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自分のいない間にいったい何が、とフランの視線が私に語りかけてくる。ごめん、ちょっと一言では済まない理由があってね。
目の前に座るのは、まるで炎のような赤髪を後ろでひとつに縛った男性。先ほど道に迷った私に声をかけてきた親切な人である。
しかし彼は旦那様のことを知っている人物でもあるようだ。それも、随分と親しげな。
「ああ、申し訳ない。まだ名乗っていなかった……ですね。俺……、いや、私は……」
「あの、ご無理はなさらず。砕けた口調でも私は気にしませんので」
高貴な身分である私にかける言葉がしどろもどろということは、彼は恐らく貴族ではないのだろう。
見るからに兵士さんだもんね。一般兵上がりである旦那様と古い知り合いというのが本当なら、大出世をしていない限りその身分は想像がつく。
しかしこのままでは話が上手く進みそうにないので、鼻につくような態度にならぬように気をつけて声をかける。
「ありがとう、お嬢さん。淑女にお茶に誘われておいてこの始末とは恥ずかしいけれど……。俺はデイビッド・クレイニー、第3軍部のしがない一般兵士さ」
デイビッドと名乗る旦那様の友人らしき人は、恥ずかしげに首元の尻尾に触れながらそう苦笑する。
今までの強張りが崩れた先には柔らかで気さくな印象。旦那様とは正反対もいいとこの。
さて、ここは王城内で一般市民にも解放された区域にあるカフェ。
広々とした店内には様々な身分の人が甘いお菓子を目当てに訪れる。とはいえ、こんな真昼間に呑気にお茶ができる人物は限られているが。
人目を気にする貴族のために用意された個室に、新たなティーカップがテーブルの上に追加された。
なぜ彼が私とお茶にすることになったかというと、何か私に言いたげな顔をしていたのでお礼という形で半ば強引に連れてきてしまったからだ。
ちょっと申し訳ないことをしてしまった気がするが、今を逃したら大事なことを聞き逃してしまうような気がしたのだ。
「私はリリアーヌ・グリュンタールと申します。クレイニーさんの仰った通り、ヴィンフリート閣下の妻です」
「デイビッドでいいよ、グリュンタール夫人。そうか、本当だったんだな……。あの人が貴族の女性と再婚したってのは」
今度は私が、と言わんばかり名乗れば彼の明るい笑顔はどこへやら。
デイビッドさんは難しい顔をして、しかもとんでもない事実を落としたではないか。
――再婚? 旦那様は一度別の女性と結婚していた?
「お嬢さん、悪いことは言わない。点数稼ぎでこんなことをするくらいなら、あの人には関わらないでやってくれ」
続けられた言葉が余計に私をどん底へ突き落とした。
テーブルの上を滑って差し出されたのは私が屋敷から持ち出した封筒。その横のティーカップから白い湯気が細く揺らめいているのが見える。
旦那様が城への提出を忘れたであろう書類。私が使用人たちを見兼ねて善意で引き受けたお使い。それを、点数稼ぎと。
次から次へと意味のわからないことを言われて、聞き返す言葉も出なかった。
その代わりにフランが反論するように身動ぎをする。私はそれを手で制した。卓上越しの彼を見て、続きを促す。
「お嬢さん、あの人の傷のことは勿論知ってるよな?」
「はい、存じております」
「恐ろしいだろう? ましてやあの人相に体格だ。軍人としては相応しいが、夫としては良いとは言えないだろ。――特に、無垢なお姫様には」
父親が子供へ道理を諭すように、デイビッドさんは厳しい顔つきで話していく。
しかし最後にそう吐き捨てた一瞬、苦虫を噛み潰したような哀しげな表情が溢れた。
ここで悟った。彼は本当に旦那様のことを大事に思う人だと。ならば私も、彼に本当のことを話すべきだと。
「――恐ろしかった、です」
「恐ろしかった? 今は?」
「分かりません。今、あの方は遠くへ行っておりますから。確かめようがありませんもの」
陶器の持ち手を摘み上げて、あたたかな温度を分けてもらうように唇を寄せた。
思い起こすのはあの人の笑顔。いや、笑顔というより困ったような、呆れたようなそんな顔。
けれど唇の端を微かに上げた柔らかなあの表情は、確かに私の心に穏やかな波紋を広げていく。
「でも、あの時の旦那様の顔は、すごく優しかったですから」
ほんの少しだけ温度の移ったそこから、するりと本音が滑り落ちた。
「――そっか、それならいいんだ。失礼なことを言ってしまって申し訳ない」
一拍置いて、安心したような声を漏らしたデイビッドさんは私に謝罪した。あの人には幸せになってもらいたいんだ、と続けて。
再婚がどうとか、そこんところぜひ話してもらえませんか、と気を取り直して訊きたいところだが、しんみりとした気まずい空気がそれを許してくれない。
しかしタイミングがいいのか、それとも計られたのか、お茶菓子のケーキが運ばれてくる。
その様子にデイビッドさんの顔があからさまに引きつった。
私だってツヤツヤにコーティングされたフルーツケーキが果物の甘さを無視したものだと知っている。
その甘さは暫く砂糖はいいやと思うほど。けれど糖分を摂らなければ乙女は死んでしまう生き物なのだ。
「女はよくそんなもの食えるな……」
デイビッドさんは感心するような独り言を呟いてから、見るのも嫌だと言わんばかりにコーヒーを流し込んだ。もちろんその液体は真っ黒だ。
私もそんなしょっちゅうは、と苦笑してフォークで掬い上げた一口分の甘さを頬張る。おおう、あまい。この甘さが最近クセになるんだよ。
ではでは、場も和んだところで今度は私が訊きたいことをたっぷり聞かせてもらいましょうか。
「さあ、今度はデイビッドさんの番ですよ。閣下のことやあなたのこと、もっと私に聞かせてくれませんか?」
甘いケーキを堪能する私を見守っていたデイビッドさんは、待ってました、と黄金を融かしたような瞳を細めて得意げに笑った。
活動報告も上げてますのでそちらもよろしければ是非。




