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「ヴェール越しに見ている私でさえも、貴女の中に住まう悪魔に誘惑されてしまいそうだ」


「――は?」



混乱しているせいで上手く回転しない頭では彼の言葉の意味が分からなかった。


悪魔とは。夢の中で唆されるものではなかったのか。

なぜ私を見て? なぜ、私がとんでもない悪魔に憑かれていると? 何を根拠に。私の奇行は悪魔のせいではないのに。


壇上から私を見下ろす彼、壇上の彼を見上げる私。



「然るべき場ではこれを外すことはないと思っていたのですが、ね」



そう言い残して、彼の頭をすっぽりと覆う布が取り払われた。現れたのは、鬱金。


陽光に照らされて煌めくその色を目にした途端、ずきりと胸が痛む。ちりちり、と記憶の底が炙られるように何かが蘇っていく。


壇上から一段一段降りてくる彼。法衣の裾が、まるで純白の獣の尾のように段差を滑り落ちていく。

宗教画からそのまま抜け出てきたような風貌の男が、私の元へと降りてきた。


警鐘が耳元でけたたましく鳴り響く。何かがおかしい、危険だと。



「あ、の。教皇様? なにを、なさって」


「私にもっとその顔をよく見せてください」



ずい、と顔を覗き込まれた。エメラルドグリーンの瞳の中に、困惑した表情の私が映る。


先程まではあんなに遠かった距離が一気に詰められたことに理解が追いつかず、身体は恐怖で凍りついた。

しかし彼はそれを良いことに私の頬に手を滑らせる。女のように綺麗とはいえど、男の硬い指先が耳介に触れた。


固まった身体でも敏感な部分は感覚をなくすことはないと知る。いや、むしろより研ぎ澄まされていたのだろうか。びくり、と肩が跳ね上がった。



「ああ、なんて蠱惑的なんでしょうか。ほんとうに、タチが悪い」



怒った声でも、呆れた声でも、悲しい声でもない。――酔った声だ。それこそ悪魔の囁きのような、甘い色気を帯びた音だ。

ぞわり、と拒絶に近い寒気が頭のてっぺんから足の先まで駆け下りる。


声が出ない。歯の根が上手く合わさらずにカチカチと音を立てる。手も、脚も、身体も、縫い付けられてしまったように動けない。


旦那様から受け取る恐怖とはまるで違う。

上手く説明は出来ないけれど、何かが決定的に違う。それだけは言える。



「怖がらないで。共に悪魔を祓えるように頑張りましょう?」



それはそれで惜しいけれど、と彼は不穏な言葉を囁いた。


彼が何を感じて、考えて、動いているのか呑み込むことができない。

向けられた感情に理解が追いつかなくて、訳がわからなくて、それがひどく恐ろしい。



「教皇、さま……」


「レイモンド、とお呼びください。リリアーヌ様」



漸く出てた吐息混じりの声は当然のように震えていた。

しかし彼はそれを気にするどころか、益々瞳の色を欲に染めて妖しく笑う。



「貴女の悪魔はここ最近で棲みついたものではありません。一体いつから、飼い慣らしていたのでしょうね?」



ふわふわと酔い痴れた声は突然と冴え渡るように低められ、確信めいた口調で告げられた。

欲に濡れた瞳の底で、一筋の鋭い光が私を貫く。


その台詞だけは思い当たるフシがあって、心臓が跳ね上がった。



「わたし、は、悪魔になど……」


「憑かれていない、と? そんなことはありません。現に私を誘惑したではありませんか」



そんなの言いがかりだ、私にとってはお前の方が悪魔だ、と声を張り上げることが出来たら良かったのに。


けれど身体は竦んだままで動く気配はない。喉は浅く息を吐くだけで、声もまだロクに出せない。

せめてもの抵抗で睨みつけるように彼を見上げたが、その相手はより獰猛に笑うだけだった。



「――はい、レイモンドくん。そこまでー」



パン、と手を叩く乾いた音が高い天井に木霊したかと思えば、のんびりとした声をかけられた。

その声には教皇様も動きを止め、私に覆い被さるように曲げた身体を惜しむように起き上がらせる。


軋んだ首を声の方向へ回せば、やはりその笑みを崩さない第1王子と、その後ろに硬い表情の旦那様がいた。弾かれたように身体が動く。


ガタリ、と音を立てて椅子から立ち上がり、目の前に立つ教皇様を押し退けて駆け出した。



「――旦那、さま」



第1王子の脇をすり抜け、突進するように私は旦那様に縋り付く。

結構勢いよくぶつかった気がするが、しっかりと筋肉のついた彼の身体はビクともしなかった。


こわい、いやだ、と呟きながら首を振る。髪飾りから垂れた装飾が揺れて、うなじの辺りをくすぐった。


旦那様はいきなり抱きつかれて、困惑していることは何となく気配でわかる。

けれど旦那様の服を掴む私の手が震えていることに気が付いたのか、行き場を失っていた手はあやすように私の背中を優しく叩き始めた。


触れた体温が暖かくて、与えられるリズムが心地よくて、恐慌状態だった心が安定していく。


恐怖で凍えていた身体は安心感で包まれ、その次は休息を求める。

頭上や少し向こうで何やらボソボソと話し声が聞こえるが、それさえも子守唄のように聞こえた。


私は悪魔憑き。教皇様曰く、ずっと昔からとんでもない悪魔を飼っていると。そしてその悪魔は教皇でさえも誑かしたと。

それは悪魔のせいのか、私自身のせいなのか。それとももっと別の理由があるのか、ないのか。


――ああ。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか見当がつかない。


ぐるぐる、と巡る気持ちにもういっそ余計なことを考えるのは諦めて、私は安寧の海に身を投げた。

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