01
目を覚ませばまた知らない天井。なんとなく思い出せるあの出来事は全くの夢で、私は無事に病院に運ばれたのならどれだけ幸せだったか。いや、それはそれで幸せでない気がするが、今はどうでもいい話だ。
しかし目に入った天井は、明らかに私の知る病院のそれではなかった。まさか私が天蓋付きのベッドで眠る日が来るとは……。
ぼんやりと視線をずらせば、傍にいた熟年の女性が泣き出した。彼女は私の白い指を優しく握る。それに気付いたまた別のお仕着せの若い女たちは慌てて部屋から出て行った。
「ここ、は……?」
息は特に苦しくはないが、声を出そうとする喉が痛む。絞り出した声は案の定かすれていた。
「ああ、お嬢様! 目を覚まされたのですね! ああ、良かった!」
彼女、ステラの話からすると、あの日私はこの国の王子たる人間から己の罪を突きつけられた。今日はその日から1週間。そう、1週間だ。私は罪を認めたと同時に意識を失い、そのまま眠り続けていたというではないか。
高熱に魘されたのは倒れてすぐ。丁度3日間を過ぎた時にすとん、と熱は下がった。しかし一向に目を覚まさない私に、医者はもう無理かもしれないと声なく首を振ったらしい。
何となくでも私に起きたことを知っていたのか、医者の見立てでは精神的なショックで倒れたという。だが私にはそれが違うと言える。まあ、合ってると言えばそうなのだが。
私はリリアーヌ・ルゼルヴェイン公爵令嬢。このファズマレール王国の上流貴族に産まれた生粋のお嬢様だ。
年の離れた兄を二人持ち、やっと産まれた末娘となればもうわかりきったことだろう。蝶よ花よとそれはそれは甘やかされて育てられてきた。結果、今や権力を盾にやりたい放題わがまま放題。とんだモンスターだ。
しかしそれは外見の話。1週間前を以って、中身は日本という小さな島国で産まれた一般人の田辺 真理。もうイマドキと言えるのか怪しい異世界転生とやらをしてしまったようだ。私の場合、生まれ変わりというより憑依とかに近いのだろうけど。
そう言われると最後にあの世界で私が見たものは眩しすぎる光。暗闇を切り裂くような光を放つトラックのライトだ。
でも飛び出した記憶もないし、痛みや衝撃はよく覚えていない。本当にトラックに轢かれたんだろうか。それこそ特殊な力が働いて、とか。転生トラック、一名様ごあんなーい!ってか。なにそれ笑えない。
それはともかく、恐らく私はその憑依とか言われるもので高熱を出しながらもリリアーヌと同化した。何とか同化できたものの、その負担はお嬢様の身体には大きすぎるものだったからその後は眠り続けたのだろう。
ではあの綺麗な王子様との件は夢だったのか? と思うが、あれはあれできっと現実だろう。確かに私は意識を持っていたが、リリアーヌの意識も持っていた。意思がせめぎ合っている、と言えばいいのだろうか。あの時はまだ、私はリリアーヌと上手く混ざっていなかったと思う。
いや、それはいいんだ。その辺はまたあとでゆっくりと考えていこう。時間はたっぷりあるのだから。
そう。私は、リリアーヌは断罪されたのだ。王子様の妃候補である数々の令嬢、そしてレティシア・アルバーン男爵令嬢を虐めた罪で。
罪は償わなくてはならない。よくある展開でここに転生して、よくある展開で断罪された私は、きっとよくある展開で罪を償うことだろう。
普通に考えれば島流し、修道院送り、没落あたりが妥当なところか。しかし私は思い当たる節がないとは言えない。
生前、よく読み漁った恋愛小説。ここまではそれらの物語と展開が似ている。期待しているわけではないが、それらから考えるに私はある意味救われる可能性があるのではなかろうか。
しかしこの世界線がどこかで読んだ話と酷似しているとは言えない。リリアーヌという悪役令嬢はいなかった筈だ。いや、どこかの話にはいたのかも知れないけど。少なくとも私は知らない。
もう私は悪役であることは確定。今後の身の振り方でその役が消えることはない。もうこの身を問いただされるほど、数々の罪を為しているからだ。
これで王子やその関係者貴族のルートは消滅する。悪役の私を知る人間と恋に落ちたりなんやかやとかちょっと性格を疑う。あり得なくはない話だけど、出来ればご遠慮したい。
次、僻地に飛ばされて領地経営の可能性。ファズマレール王国はそこそこの大国だ。そこの公爵家である我が一族にはそこそこに領地を持っている。
リリアーヌは王子様と王妃の座のことしか考えていなかったらしく、その辺の知識は乏しい。しかし知らないだけで飛び地の領地もあることだろう。
そういえばまだ言っていなかったが、リリアーヌの中身である田辺 真理は一般JDと呼ばれる部類だ。まだ働きに出てもいない小娘がいきなり経営なんぞできるはずがないだろう。利発な子ならまだしも、私はそこまで優れた頭脳と発想力は持ち合わせていない。
とはいえ、贅沢尽くしでやりたい放題だった令嬢がそんな高度なものをまず任されることはないだろう。仮にその話が出てきたらちょっと、いや、かなり困る。自分も、それを言った相手のことも。
さて次の線は没落して平民落ち。これは一家諸共となるか自分だけか。しかし城に勤める父も兄もとても優秀で勤勉だと私は思ってる。リリアーヌがそれをどう感じていたかは知らないが。
そんな優秀な人材を私だけのために捨てさせるとは思わない。つまりその場合は私だけが縁を切られて平民として生きていくことになるだろう。
流石にこの身一つで放り出されることはない……はずだ。たぶん。ある程度の身の保証はされることだろう、きっと。仮にも貴族だったわけですしおすし。
それに真理がやったことではないが、罪を犯したリリアーヌと同化してしまったのだから仕方ない。しっかり働いて平民としてでも生きていくのが妥当だろう。
ううん、ひとまず考えられるのはそんなものだろうか。あとは通常通り島流しに修道院行きとか。まだ自分のことに混乱しているせいで生前の記憶がどうも曖昧だ。同化する際に落っことしてしまったのだろうか。
とは言っても私はリリアーヌが主人公の小説は知らない。だから無理に物語に沿っていく必要はない。その分、幸せになれる可能性は低くなるがまあそれはそれ、だろう。
――ああ、でも、いっそのこと。ひと思いに殺されてしまうのも手ではなかろうか。それもひとつの幸せではなかろうか。
なんとなく分かってはいるが、なぜ私がここにきてしまったのがわからない。
ひとりぼっち。そう、私はここでひとりぼっちなのだ。リリアーヌを知る人はいても、田辺 真理を知る人はどこにもいない。
ひとりは、寂しい。だから手を離してしまいたい。自分がこの先どうなるかが分からない。それはとても不安で。
ごめんなさい、悪役令嬢リリアーヌよ。あなたの身体を奪ってしまったというのに、私はこの身体を手離したくて仕方ない。
幸せになるために生きていこうと思わなくて、ごめんなさい。幸せになるためのカードがなくて、ごめんなさい。
人払いをしたリリアーヌの私室は、ただでさえだだっ広いから人の気配がないと余計に広く感じる。
昼か夜かも分からない部屋の中で、ひとりきり。まるでこの世界に放り込まれた私のようだ。寂しくないわけがない。不安にならないわけがない。
高慢ちきなリリアーヌなら何というだろうか。彼女の声はもうあれっきり聞こえない。