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オルサーヴ王国の将軍、もとい第1軍部指揮官のヴィンフリート・グリュンタール閣下の奥方となって早くも1週間とその半分が過ぎた頃。
超、平和。この一言に限る。ここ数週間前のドタバタが嘘のようだ。
それもそのはず、この屋敷に住み着いてから引きこもりもいいとこの生活をしているからである。
朝陽が昇って少しした頃、仕事へ向かう旦那様をカーテンの隙間から見送ることが私の1日の始まりだ。
なぜ直接見送らないかというと、見送ったところで盛大にしかめられた顔に私はたいそう怯えたからである。
あんなに睨まなくたっていいのに。接点が少ないのでまだあの眼光の鋭さには慣れない。
そして翌日から出仕する時間を早められてしまったので見送ることは叶わなかった。
私も早起きしてもいいのだが、それをすれば私の身支度をする使用人たちに迷惑がかかるだろう。朝は忙しいのだ。
何よりも私が早起きしたところで、旦那様はまた翌日は時間を早めて屋敷を出て行くのだろう。
まるでイタチごっこだ。帰りも遅い旦那様なのに、これでは屋敷で休む暇がなく倒れてしまう。
旦那様の乗る馬車が見えなくなるまで窓の外を眺めたところで、呼び鈴を鳴らす。
そうすればアイリーンとシュゼットを始めとする使用人たちに囲まれて、着替えなどの身だしなみを整えていく。
コルセットはなるべくしたくないので、ゆったりとしたドレスに着替え、髪も櫛に通されていく。
髪型は結い上げるのが普通なのだが髪が引っ張られるせいか頭が痛くなるので、緩い三つ編みをそれぞれの耳下に垂らすのが最近のお気に入りだ。
そうしたところでやっと朝食である。起床してから時間が経っているのでお腹はぺこぺこ。
ではいざ優雅な朝食を、とフォークとナイフを手にしたところでアイリーンから声をかけられた。
「今度の週末、ピクニックのお誘いを受けているのですがいかが致しますか?」
「ピクニック? アイリーンと?」
「何を仰っているのですか、リリアーヌ様。私とではなくグリュンタール将軍とですよ」
とぼけたつもりはなかった。最近お出かけするのは基本アイリーンが一緒なので、てっきりこのピクニックも彼女と行くものだと思っていたのだ。
いやしかし、なんということでしょう。そろそろコンタクトを取るべきか、と思っていたところだったのでいい話が転がってきた。
二つ返事で了承したいのは山々だが、ひとつ問題があるので一瞬だけ返答を渋る。
そう、いきなりお出かけデートであることだ。
旦那様からの誘いということは当然アイリーンたち侍女抜きで長時間ふたりきり。
私たちは会話どころか顔すらまともに合わせていない状態だ。それなのにいきなりデートとか困る。会話に困る。
私としてはデートはもう少し距離を詰めてからだと思っている。
今はとにかく面と向かっての会話だ、会話。まだ少しずつの積み重ねが大事な段階なのだ。
「ええ、是非。楽しみにしているわ」
まあ、拒否権なんてあってないようなものですけどね。
本音としては遠慮したいところだったが、ここを逃したらまた暫くは旦那様と関わるきっかけが激減するだろう。
断った後に2回目の誘いがあるとはとても考えにくい。ならば答えはイエスしかあるまい。
さて話は終わったと言わんばかりに、私はふかふかのパンへ手を伸ばす。
味付けは少し濃いが、食事が美味しくて本当に良かったと思う。お茶菓子も甘ささえどうにか抑えれば絶品である。
朝食を食べ進めていく中で、今週末に入った予定のことを考えていく。
詳細はまだ不明と言われたが、ピクニックというくらいだから屋外で昼食でも摂るのだろう。
ピクニックといえばやはりサンドイッチか。どんなのを作ってもらえるのかなあ、と早速色気より食い気が勝る。
いかんいかん、と首を振りながら新鮮な野菜を頬張った。
服装は動きやすいものがいいだろう。そういえば移動手段は? 馬車? まさか乗馬か?
一応乗馬は嗜んではいる。けれど乗馬服は持ってきていたかなあ、と知らぬうちに詰められていたあの花嫁道具の中身を思い出していく。
まだこの国に来てから1週間程度なので、屋外の行動範囲は限られている。そもそも貴族の令嬢はあまり表を彷徨くものではない。
だからピクニックと聞いて楽しみなのは事実だ。ただ、ついつい余計なことを考えてしまうだけで。
食事を終えて、自室へ向かう。腹ごなしついでに週末に何を着ていくかざっくり決めておこう。
アイリーンに声をかけたところ、乗馬服はあることにはあった。
けれどフリルや小ぶりの宝石など、装飾品の類がじゃらじゃらとついていた。ので、全て外してもらうように指示する。
いくらなんでも実用性がなさすぎる。それに趣味が悪い。こういうのはシンプルなのがカッコいいのに。リリアーヌはわかってないね。
馬車での移動だった場合は、オルサーヴに来る時に着ていた軽装がいいだろう。
衣装箱の奥を漁って、気に入っていた一着を取り出した。ほんの数週間前に着ていたはずの服なのに少し懐かしく感じる。
深い青のスカートの生地を撫でれば、あの日のことが脳裏に過ぎる。
――まあ、大丈夫、だよね?
あの人たちと、旦那様はきっと違うのだから。
もし彼が私に手を上げる時が来たのなら、私はそれ相応のことをしてしまったに違いない。彼は理不尽な理由で私を貶めようとはしないだろう。
署名をした日、私は彼に無礼を働いた。夫ともなろうお人に恐怖心を抱いてしまったから。
彼も私の態度に気が付いていた筈なのにお咎めはなしだった。むしろ好きに豪遊してもいいなどと宣った。
確かにその裏にはオルサーヴとファズマレールが繋がっている。それは分かっている、分かっているけども。
まだたったの1週間程度の付き合いとはいえ、使用人たちの話からも人の良さは聞いている。まあ、誰もが口を揃えて顔は怖いけど、と締め括っているが。
このデートがいい方向に繋がってほしいけど、と手にしていたスカートを衣装箱へとしまった。




