舞台監督
いよいよT氏の舞台監督デビューの日が近づいてきた。公演は、デビュー作が大好評だった新進気鋭の劇作家の第二作。今回は演出も劇作家が自ら行う。そのため、前作を上回る客入りが期待された。そこで今回は、舞台美術や照明美術に大御所を起用するなど、制作側も力の入れ方が違っていた。
だが、予定していたベテラン舞台監督が急な病に倒れ、急遽、彼の助手を長年勤めてきたT氏が起用されることになったのである。
T氏は気合い満々だった。それはそうだろう。自分のデビューが文字通りの大舞台なのだから。
劇場のスケジュールの関係で、日程はかなりキツかった。初日は搬入、大道具仕込み、照明セッティング、音響チェックと、裏方仕事のほとんどを済ましてしまう。二日目が午前が場当たり稽古、昼に演出家たちが小屋入りし、午後から通し稽古、夕方からゲネプロ。そして三日目が幕開け。T氏は念入りにスケジュールを組んだ。予定よりも一分たりとも遅れは許さない決意だった。
しかし、舞台にはハプニングがつきものだ。それは最初の搬入のときから起きた。
「舞監、柱が一本、搬入エレベーターに入らないんだけど」
大道具チーフから連絡を受けたT氏は、あわてて現場に駆けつけた。見ると、四本ある柱のうち、一本だけが五十センチほどエレベーターからはみ出している。これは舞台美術家が、客席からの視覚効果を狙って、わざと一本だけ長さを変えて設計したため起きたことだ。
「仕方ない。この柱だけ、正面入り口から入れて、客席伝いに舞台に上げよう」
そう言う大道具チーフに、T氏はとんでもないとばかりに、
「だめだ。それじゃ、時間がかかり過ぎる」
「じゃあ、どうする。いっそのこと切っちまうか?」
大道具チーフは冗談を言った。だが、T氏はそれを冗談とは受け取らなかった。
「それだ。はみ出している部分を切ってくれ」
周りの皆が驚いた。
「何してる。早く切れ」
T氏はひとりの大道具をせかした。
「本当にいいんですか? 知りませんよ……」
言われた大道具はノコギリを取り出すと、柱を切ってしまった。お陰ですべての道具をエレベーターに乗せることができ、搬入は無事に(?)終わった。
だが、ハプニングはそれだけでは終わらなかった。
大道具を仕込む中、舞台中央付近で、なにやら問題が発生した模様だ。T氏は駆け寄って聞いた。
「どうした。今度は何だ」
「いやね、このオブジェ、セリに収まらないんですよ」
見ると、舞台装置の重要な部分であるオブジェが、セリからわずかにはみ出ている。このオブジェは奈落からセリを使って舞台まで上がってくる演出になっていた。
「どうする。今回はさっきみたいに切るわけにはいかないぞ」
大道具チーフが腕を組みながら言った。考えていたT氏は、何か思いついたらしく、てのひらを叩くと、言った。
「こいつ、四十五度ぐらい斜めに動かしてみろ」
「ええ?」
言っている意味がよく分からないらしく、大道具たちは聞き返した。
「斜めにするんだよ。早くしろ」
大道具たちは言われたとおり、オブジェを動かした。すると、ぎりぎりセリの中に収まった。
「おいおい、これじゃまずくないか? 正面が客席を向いてないぞ」
大道具チーフが言うのを制し、
「セリに収めることが先決だ。これでいい」
とT氏は満足げに答えた。
大道具の仕込みが終わると、照明の作業が始まった。舞台に於いて、照明が果たす役割は重要だ。舞台装置や役者の表情が生きるも死ぬも、照明次第だからだ。したがって、その作業は慎重を極め、時間もかかる。
今回も例に漏れず、照明の持ち時間が終わりに近づいても、最終幕の途中までしか作業は進んでいなかった。T氏はあせって照明チーフに言った。
「もう時間だぞ。早く終わらせろ」
「そんなこと言ったって、仕方ないだろう。照明に時間がかかるのはあんただって分かってるだろ」
T氏はじりじりしながら作業が終わるのを待っていた。しかし、持ち時間を過ぎても、照明スタッフたちは舞台から降りようとしない。T氏は照明チーフに宣告した。
「もう待てない。これで切り上げろ」
「無茶言うな。まだクライマックスシーンの明かりができてない」
「これまで作った照明で代用しろ。さ、次、音響いくぞ」
「おい、待てってば」
照明チーフの言葉を無視して、T氏は音響チェックへとスケジュールを進めた。
音響は特に問題なく終わり、何とか初日の日程は終わった。
翌日、場当たり稽古が行われた。一幕、二幕と何事もなく進み、三幕のクライマックスシーンにさしかかった時だ。舞台が暗転し、センターにスポットライトが当たった。そこで主役と準主役のふたりが重要な台詞のやりとりを行うはずだった。しかし、照明はピンスポ。ふたりが明かりの中に収まるには狭すぎた。
「これじゃ、表情や動きがお客さんから見えませんよ」
主役が訴えた。それに対しT氏は言った。
「ふたりとももっと近寄って。そうすれば明かりの中に収まるから」
言われるがまま、ふたりの役者は無理矢理に明かりの中に入った。しかしその絵は、今にも顔がひっつかんばかりに近寄った、喜劇の一シーンようなものだった。
「舞監、ここはシリアスなシーンですよ。これじゃ絶対変だ」
「いいんですよ。とにかくピンの中に収まることが先決なんですから」
T氏はそれでOKを出してしまった。
午後になると、演出家たち大御所が次々と小屋入りしてきた。
すると、舞台を見た舞台美術家が驚いた。
「なんだこりゃ。おれはこんな舞台を設計した覚えはないぞ」
T氏は彼の元に飛んで行き、釈明と説得に追われた。
そんなふたりを傍目に、演出家が言った。
「通し稽古の前に、クライマックスシーンを見ておきたい。一番重要なシーンだからね」
役者が配置につき、舞台は暗転した。そして一筋の明かり。
「おい、稽古場と全然違うじゃないか。なんでそんなに近寄ってる」
演出家は叫んだ。照明美術家もつづいた。
「こんな照明、誰が作った。おれのプランと全然違うぞ」
T氏は、三人の大御所を相手に、釈明と説得をしなければならなくなった。
そこへとんでもない知らせが入った。
「大変です。キャストもスタッフも、みんな倒れてしまいました」
なんと、仕出し弁当が原因で、舞台関係者のほとんどが、集団食中毒に罹ってしまったのだ。
公演はやむなく中止となった。
この中止が、T氏にとって幸だったのか不幸だったのか、それは分からない。しかし、これだけは言える。責任者が各現場にあれこれ口出しするとろくなことにならない。上の者は、デンと構えて座っていればよいのだ。