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「それなりの金は渡す。それで宝飾品を買い漁るなり、国内であれば旅行するなり、好きにすればいい」
あー、いい声だな。ったく。――おっと、失礼。なんでもありませんことよ、うふふ。
ということで、翌日。
結婚生活を始めるべく旦那様のお屋敷へと赴いて応接室のソファを勧められたかと思えば、挨拶もなしにいきなりこの一言。
こちらに気を遣っているのかは分からないが、幸い旦那様は窓辺で外を眺めている。後ろ姿だけならとても絵になる。
彼は軍服姿だった。式典の時のように華美な装飾はされていないが、そのシンプルさが彼には似合っている。
「茶会を開くのも、夜会に出席するのも……愛人を囲うのも、許可する。だがくれぐれも私に迷惑のかからない範囲と約束できるなら、だ」
ほう、と後ろ姿に見惚れる。後ろ姿に。
けれど旦那様はそれを察知したか否か、振り向いてきて脅しのような目線を向けた。
今の私はまさしく蛇に睨まれたカエル状態だ。
「や、やくそく、しみゃす」
噛んだ。これはひどい。
睨まれて血の気が引いていたはずの顔が羞恥で一気に赤くなる。全く、赤くなったり青くなったり忙しい顔色だこと。
「私は仕事に行く。詳しいことはシュゼット、彼女に聞くといい」
旦那様の視線を追えば部屋の片隅に初老の女中が控えていた。茶色の目がかち合って、一礼される。
年齢からして、旦那様に指名されたからして、女中頭なのだろう。
「わかりました。いってらっしゃいませ」
そう言い終わらない内に応接室の扉が閉まった。つまり、聞く気はない、と。
昨日、充分にフラグは立てておいたけど、キレーに全部回収したわね。ひとつも折れなかったわね。取りつく島もない。
こりゃ暫くは自室に引きこもって、まずは自分が害のない女だと認識させるべきか。
昨日散々練った計画書はあっさりと白紙に戻し、新たな予定を書き記していく。
「お初お目にかかります、奥様。女中頭のシュゼット・ヘイクスと申します。何なりと私にお申し付けくださいませ」
奥様と呼ばれて、一瞬誰のことだか分からなかった。
そういえば私、昨日付で奥様だったわ。旦那様は散々旦那様と呼んでいるけど、いざ自分が奥様と呼ばれるとなんだかこそばゆい。
「よろしくね、シュゼット。けれど私、まだ奥様と呼ばれるのが恥ずかしくて……気軽にリリアーヌと呼んでくださらない?」
と、照れたように笑みを浮かべればシュゼットは目元のシワを寄せて微笑み返した。口元に手を添えて、あらあら、と言いたげに。
ふむ、こんなあざといマネをして変な顔をされないということは私の素性は知られていない?
まあそれとも、穏やかな笑みの裏で呆れられているのか……。信用するにはまだ判断材料が少ない。
仮にここの屋敷の使用人全員がリリアーヌを知っているのならば、尚更暫くは大人しいいい子ちゃんでいる必要がある。
ひとまず1週間。1週間したら何かしらの進展があるだろう。なければないで、こちらからアクションをしてみよう。
方針きーまり、と脳内で結論づけたところでシュゼットに声をかけて自室へと案内してもらう。
だだっ広くもなく、狭すぎず。なんともジャストな広さの自室だった。王城の客室は元の一般人の私には広すぎて豪華すぎて落ち着かなかったが、これなら夜も安眠できそう。
調度品は必要最低限。どれも色味が落ち着いているので私好みだ。旦那様はあんなナリだが趣味が合いそう。
「こちらはリリアーヌ様がお持ちになった調度品で部屋を整えました。お気に召しましたか?」
違った。うちの国の者のチョイスだった。
政略結婚する時の花嫁道具って、自国の財力権力を誇示するためにすごく豪華絢爛で、むしろ余計なものまでついてくるイメージあるけど……。私の中の想像とは違うようだ。
まあ、あの王子様のことである。私にかける金などない、と言った具合だろう。とはいえ上等なものだろうし。
私としてはよほど趣味が悪くない限り、使えれば安物でも何でも構わないのだけど。
シュゼットの目を盗んで別室に目を向ける。――奥は寝室のようだ。そっとガッツポーツをする。
夜のお勤めだけはしっかりこなせ、とか言われないかとヒヤヒヤしていたが……。そんなことはなくて心底安心した。
まあ、愛人を囲んでもいいと言ったくらいだ。その辺は全くもって期待していないのだろう。
それはそれで女のプライドを傷つけられた気がしなくもないが、私だって愛のない肉体関係など出来れば持ちたくない。
「ヴィンフリート様も、酷いことを仰いますよね。こんなに若くて可愛らしい奥様なのに」
私の視線から察したのか、それとも私の心を見透かしたのか。シュゼットは主人がこの場にいないことをいいことに、ぷりぷりと怒りだした。
「ねえ、シュゼット、あの……。早速内緒の話なのだけれど、だ……閣下は、どんな女性が好みなのかしら」
お世辞とはいえせっかく若いと、可愛らしいと言われたからにはそのカードを存分に利用するようにあざとくシュゼットに尋ねる。
気安く旦那様、とうっかり口にしてしまいそうになってしまったのは気にしてはいけない。
「これは奥様の耳に入れるべき話ではないかと思いますが……。実は、この屋敷は元々王家のものなのです。それをヴィンフリート様が賜った後に、私たち使用人が募集されたのです。ですので私たちも詳しいことは……」
「ねえ、それって、いつの話?」
今のところシュゼットからは私に対しての嫌悪とか疑念の色は見えない。こんな余計な話も素直に話してくれている。ならば、と話にもう少し踏み込んでみた。
そう、本人から聞き出せないのなら周りから聞き出せばいいじゃないか。これくらい聞いたってバチは当たらないだろう。
「ええと、ヴィンフリート様が第1軍部指揮官に任命されたのはだいたい1ヶ月半前です。同時期に使用人の募集がされました。ファズマーレル王国から花嫁がやってくるので準備を整えるように、と」
「あら、そうだったのね。ありがとう、聞かせてくれて」
ニコリ、と笑顔で返せばシュゼットはまた笑った。彼女を見るとどこか懐かしく思うのはあれだ、公爵家の女中頭のステラだ。ステラの方がもっと年老いているけども。
さて、1週間を使ってどのように暇を潰すかだが、ひとまず公爵家に手紙を書くことを決める。
もう少しゆっくり部屋を見てまわったら、私の第2の女中頭に手紙を書く用意をしてもらえるように伝えよう。




