もっと人の話を聞くようにしましょう。
⑥午後五時半、陸上用トラックにて
蒼一朗はこの日も、いつものトラックを走っていた。
十キロを走り終えると、浮かない顔でとある方向へと歩いていく。
そこには、バレンタインデーに蒼一朗にチョコレートを渡した女性がいた。
「……あの、すんません」
「はい! あっ、あなたは……!!」
「……うす。バレンタインの時はありがとうございました」
「いえいえ! こちらこそ、受け取っていただいてありがとうございました!」
女性は、一ヶ月前と変わらずとても快活な様子である。
「……あの、これお返しっす」
「え……?」
「普通に菓子とかにしようとも思ったんすけど、そもそも甘い物が好きかどうかわかんなかったんで。ランニングシューズ用の靴紐にしてみました」
「わ、私にですか……!?」
「うす。もしこだわりがあって気に入らないなら使わなくても平気なんで」
蒼一朗はそう言うと、小さな袋を彼女に向けて差し出す。
だが、女性はそれをなかなか受け取ろうとしないのだ。
不思議に思い見てみると、彼女の瞳から大粒の涙が零れていた。
「は……!? え……!? な、なんすか急に……!?」
「ほ、本当に私が貰っていいんですか!?」
「う、うす……。そのために買ってきたんで……」
「ありがとうございます! 家宝にします!!」
さっきの様子から一転して、女性は勢いよく袋を受け取った。
そして、蒼一朗に向かって何度もペコペコと頭を下げている。
目の前の女性は、泣きながらもとてもいい笑顔をしているのだ。
蒼一朗は呆気に取られてしまい、この状況を理解することが出来ない。
「私、男の人に何かをプレゼントしてもらうの初めてなんです……!!」
そんな蒼一朗を気にすることなく、女性は自分について語り始めてしまう。
「私って、見た目の通りすっごくガサツなんですよ! だから、男の人に女性として意識してもらえたことがないんです! プレゼントを貰うことなんて、夢のまた夢だと思ってました! まさか、その夢を憧れのあなたが叶えてくれるなんて思ってもみませんでした! とっても嬉しいです!!」
「そ、そうすか……」
どうやら、先程の涙は嬉し泣きだったようだ。
蒼一朗は、女性の姿をジッと見つめてみる。
髪の毛はショートカットで、その顔には化粧も施されていない。
だが、このようなボーイッシュな女性が好きな男もいるだろうと思う。
「……あんたみたいに元気な女を好きな男、どこかにいるんじゃないすかね」
「それって、変に取り繕わなくても今の私でもいいってことですか!?」
「……少なくとも俺は、お互いに自然体でいられる方がいいと思いますけど」
「あなたと彼女さん、いっつも楽しそうに走ってますもんね!」
「いや、だからあいつは彼女じゃ……」
「私もあなたたちみたいなカップルになりたいです! 実は、彼氏と一緒にランニングするのが第二の夢なんですよ! もしかして、お二人の出逢いはこのトラックだったりします!? 転んだ彼女に優しく手を差し伸べたのがあなただったとか、そういう感じですか!? きゃー、素敵!!」
早口で話し続ける女性を見て、蒼一朗は口を挟むことを諦めた。
「私、引き続き走ってきます! 運命的な出逢いがあるかもしれませんから!」
「そ、そうすか……。じゃあ……」
「お返し、本当にありがとうございました! 未来の彼氏と走る時のために、大切に取っておきますね! それでは、さようならー!!」
今日も嵐のように去っていった背中を見ながら、蒼一朗は思う。
(……人の話をもう少し聞くようになれば、普通に彼氏できるんじゃねーの?)
果たして、彼女が第二の夢を叶えられる日は来るのだろうか。
それは、これからの彼女次第なのかもしれない――――――――――。