俺は、俺だ。
大分落ち着いた俺は、さっき見た夢のことを話した。
なんで、しつこく手を洗っていたのかも……。
「俺ってなんなんすかね……?」
「……どういうこと?」
「今までは、昔の記憶がなくてもなんともなかったんす……。その内思い出せればいいなとは思ってましたけど、そこまで困ることはなかったし……。でも、あんな夢を見たら、そうも言ってられないっすよ! 俺の手は、汚い……!」
「……汚くなんてないよ」
「透花さんも、おかしいと思ったことありますよね!? 春に受けた試験の時、銃を握っただけで体が勝手に動いた! 俺はきっと、人を……!」
……ここまで言いかけて、口を噤む。
この先は、言いたくなかった。
……言ったら、真実だと認めてしまうような気がするから。
「……確かに私は、昔の颯くんについては何も知らない」
興奮状態の俺を落ち着かせるように、透花さんは静かな声で話す。
「でも、今の颯くんについては知っているよ。お洒落が大好きで、女性が苦手。牛乳もあまり好きではないけれど、背を伸ばすために我慢して飲んでいるよね。そして、いつも一生懸命で頑張りやさん。相手の笑顔を見ると、自然と誰よりも笑顔になっている。私にとっての緒方颯くんは、そういう人間だよ」
「透花さん……」
「……颯くんは、記憶を取り戻したいの?」
透花さんからの問いに、俺は黙り込んでしまった。
……過去を思い出すことは、必ずしも俺にとっていいことではないと思う。
でも……。
「はい……! 思い出したいっす……!!」
あんな夢を見たのに、このままでいるなんてできねぇよ……!
それがどんなに辛く汚い過去でも、それは俺の一部なんだ……!
「……わかった。じゃあ、少しずつでいいから思い出せるように一緒に頑張ろう」
「え、一緒にすか……?」
「うん。また怖い夢を見た時は話を聞かせて。一人で背負いこまないで。額のことも……」
透花さんの言葉に、俺は無意識にデコを押さえた。
そこには、いつも通りヘアバンドがある。
「……見えてはいないから安心して」
「じゃあ、なんで……!?」
「……初めてあなたに会った時、頭の手当てをする理玖に付き添っていたの。その時に……」
「そう、っすか……」
「……それがなんなのかは、覚えているの?」
「……覚えてないっす。だけど、なんとなくみんなには見られたくなくて……」
「……そうだったんだね。理玖も私も、他の人に言ったりしないよ」
俺のデコには、刺青が入れてあった。
いつ入れたのか、どうして入れたのかなんて思い出せない。
……だけど、なぜかみんなには見られたくねーと思ったんだ。
「……いつか、こういう日がくるんじゃないかとは思っていたよ」
「それって、どういう……?」
「……初めて会った時の状況から、何か事情を抱えた子だろうとは感じていたの。案の定、颯くんは記憶を失っていた。でも、楽しく暮らせるなら無理に思い出さなくてもいいんじゃないかと思ったから、今まで何もしてこなかった。……ごめんね」
「そんな……! 透花さんが謝ることじゃないっすよ!!」
「自分の記憶と向き合う覚悟ができたのなら、全力で協力するよ」
「うっす! ありがとうございまっす!!」
俺はガバッと頭を下げる。
そんな俺を見て、透花さんは優しく笑った。
「……うん。とりあえず今日はもう寝ようか。眠れそう……?」
「はい! なんか元気になってきたんで、多分大丈夫っす!」
「それならよかった。眠れなかったら、いつでも私の部屋に来ていいからね」
「あざまっす!」
「じゃあ、おやすみ。颯くん」
「おやすみなさいっす!」
透花さんと別れ、自分の部屋に向かう足取りは驚くくらいに軽かった。
あれほど嫌だった手の”赤”の感触も、すっかりなくなっている。
……記憶を取り戻した先にあるものは、俺にとって辛い現実かもしれない。
でも、透花さんが言ってくれたように……。
(俺は、俺だ!!)
……その記憶がどんなものだとしても、俺が俺であることに変わりなんてない!
俺はこの日、また夢を見た。
だけど、さっきまでとは全然違って、何か白い温かいものに包まれた夢だった。
透花さんの手みたいに、優しい感じだったな……。
そのおかげか、とってもよく眠れたんだぜ!!
こうして、俺は過去を取り戻すことを心に固く誓い、いつもの日常へと戻ったのだった――――――――――。