戻ってきた日常
「……というわけで俺、もう一回やり直すことにしました! ピアノを買いたいので、お金貸してください!!」
「……椎名、入る時はノックをしろとこの間も言っただろう」
「本気なのはわかったから、その体勢はそろそろやめようか」
虹太は急いで屋敷へ帰ると、この間のようにノックもせずに透花の執務室に飛び込んだ。
そして、すごい勢いで土下座をする。
先日と同じく仕事の話をしていた透花と柊平は、目を丸くせざるをえなかった。
虹太が事情を話す内に、二人とも納得の表情に変わる。
「お金を貸すのは一向に構わないよ」
「ほんと!? 透花さん、ありがとー!!」
透花からの快い返事に、虹太はようやく顔を上げた。
その表情には、満面の笑みが広がっている。
「でもその前に、虹太くんに見てほしいものがあるんだ」
「なになに~?」
「ちょっと準備してくるから、十分後に一階の一番奥の部屋に来てもらえる?」
「あそこって、開かずの間じゃないのー?」
「普段は鍵を開けていないけれど、普通の部屋だよ。鍵もここにあるし」
透花はそう言うと、机の引き出しから鍵と一冊のファイルを取り出す。
それを持って立ち上がると、柊平に声をかけた。
「柊平さん、ごめんね。ちょっと待っていてもらえる? 三十分以内には戻ってくるから」
「かしこまりました。私のことはお気になさらないでください」
「ありがとう。じゃあ虹太くん、また十分後に!」
そして、そのまま部屋を出ていってしまう。
二人だけが残された空間で先に口を開いたのは、珍しく柊平の方だった。
「……もう、体調はいいのか」
「え? 俺のこと~?」
「……お前と私以外に、今この部屋に人はいないだろう」
「あはは、そうだよね。うん、別にいつも通り元気だよ~☆」
「そうか。ならいい」
「……俺、そんなに元気なかったかな?」
「毎日ひどい隈だったぞ。いつもと違い饒舌さの欠片もなかったしな」
「……いつもみんなに煩いって言われてるし、たまには静かな俺もよかったでしょ~?」
そう言った虹太は、へらりと軽薄そうな笑みを浮かべる。
それは一週間前の危機迫る表情とは違い、柊平のよく知る虹太だった。
「……そうだな」
「ほら、やっぱりー!」
「……と言いたいところだが、お前が元気じゃないとこちらとしても調子が狂う。無理にとは言わないが、できるだけ明るくいてほしい。お前はこの隊のムードメーカーなんだからな」
「今日の柊平さん、めっちゃ優しいんだけど……!」
嬉しそうな虹太の表情を見ていると、自分の中に気恥ずかしい感情が込み上げてくるのを柊平は感じた。
それを誤魔化すように、視線を逸らすとぶっきらぼうに言い放つ。
「……少し話しすぎたな。隊長が待っているかもしれない。そろそろ行った方がいい」
「うん! あっ、柊平さん」
「なんだ」
「この間は酷いこと言ってごめんなさい! あの日はちょっと余裕がなくて……」
「別に気にしていない。常に感情をコントロールできる人間なんていないからな」
「それって、いつも冷静な柊平さんでも取り乱すことがあるって意味だよね!? 何それ、超レアじゃーん! ちょっと見てみたいかも☆」
「……隊長を待たせるな。もう行け」
「はーい! じゃあ、まったね~♪」
今にもスキップしそうな足取りで部屋を出ていく虹太を見て、柊平はため息を吐いた。
それは決して、負の感情からきたものではない。
彼は屋敷に”日常”が戻ってきたことに対し、安堵のため息を漏らしたのだった――――――――――。