苦手だったのに、見たくないなんて
「お義父様、失礼いたします」
「桔梗様、よくぞいらしてくださいました。丁度、晴久が戻ったところです」
「嫌ですわ、お義父様。私たち、もうすぐ家族になりますのよ。いつまで私のことを様づけでお呼びになるおつもりなのかしら。桔梗と呼んでくださいませ」
「愛甲グループの御息女を呼び捨てにするなど、とても私にはできません」
「ふふふ、今は良いですけれど、結婚式当日までにはお願いいたしますね」
「はい。ご期待に添えるように精進いたします」
僕は、父と着物の女性の会話をぼーっと見つめていました。
……誰に対しても横暴だった父が、こんなに下手に出ているなんて。
怒鳴ることで、何でも自分の思い通りになると思っている父が苦手でした。
……それなのに、こんな父を見たくないと感じるのはなぜなんでしょう。
「晴久、桔梗様をどこか景色のよい場所にでも案内してさしあげろ。もうすぐ、日の入りの時間だろう。二人で美しい夕日を見て、親睦を深めてくるんだ」
「まあ、私、夕日って大好きですの! 晴久様、案内していただけるかしら」
「……待ってください。僕はまだ、父との話を終えていません」
「お前は、女性に恥をかかせる気か。いいから行くんだ」
「晴久様、参りましょう。お話なんて、また今度でよろしいじゃありませんか」
「いえ、僕は……!」
父に背中を押され、愛甲さんに手を引かれ、僕は部屋を出てしまいました。
(やっぱり、そう簡単にはいきませんよね……)
小さくため息を吐いた僕を、愛甲さんは上品な笑顔で見ています。
「晴久様、どちらに連れていってくださるのかしら?」
その笑顔には含みはなく、本当に夕日を楽しみにしているだけに見えます。
(愛甲グループの娘さんということで勝手に高飛車なイメージを持っていましたが、悪い人には見えないですね。このままここにいても仕方ありませんし……)
僕は彼女に不快感を与えないように、ゆっくりと手を離します。
「夕日がとても綺麗に見える場所があるんです。そちらにご案内しますね」
「ありがとうございます。楽しみですわ!」
僕は彼女の歩幅を気にかけながら、とある場所に向かったのでした。
“今の僕”の出発点と言っても過言ではない、あの崖に――――――――――。