いつもとは違う帰り道
⑧午後六時、弓道場の裏にて
部活を終えた心は、片付けを済ませると早々に帰宅しようとしていた。
部活後はいつもとても空腹なので、一刻も早く夕飯にありつきたいのだ。
だが今日は、一つ年上の女子部員に呼び止められてしまった。
そのまま、半ば無理矢理弓道場の裏まで連れてこられてしまう。
「先輩、どうしたんですか……」
「こ、これ! あんたにやるよ!」
彼女が差し出したのは、可愛らしいピンク色の袋だった。
少女の頬は赤く染まっているが、暗いので心は気付いていないようだ。
「これ、なんですか……?」
「きょ、今日が何の日かくらい知ってるだろ!? 察しろよ!」
「今日は、バレンタインデーですよね……」
「そうだよ! だから、中身はチョコ!」
「……ありがとうございます」
中身が食べ物だということがわかり、心の纏う空気がフッと柔らかくなる。
「……それだけか?」
「え……?」
「バレンタインにチョコ渡してるんだから、どういう意味かわかるだろ!?」
「えっと……」
「もう、ほんっとうに鈍いな! あんたのことが好きだって言ってんの!」
「え……」
心にとってのバレンタインデーとは、お店にいつもよりも多くの種類のチョコレートが並ぶようになるという程度の認識でしかなかった。
そのため、目の前の少女が自分に好意を寄せていて、本命のチョコレートを渡してくれているということには全く結びつかなかったのである。
「返事は今すぐじゃなくていいから! というか、あんたが私のことそういう風に見てないのくらいわかってるから! だから、これから私のことを女として見れるかどうか、ちゃんと考えてほしいの! 答えが出たら聞かせて!」
「あ……」
「先輩の言うことには、はいって答えなきゃダメだろ!? 返事は!?」
「……はい」
「……ん、じゃあ、また明日な!」
「……先輩、さようなら」
心はチョコレートの入った袋を受け取ると、校門に向かって歩き出した。
いつも勝気な少女が、熱を孕んだ視線で自分の背中を見送っている。
一度も振り返らなかった心が、それに気付くことはないのだ。
心は、普段と変わらない無表情で夜道を進んでいく。
だが、いつもは夕飯のことでいっぱいの頭も、今日は少しだけ違うのだった――――――――――。