もう少しだけ、失った恋に浸らせて
⑦午後六時、弓道場の裏にて
部活を終えた心は、とある女子部員と一緒に弓道場の裏にいた。
彼女は、バレンタインデーに心に告白した一学年上の先輩である。
「チョコ、ありがとうございました……。おいしかったです……」
「お、おう! 口に合ったんならいいんだよ!」
「これ、お返しです……。的みたいな和菓子を見つけたから、それを……」
「あ、ありがとな! 用事がそれだけなら私は帰るから!」
少女は、袋を受け取るとそそくさとその場を離れようとする。
彼女からは、あまり長く心と話したくないというオーラが漂っていた。
しかし、そんな様子に気付かない心は彼女を呼び止める。
「先輩、待ってください……」
「な、なんだよ……」
「……この間の返事、させてください」
心がそう言うと、少女はごくりと唾を飲み込んだ。
そして、覚悟を決めた表情で心と向かい合う。
「……わかった。返事、聞かせてくれるか……?」
「……ごめんなさい。僕は、先輩とお付き合いはできません……」
「そっ、か……。そうだよな……。うん、わかった!」
それは、驚くほどにさっぱりとした表情だった。
……この笑顔が作り物だということに、心は気付かないのだろう。
「これからは、普通の先輩と後輩としてよろしくな!」
「はい……。こちらこそ、よろしくお願いします……」
「……お返し、大切に食べるよ。じゃあ、私は帰るから!」
「あ、さよ……」
少女は、心の挨拶も聞かずに走り出してしまう。
彼女が向かったのは、弓道部の部室ではなかった。
弓道場の近くにある大きな木の裏に来ると、そのまましゃがみ込む。
袴が砂で汚れることなど、今の彼女は気にならないようだ。
(フラれるって、わかってた……。だから今日、あいつの話を聞きたくなかったんだ……。あはは、私ってば結構みっともないな……)
彼女は心に、告白の返事はいつでもいいと言っていた。
だが、あの日を境に心の態度が変わるようなことはなかったのだ。
返事をされるならば、ホワイトデーである今日だと感じていたのだろう。
(女として見てもらえてないなんて、わかってたよ……! だって、私は結城をあんな風に笑わせてあげられない……! あんな表情、見たことなかった……)
この少女は、文化祭の時に透花と話す心の姿を見ていた。
弓道部の受付をしており、透花と颯を案内したのが彼女だったのだ。
それまで、彼女にとっての心はただの後輩の一人に過ぎなかった。
だが、透花に向ける柔らかな笑顔を見て恋に落ちてしまったのだ。
自分にもああやって笑いかけて欲しいと思い、先輩として親身になってアドバイスをしたり、女性として差し入れをしたりと、色々と努力はしてみた。
だが、心と関われば関わるほどに強く感じてしまうのだ。
あの笑顔は、心にとって特別な人にしか向けられないものなのだと。
そしてそれが自分に向けられることは、恐らく一生ないということも――――――――――。
一ヶ月前の今日、少女はフラれることが分かっているのにあえて告白をした。
心を諦めることも、心に好きになってもらうことも出来ない。
それならば、はっきりと彼の口から断られてすっきりとしたかった。
そう思い告白したものの、返事を聞くのが怖くなり逃げ出そうとしたのだが。
(……断られれば諦められると思ってたけど、そんな簡単じゃないよな。気持ちの整理には時間がかかるし、きっと私はしばらく結城を好きなままだ……。でも、ちゃんと先輩でいるから、まだあんたのことを好きでいさせてくれ……)
少女は膝を抱えると、そこに顔を押し付けた。
彼女の瞳から涙が零れているのかどうかは、本人にしか分からない。
柔らかな月の光が、彼女を優しく照らしている――――――――――。