さよならは言わないよ
気付くと、晴久は水面を漂っていた。
視界の端には、自分に向かって手を差し伸べている蒼一朗の姿が映る。
「ハル! 大丈夫か!? 掴まれ!」
その手を掴むと、晴久は勢いよく船上に引き上げられた。
「ったく、海に落ちたからびっくりしたぜ……」
「……怪我はしていないようだな」
「ハルくん、体調は? 平気?」
「あ、はい……。大丈夫です……」
そこにいたのは、蒼一朗、柊平、透花というよく知る三人だった。
晴久は、状況を飲み込むことができない。
「あの、僕は……」
「覚えてねーのか? 船が波のせいで揺れて、海に落っこちたんだよ」
「……記憶がないのか? まさか、水面に頭を強く打ったのでは……」
「ハルくん、痛い所はない? 気分が悪かったり……」
「……ありがとうございます。痛いところもないし、気分も悪くありません」
タオルで体を拭いてくれている透花にそう言うと、晴久はゆるく微笑んだ。
しかし、うまく記憶が繋がらない。
(さっきまでのことは、夢だったんでしょうか……?)
そんなことを考えながら、ポケットに手を入れる。
そこには、小瓶が一つ入っていた。
取り出してよく見てみると、それは確かに輝いている。
誰が見ても、普通の水ではないことは明らかだ。
(やっぱり、夢じゃなかったんですね……。クレアさん……)
晴久が小瓶を見つめていると、三人がそれに気付く。
「ハル、それどうしたんだ? すっげー光ってるけど」
「……普通の水ではないな」
「うん。とっても綺麗だね」
「あの! 僕! 人魚に会いました!」
突然の晴久の発言に、三人は驚きを隠せない。
「信じてもらえないと思いますけど、僕、本当に人魚に会ったんです! 彼女はクレアさんと言って、僕の祖父の知り合いで……。お願いしたら、この涙をくれたんです……!」
夢を見たのだと、笑われてもいい。
だが、晴久がクレアと出逢った証拠は手元に残されている。
誰にどう思われようとも、自分が信じていればいいのだと思った。
「……ハルくん、お疲れ様。無事に人魚の涙が手に入ってよかったね」
「人魚ってすげーんだな。俺、こんな綺麗な水見たことねー……」
「……私もだ。なんと神秘的な輝きなのだろうか……」
しかしこの三人は、一言も晴久を疑うようなことは言わなかった。
それどころか、手元の小瓶に興味津々ですっかり見入っている。
(……そうでした。こういう人たちだから、僕はみなさんが大好きなんです。一瞬でも、疑われるんじゃないかと思った自分が恥ずかしいなぁ……)
その水には、人を惹き付ける何かがあるようだ。
あの透花までもが、少女のように目を輝かせているのだから。
「……これはすごいな。いつまでも見ていられるくらいに美しい」
「ほんとだな。でも、ずっとここにいるわけにもいかねーだろ。目的の物は手に入ったんだし、そろそろ帰ろうぜ。今なら、日が暮れるまでに帰れるんじゃねーか?」
「そうだね。ハルくん、出発するけど平気?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ行こうか。柊平さん、お願いします」
「かしこまりました」
透花の合図で、四人の乗る船は動き出した。
あっという間に、先程までいた場所から遠ざかっていく。
「クレアさん、ありがとうございました。……僕も、また会えたらいいなと思います」
クレアの部屋を出る時に言えなかった言葉を、晴久はそっと呟く。
その声は、船のエンジン音に掻き消され他の三人には聞こえなかった。
だが、恐らくクレアには届いたのだろう。
まるでそれに応えるかのように、波をパシャパシャと揺らす彼女の尻尾が確かに晴久には見えたのだから――――――――――。