03
はい、ということで翌朝です。おはようございます、リリアーヌ・ルゼルヴェインです。本当に出立が翌日というか翌朝とは……。
確かにファズマレールからオルサーヴへの道のりは長い。それにこのご時世だ。街灯どころか道ですら整備されていないところもあるから暗くなれば馬車は当然動かすことはできない。
ならばどうするかって? 陽の出ている内に1キロでも多く進むんだよ!
そういうわけで、今の私はベッドからいきなり馬車に揺られている。
馬車と言ってもあの安易に想像できるカボチャの馬車みたいなものではなく、広々と腰を落ち着けることのできる馬車だ。
なんと説明すればいいのだろうか。中は絨毯の敷かれた狭いワンルームの一室というか。椅子というものがなく、靴を脱いでそのまま床に座るという日本人としてはとても嬉しいアレだ。
ソファもあることにはある。けれど夜眠る時は大きなクッションに身を預けて寝るらしいので床に座っても特に問題ないのだとか。
ということで早速私はクッションに凭れ掛かってグロッキー状態だ。いかに現代の自動車が快適なものだったと実感した。
ただでさえ昨日まで寝たきりの固い身体なので、馬車の揺れがいちいち全身にくる。
ちなみにパパ公爵から嫁入りの話が出たのは昨日の夜のこと。実はまだ通達から半日も経っていない。
とは言ってもこの嫁入りの話はすぐさま王家からパパ公爵に通され、あとは本人の意思――実際は拒否権はないようなものだが――だけだったと聞いた。
なので花嫁道具も早々に手配され、あとは私の身体が揃えば良いだけだった。
しかし1番大事な私が中々目を覚まさず、一同は、特に王家は本当にヒヤヒヤしていたらしい。
因みに公爵家が用意したものはリリアーヌ本人くらいなもので、ほとんどが王家で用意されたものだ。この馬車も王家のものだ。
この婚姻が本当に国が絡んでいるのだと感じた。というかいつからこの婚姻を企んでいたのかが怖い。
それにしても今の私がしんどい理由は馬車のせいだけではない。同乗するもう一人の人物のことだ。
鏡を見ればきっと青白いであろう顔を上げる。視界に入るのはルゼルヴェイン家とはまた少し違うお仕着せの女性。
馬車の片隅に置かれた簡素な椅子に座って微動だにしないその背は直立もいいとこだ。
きっちりと髪の毛を結い上げてしまい込んだメイドキャップの隙間から覗く色は藍。今は閉じられているが、先ほど見えた瞳は綺麗な黄緑。
本当に、色白な美人さんだ。クールビューティーとはこのことか。
それにしたって、この国の顔面偏差値高すぎィ! 公爵家でもそうだったけどまさか使用人まで美人揃いとは。誰かの趣味なの? そうなの?
まあそのメイドさんなのだが、格好も相まって本当にカッコいいメイドさんなのだが。空気が重い。本当に重い。
王家から引き抜かれた彼女は私専属の侍女なのだが、御察しの通りとにかくお固い。
ちょっと微笑みでもすればそこらの騎士殿など1発で落ちそうなのだが、私に対しても塩対応もいいとこだ。キリリと引き締めた表情が美しいのは美しいのだが、この空間では少々、いやかなり息苦しい。
もうこの馬車が動き出して3時間ほど経つが、一向にその姿勢は崩れない。たまに街道の溝に車輪が沈んで大きく揺れることがあるが、その時くらいしかバランスも崩れない。
見た目だけで年齢を測るのは女性相手によろしくないが精々30前の容姿。服で隠されているとはいえ線も細い。一体どんな筋肉してるんだ。
「あの……、ずっと同じ姿勢では疲れませんこと? まだまだ道は長いのだから身体は大事にした方がよいのでは……」
「! いいえ、お嬢様のご心配には及びません」
鍛えておりますので、と一蹴されてしまった。
やっぱり本物のメイドさんってすごいんだなあ、と小並の感想を抱く。
それはともかく、声をかけた時に一瞬だけ彼女の肩が跳ね上がったような……? 声も少し裏返っていたし。
はて、と首を捻る。しかしすぐに思い当たった。
あれだ。悪名高いリリアーヌが他人を気遣うようなことを言ったからだ。なるほど。
確かにあそこまで酷く高慢なお嬢様がいきなり掌を返したように大人しくなると周りも不審がるだろう。
現にこの馬車に乗る前に関わった人間もまずは首を傾げていた。このお嬢様は誰だ、と言わんばかりに。この旅の間で身の振り方を考えなくては。
とはいえ中身は今や小心者の一般JD。マナーや貴族の嗜みこそはリリアーヌが覚えていても、心のあり方まではそう簡単に変えられまい。ましてやこんな短期間で。
今後のことを考えるとあまり調子に乗らない程度とはいえギアは戻していきたい。前途多難かもしれないが。
いや、リリアーヌのことを話題に出されたらいっそのこと「将軍様が誇れるお嫁さんになりたいので心を改めましたの」とかハートマーク付きで言えばいいんじゃないかな。
私、島流しされたみたいなものだけど一応親善の証だし。いい子にしてなきゃ。
そういえばいきなり婚姻、なんだよね。荷物にも花嫁衣装が入っている。
貴族社会における婚姻とは。ズバリ、両家との結びつきを強固にするもの。今回では両家というより両国の関係。そしてその血を繋ぎ、子孫を繁栄させること――要は、世継ぎをつくること。
ピタリ、と床に広がった簡素なドレスの裾を弄る手が止まった。
そうだ。そうだよ。お世継ぎだよ。私の仕事。
生憎の現代脳なので結婚かあ、と達観していたけど、そうだよ。この世界では『それ』が1番大事なのだ。
「わたし、なんもかんがえてないから」
ふるふる、と首を振る。私の虚ろな呟きが聞こえたのか、クールビューティーは怪訝な目を私に向けた気がした。
な、何も考えてない! 考えてないったら! 男の人と身体を重ねることなんて考えていないんだから!
でも、でも。そういうことだ。そうなる可能性が高い、というか絶対にそうなるんだ。確定事項なんだ。だから落ち着け、私。
現代人の感覚からすると顔を合わせて数日で身体を重ねるなんて考えられない。
いや、それこそ大企業の政略結婚ではあり得るのかもしれない。けれど私は庶民だ。一般人なのだ。
生前の私はこそこそ縛られた環境下にいたのでその手の話は全く免疫がない。知識はあるが、実践は一度もない。その知識でさえも本当なのかどうなのか分からない。
ああ、これ、私、どうなっちゃうの……?
熱さからして、きっと耳まで赤に染まった肌を隠すように私はクッションに顔を埋めた。
この空間の片隅では恐らく綺麗な顔のメイドさんがまた首を傾げているのだろう、と考えながら。