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先ほどの険悪な空気は嘘のように消し飛んでいた。

今や彼は文字通りに輝く瞳で、私に何を訊かれるのか楽しみにしている。



「俺はヴィンフリートくんの一番の親友だからね。なんでも聞いてごらん!」



なんということだ。あの旦那様に親友がいたとは。でもなんとなく自称なんじゃないかと思うのは気のせいか。


自信満々に胸に叩いた自称旦那様の親友さんに、まずは、と2人の関係から尋ねる。



「ヴィンフリートくんとは俺が軍に入った時に知り合ってな、同じ隊だったからよく話してたんだよ。まあ、俺がお喋りだからあの人は専ら聞き役だったけど」



旦那様が今年30歳に対して、デイビッドさんは28歳で後輩にあたる。

ファーストネームをくん付けで呼ぶ理由は、親友だから他の誰とも被らない呼び名にしたかったからとか。本人は嫌がっていたが諦められたらしい。


旦那様は下級貴族の次男で、両親はどちらも既に他界。長男が後を継いだが仲はあまりよろしくないそうだ。


結婚したのに旦那様の家族の話が上がらなかったのにはそういうこともあったのか。

今後話題にするのもタブーなんだろうな、と私の心の中にメモ書きを残した。



「一番上に姉さんがいてな、あの人には兄弟どちらも頭が上がらないんだ。今は商人と結婚して世界を回っている」



デイビッドさんはその時の旦那様のことを思い出したのか、からからと笑った。

つられて私もそんな旦那様を想像してしまい、くすりと笑みが零れる。


和気あいあいとした話の区切りがついたところで私はカップを見下ろした。次からが、本題だ。



「そうですね、次は――。あの人の、顔の傷はいつ頃ついたもので?」


「まあ、そりゃあ、気になるよな」



視線を落としたまま訊いた。橙色の水辺に映った私の顔をぼんやりと眺めながら。

表情こそ見えないがデイビッドさんは答えにくそうな声色で返す。


傷がついたのは8年前のこと。敵との剣戟で受けた傷らしい。

腕のいい軍医の尽力と旦那様の生命力のおかげで失明や後遺症は免れたが、痕はくっきりと残ってしまったと彼はポツポツと語っていく。



「新婚の奥さんに、こんなこと話していいのか分からないが……。お嬢さんは聞きたいか? ――あの傷のせいで何があったのか」



その言葉を聴覚が受け取った瞬間、反射的に顔を上げて私は目の前の軍人を見た。彼は目を伏せたままだった。


聞きたい。知りたい。でも本人以外からそんな大事な話を聞いてもいいのだろうか。

でも、知りたいのだ。知っておかなくてはいけないのだ。あの人はきっと話してくれないだろうから。いいや、でも、


押し黙った私にデイビッドさんは寂しさを孕んだ表情で静かに続けた。



「俺はな、お嬢さんに知っておいてほしいと思う。できれば本人から。でもあの人は自分から己のことを話さない人だから」


「――お願いします、聞かせてください」



デイビッドさんも私と似たようなことを考えていたようだ。

その台詞が決定打となって、頭の中をぐるぐると巡っていた葛藤は消えていく。残ったものは肯定だった。


頭を下げた私にデイビッドは少しだけ驚いたような顔を見せて、どう話そうか、と吐息混じりの呟きを漏らす。



「――あの人には、嫁さんがいたんだよ。貴族のお嫁さんが」



ピクリ、と。緊張で乾いた喉を潤そうとカップに伸ばした指が小さく跳ねた。それを誤魔化すように拳を握る。

握り込んだ指先は冷えていたようで、掌のあたたかさを感じた。そのままデイビッドさんを見遣って話の続きを促す。


今や功績を称えられ要職に就いた旦那様であるが出自は下級貴族。

その時の婚姻は互いの身分に釣り合ったもの。必要だから結ばれたと言わんばかりの愛のない結婚だった。


それが、9年前のこと。彼の顔に傷が付く1年前の話。ここまで聞いて、なんとなく察しがついた。


ただでさえ冷めた関係だったのに、あの傷痕が加わったことにより大きな亀裂が生まれたという。



「それらが原因で嫁さんは悪魔に憑かれて、挙句の果てに祈祷師に浮気した」



――ああ。また、悪魔に祈祷師か。


あの翡翠の色が脳裏を掠めて胃の奥がムカムカする。不快感でしかめてしまいそうになる顔に力を入れて無表情を貫いた。



「あの人は嫁さんを大事にしていたよ。叶えられる範囲で望みを聞いて、訓練だってキツいのにちゃんと悪魔憑きの嫁さんのこと考えて」



私が旦那様の屋敷に住むことになったあの日のことを思い出した。開口一番に告げられた約束ごと。

突き放すような言葉にはこの過去が埋まっていたのだ。


前の奥さんのとこを彼がどう思っていたのかは知らない。

けれどあの言い回しはまるで、もう傷付け合いたくないと言っているようではないか。



「けどこの始末だ。向こうはあの人のことなんてただの稼ぎ頭としか考えちゃいなかったんだ」



デイビッドさんの声で意識が現実へ引き戻される。

静かな怒りを湛えたその声は、今の今までずっと心に溜まっていたものなのだろう。



「俺は悔しくて堪らなかった。でもあの人は仕方ないって言ったんだ。それが許せなくてよ」



お互いがお互いをどう思っていたのか、私には到底分かり得ない。

話を聞いた上ではデイビッドさんの言いたいことも分かるが、夫のことを怖がった前の奥さんの気持ちも全く分からないとは言えない。


肯定も否定も出せない私は俯いた。

彼もその気持ちは分かっているようで、だからこそ行き場のない感情を持て余すようにコーヒーを煽る。



「だからあの人には幸せになってもらいたいんだ。やっと得た平穏をまた女のせいで無駄にして欲しくなんかない」



言い終えた後、叩きつけるように急下降したカップはソーサーに触れる直前でピタリと止まった。

デイビッドさんは大きく息を吐いてからカップを置く。陶器と陶器が微かに触れる音は壁を隔てた向こう側から聞こえる雑音と紛れていった。

また予約投稿の日付が間違っていたので今日こそ活動報告を更新しています。

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