買のホットスナックをポリポリと齧りながら、今後のボーカル探しについて思案する。
「あ、そういえば、あの部室で初めに瞳に話しかけていた男子は?彼、歌がうまいと自分で言っていたよ。 」
いや、始めに話しかけたのは私だぞっという思いもあるが、それよりその男の子の顔が思いだせない。
それに、話に割り込まれたことをまだ少し根に持っている私もいる。
彩羽が現状を見かねて、提案してきたが、私も瞳も難色を示す。
「んー、と。いい人ではあると思うよ。でもね…………女の子の中に一人、男の子はやりずらいんじゃない?」
「まあ、自分で歌をうまいと言うやつに上手いやつはいないよ。それに、瞳に気がある時点で却下。この小動物みたいな子があんなチャラいやつの猛攻を阻止できるとは思えないわ」
「あんたは………琥珀はなんなんですか?瞳の母親なんですか。過保護ね。まあ、私もとりあえず提案しただけで、彼を誘うつもりは毛頭ないけどね」
ため息交じりに、私に小言を言う彩羽に、瞳はパチクリと目を点にして、頭にハテナマークを浮かべて事の次第を見守る。
「とりあえず、女の子のボーカルで、私たちとも仲が良くなれそうな陰険でジメジメっとした可愛い子がいいわね」
「いや、そんな子いるわけないでしょ。それに、陰険でジメジメっとしているのは琥珀だけでしょ。私と瞳を入れないで」
「え?私たちバンドメンバーでしょ?私をジメジメ担当にしないでよ。みんなもジメジメ陰湿バンドにはいってよ」
「絶対いや」
とこんな下らない生産性のない会話は続く。
話はボーカル捜索の話から外れて、自分の趣味だとか、クラスでの出来事、好きなアーティストなど右往左往の末、夕刻になると皆が見計らったように帰り支度を始めたことで終わりを迎えた。
確かに、このままではバンド結成はしたものの練習ができない。
しかし、こうして三人で放課後を談笑するのも楽しくて、つい話が盛り上がってしまう。
高校に入って、初めての友達との会話に浮足立っているのも確かだが、私はやっと高校生活が動き出した気がした。
とすると、声が聞こえてきた。
「まだ、残っている人いたんだ。一年生、もう下校の時間だよ」
私たちが揃ったように、声の方に振り向けば先輩がいた。
久しぶりに先輩と話せることに、胸躍る気持ちがあるのは確かだが、ここで不用意に浮かれていては、二人に怪しまれることは確実である。
私はなるべく平静を装い、先輩に話しかける。
「あ、飛騨先輩。お疲れ様です。もう帰るところです」
私が挨拶すると、二人も並んで挨拶する。
「あ、琥珀、彩羽。私ちょっと先生に呼ばれてたから、先に帰っておいて」
と瞳はなぜか慌てた様子で部室を後にした。
二人で彼女を見送ると、先輩がふと目をテーブルに落とす。
「バンドの相談?」
先輩は私たちが相談に使っていたバンド名候補や、ボーカル候補のかかれた紙を一瞥し、不意に質問してくる。
「そうなんですよ。二年生で一年坊のバンドで歌ってくれる人知りませんか?」
私は、今、平常心を保っているだろうか?声は上ずったりしていないかと要らぬ心配をしながら先輩に応対する。
「ちょっと琥珀、流石にいないでしょ。一年のバンドに入ってくれるひとは」
「そうだね。二年のボーカルはもう決まったバンドがあるからね。むつかしいと思うよ。今年の一年はベースが多くて、ボーカルが少ないし大変だね」
先輩の同情を帯びた目にやっぱり駄目かと落胆する。
あの時、瞳をボーカルとして誘えばよかったと斜め上の方向に思考が行ってしまい、後悔してしまう。
私が馬鹿な思考を走らせていると、先輩はうーんと唸りながら、私の目を見て、とんでもない提案をしてくる。
「ボーカルが見つからないんだよね?じゃあ、桜井さんが歌えば?ギターボーカルとして」
「ああ!それ、いいですね。そうだよ。琥珀、歌いなよ」
同調する彩羽は良い答えを見つけたりっと私に進言してくる。
それに私は言うほうは簡単だよねとため息をつく。
「ギターも満足にできないのに、歌いながらっていうのは無理じゃないかな…………」
私の卑屈な言葉に、彩羽はすこし眉をひそめた。
「まあ、無理強いする気はないよ。瞳が歌ってもいいしね。ベースボーカルもかっこいいよね」
そう言われると、腑に落ちない。
なんと気難しい性格なのかと自分がまた嫌になるが、期待はしてほしいのである。
しかし、その期待に応える自信がなく不安になるのだ。
「難しく考える必要はないんだよ。ボーカルがいなくてもインストバンドとしてやっていくこともできる。でも、僕は桜井さんの声は芯のある、いい声だと思うんだ。だから、聴いてみたいなとふと思っただけだから」
急に褒められると狼狽する。
そういう言い方はずるい。
貴方からそういうふうに言われると私は断れない。
え…………えっとと対応できないでいると、彩羽が助け舟を出してくれる。
「まあ、またそれは瞳がいるとき、みんなで話そう。先輩もありがとうございます」
「うん、よく話して決めるといい」
先輩はそういうと、じゃあと部室を後にした。
私たちも帰ろうかと、彩羽と帰路に就く。
「琥珀はわかりやすいね。あの先輩ね。へー。いやあ、わかりやすい」
「えっとなんの話?」
「まあ、なんとも言えない独特の雰囲気のある人だもんね。えっと飛騨先輩だっけ」
「いや、だからなんの話よ?飛騨先輩は良い人だけど。そういう浮ついた気持ちはないよ」
「今日日、浮ついたとかいう女子高生がいるとは…………まあ、がんばんなさい。応援はしてあげるから」
「その上から目線はなに…………彩羽はかっこいいなと思う先輩いないの?」
「あ、やっぱりかっこいいと思ってたんだ。そうね。九十九先輩とかかっこいいよね。イケメンだし、話やすいし」
「ああ、あの先輩。彩羽は先輩とも同級生とも仲いいし、良いよね」
「琥珀はそんな顔立ちしてるから、男なんて転がしてそうだと最初思ってたけど、あの感じじゃあ先は長いね。がんばれ」
ほんとに失礼な人である。
しょうがないじゃないか。
先輩と久々に話したことで浮かれていて、何を話せばいいのか分からなかったのである。
初めて会ったときはもっとスムーズに会話もできて、揶揄ったりしていい雰囲気だったのに…………。
「それはどういう意味ですか?私が根暗なのははじめからまる分かりでしょうが」
「それもそうだね。がんばれ、女子高生」
「はいはい。じゃあ、とりあえず彩羽の恋愛遍歴でも教えてもらいましょうか」
私たちは恋愛話とか、部活のこととか談笑しながら帰った。
三日前までは一人で帰ってギターの練習をするだけで、学校に行くのも億劫になりつつあったのに、今は同級生と楽しく話しながら帰っている。
それは幸せなことである。
彼女が笑いながら私を揶揄ったり、私も負けじと彼女をいじったり。
明日も、彩羽と瞳と姦しく騒いだり、もしかしたら先輩とも話せるかもしれないと、嬉しくなって、ふとしたことに落ち込んでまた喜んで、女子高生は忙しいのである。
でも、この忙しさを愛おしく思う自分がいた。