今は、まだ
「……少しいいか」
「……なに」
それは、帰りの電車でのことだった。
透花が席を外している間に、柊平が理玖に話しかけたのだ。
二人の空気が以前に比べて柔らかくなっているとはいえ、談笑するほどの仲ではない。
故に理玖は、透花がいないタイミングで話しかけられたことが不思議で仕方がなかった。
「……聞きたいことがある」
「……だから、なに」
「……最初に雪男たちと会った時、お前だけが執拗に狙われていた。あれはなぜだ」
「………………………………!!」
いきなりの核心を突く質問に、理玖は僅かに目を見開いた。
読んでいた本を閉じると、柊平へと視線を向ける。
「……さあ。そんなの知らないよ。一番弱そうだったからじゃないの」
「……では、お前が治療をしようとした時に怯えていたのはなぜだ。彼らは、私や隊長に対してはそこまで恐怖心を抱いていなかったように見えたが」
「………………………………」
柊平からの問いに、理玖は答えられない。
雪男と一緒に戻ってきた柊平に、透花は一連の事情を説明した。
だが、全てを話したのではない。
洞窟に押し入ったのが魔法使いの一族であること、理玖もその血縁であることは伏せた。
山守に説明した時と同じように、重要な部分にはまるで触れなかったのだ。
理玖が、自分に流れる血を否定したことは一度もない。
だが、まだ自分の生まれについて一色隊の仲間たちに話そうとは思えなかった。
「……話せないのか」
「……今はまだ、話せない」
「……いつかは、話す気があるということか」
「……話せたら、いいとは思ってる。だけど、今はまだ無理だ」
「……わかった。では、質問を変える。今度は、お前ではなく隊長の不思議な力についてだ」
「彼女の……?」
「……ああ。お前なら、隊長が人とは違う何かを持っているのは知っているだろう」
「………………………………」
「私は幾度か、それを目にしたことがある。結城を救うためにヘリコプターから飛び下りたり、違反者を捕えるために高速で走る車に飛び移ったりだ。……あの不思議な力は、お前が話せないことと関係があるのか」
透花が”力”を使うことは、ほとんどない。
それは、彼女が”普通の人間”としての暮らしを望むからだ。
だが、止むに止まれぬ状況ではそうもいかない。
柊平の前でも何度かその力を使ったことがあったので、ずっと気になっていたのだ。
「……僕が話せないことと、彼女の力については全く関係がない」
「……そうか」
「……これは、僕じゃなくて彼女に聞いた方がいいんじゃないの」
「……一度聞いてみたのだが、上手くはぐらかされてしまったからな。あまりしつこく聞くのもどうかと思い、隊長と付き合いの長いお前と話せる機会を伺っていた」
「……賢明な判断だと思うよ。人間誰しも、人に触れられたくないことの一つや二つあるだろう。……君だって、同じなんじゃないの」
「それはっ……!」
理玖の真っ直ぐな視線が、柊平を射抜く。
柊平は思わず、言葉を詰まらせてしまった。
透花について深く知りたいと思ったのも、主への報告の必要性を感じたからだ。
理玖は、柊平の本当の主についてなどまるで知らない。
一般論として言った言葉が、柊平のクールな表情を崩してしまった。
それは理玖にとって、あまりにも予想外の出来事なのである。
「……まあ、彼女もいつか話すと思うよ。いつまでもこのままじゃいられないと思うから」
「それは、どういうことだ……?」
「……僕から話せるのはここまでだ。後は、しつこいと思われても彼女に聞くなり、その時が来るのを待つなり好きにしてよ。何を聞かれても、僕はもう喋らないから」
理玖はそう言うと、再び読書を始めてしまう。
その目が柊平を見ることは、もうなかった。
しばらくの間は気まずそうに俯いていた柊平だったが、透花が戻ってくる頃にはいつものクールな表情を取り戻していた。
透花が戻ってきても、二人は何もなかったかのように振る舞った。
だが、帰りの電車は行きよりも少しだけ静かなものだったという――――――――――。