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「奥方が悪魔憑き、か。君も苦労が絶えないね」



その苦労を押し付けた本人が何を言う、などと文句のひとつやふたつくらい言っても許されるだろうか。否、許されないので沈黙を決め込む。


ここは王城近くにそびえ立つネクタリオス教会の一室。祈祷室に繋がる控え室のひとつだ。


その祈祷室に用のある彼女は今この場にはいない。先ほど名前を呼ばれて祈祷室に入っていったからだ。

残されたのは私と、彼女が自国から連れてきた侍女1人と、そしてこの件の相談役の第1王子だけ。



「私に緊張していたせいかもしれないけど、やはり随分と大人しかったね。憑かれている、というのにも納得がいくよ」



彼はそう言ってから、出されたコーヒーを優雅に啜る。

私が黙っていることをいいことに、彼はまたぺちゃくちゃと他愛のない話を始めた。



「――遅い、ね。いくらなんでも」


「アイリーン、私たちは様子を見てくるのでお前はここに残っていてくれ」



私は詳しくは知らないのだが、祈祷というものはそこまで時間はかからないらしい。

しかし待てど暮らせど、視線の先の扉は未だに開かれない。嫌な予感がする。


第1王子も不審がって席を立ち、仕方ないけど、と声を漏らしてドアノブに手をかけた。


そこはいやに眩しい部屋だった。奥に大きく嵌められたステンドグラスから陽光が射し込んでいるせいだろう。

その手前には彼女に覆い被さるように詰め寄る誰かがいた。背格好からして男だろうか。陽の光が眩しくてよく見えない。



「はい、レイモンドくん。そこまでー」



パン、と第1王子は手を叩いてからのんびりとした声をかける。今までの緊迫した空気ががらり、と気の抜けたものへと変わった。

第1王子の声にレイモンドと呼ばれた祈祷師はのろのろと彼女から上体を起こす。


椅子に座った彼女がゆっくりと振り返る。彼女の顔で何かが、きらり、と光った。



「――旦那、さま」



彼女の唇は確かにそう呟いて、私の胸に飛び込んでくる。

駆け寄ってきた勢いは止まらず、ぶつかるように私に縋り付いた。眼下に彼女の銀髪頭が見える。


触れてもいいのか、また私を怖がらないのか、と迷っていたところで、私の服を掴む彼女の手が震えていることに気が付いた。

耳を澄ませば、いやだ、こわい、とうわ言のように声を漏らしている。しゃくりをあげながら。


尚更、私に縋り付いてくるのはどういうことか。私が怖くて泣いているわけではないのか。ならば、何をそんなに恐れているのか。


どういうことだ、と混乱する中で、私にしがみついて涙を流す華奢な身体に庇護欲が湧いてくる。

迷った末に私は彼女の背をそっと叩き始めた。宥めるように、一定のリズムで。


それでも未だに啜り泣く彼女は、甘えるように頬を私の身体に擦り付ける。

わななく唇から溢れる嗚咽や吐息がやけに艶めかしく感じるのは気のせいか。


ゆるゆる、とむずかるように首を振る動きに合わせて、銀髪をまとめた髪飾りから伸びていく装飾が揺れる。その下に隠れた白いうなじが眩しく見える。



「何を、したんだ」



今まで彼女は涙を眦に浮かべることはあっても、それを誰かの前で零すことは一度もなかった。

しかし先ほど見えた彼女は確かに涙を頬に落として泣いていた。今もまだ泣き続けていることだろう。


きっと彼女は私の姿を見て泣いたのではない。教皇と名乗る目の前の男が彼女に何かをしたのだ。

その事実になぜか胃の奥がムカムカしてくる。



「いいえ、私は何も。彼女に棲まう悪魔が少々厄介なものだと教えただけですよ」



金髪の男は微笑みながらそう言った。

この笑顔は知っている。喰えないどこかの王子と同じものだ。



「ならば何故、彼女はこんなにも怯えている」


「己に憑いた悪魔を恐れたのでしょうね」



男を睨め付けるように見ても、彼は笑みを濃くするだけで身じろぎひとつせず、しれっとそう返した。


そう言われると確かにそのようにも聞こえる。が、その言葉は正しいようには思えなかった。

つまるところ、この男はどうも信用できない。



「ところでレイモンドくん、君はどうしてヴェールを外しているのかな?」



仕事中でしょ、とここで第1王子が話に混ざる。

やはりのんびりとした口調に、笑みの形を作る唇。しかし目は笑っていない。声色も今は心なしか鋭い。


私も詳しくは知らなかったが、教皇とは無闇に顔を見せるものではないらしい。そんな彼が今は素顔を晒している。



「私の瞳と彼女の瞳に、隔たりが――いいえ、彼女の悪魔を見抜くためにはあのヴェールは邪魔でしたので」



言いかけた台詞にますます疑念が湧いた。

第1王子もそれに気が付いたのか、ふぅん、そう、と雑だが何か言いたげな相槌を打つ。


と、ここで寄りかかっていた身体に重みが増した。そうっと顔を覗き込めば、どうやら彼女は眠ってしまったようだ。


意識の落ちた身体は脚から崩折れそうだったので抱え上げる。持ち上げた身体は軽くて、華奢で、力を込めればうっかり折れてしまいそうだった。


話は後にして今は彼女をどこかで横にするべく、私たちがここへ入ってきた控え室の扉を見遣る。

私たちが控え室にいなかったことに気が付いたのか、シスターのひとりが慌ててこの部屋に入ってきた。



「まあ、大変! 今すぐ救護室に案内致します。どうぞ、こちらへ」



彼女に従って私は第1王子と教皇に許しを得て、部屋から退出しようと彼らから背を向ける。そこで、声をかけられた。



「――ヴィンフリート・グリュンタール将軍。彼女を、私に譲っていただけませんか?」

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