羽が生えたみたいだ
「……あなたさえよければ、私の屋敷で働きませんか?」
これが、僕の話が終わった後に透花さんが放った言葉でした。
僕は、状況を理解することができません。
「え……?」
「実は今、屋敷の台所を預かってもらえる料理人を探しているんです。数人で同居しているのですが、みんな忙しくて料理まで手が回らなくて……。食生活が乱れるのは避けたいので、あなたさえよければぜひお願いしたいと思うのですが」
「ど、どうして僕を……?」
「……ここからは、私が一方的に思ったことなので聞き流していただいても構いません。ただ、おじい様とおばあ様はあなたの死を望まれてはいないと思いますよ」
僕は、はっと息を飲みます。
自分のことに精いっぱいで、そこまで考えられていなかったからです。
「自分たちの後を追って大切な孫が命を絶ったと知れば、悲しまれるのではないですか?」
「それは……」
「……私だったら、きっとそう思います。あなたには、笑って生きてほしいと願っているはずです。それがこの家では叶えられないなら、思い切って家を出てみませんか?」
「で、でも僕は、体が弱いのでお役に立てないかもしれません……」
「体のことは心配なさらないでください。私と一緒にいた金髪の彼は、ああ見えてとても優秀な医師なんですよ。あなたのことも、親身になって考えてくれるはずです」
「………………………………」
この土地を離れて暮らすという選択肢が、自分の中になかったわけではありません。
でも、自分なんかにできるはずがないと思っていました……。
……だけど、不思議ですね。
出会ったばかりで名前も知らない彼女の言葉を、僕はなぜか信じられる気がするんです。
……話していると、自然と勇気が湧いてくるんですよ。
こんなことを考えながら黙っている僕に、透花さんは更に嬉しい言葉をかけてくれます。
この言葉に、僕は最終的に背中を押されたんです。
「……色々言いましたが、あなたの料理がとても優しくておいしかったから、毎日食べられたら嬉しいなって思ったのが一番の理由だったりします」
笑顔でそう言ってくれた透花さんを見て、僕は決めました。
この人の屋敷で働いてみよう、いえ、働いてみたいって。
おじいちゃんとおばあちゃんが、僕の料理を食べて笑ってくれることはもうありません。
でも透花さんがお粥を食べて笑顔になったのを見て、僕は知ることができたんです。
……二人以外にも、僕の料理で笑ってくれる人がいることを。
「……僕でよければ、ぜひお願いします」
「わあ! 本当ですか!? ありがとうございます!」
「僕は、遠野晴久と言います。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「そういえば私たち、自己紹介もまだでしたね。それなのに、あんな話を持ち掛けてしまってごめんなさい。決して怪しい者ではありませんので、ご安心くださいね。私は……」
僕はそのまま両親には会わず、すぐに家を出ました。
そんな心配はないとも思ったのですが、誘拐などと勘違いされて透花さんにご迷惑をおかけするわけにはいかなかったので、手紙だけは残しました。
内容は、この家を出て行くという至ってシンプルなものです。
僕の鞄には、財布などの必需品以外には、おばあちゃん直筆の様々なレシピが書かれたノートと、おじいちゃんが買ってくれた包丁しか入っていません。
ですので、荷物が軽いのは当たり前のことなんですが……。
新しい一歩を踏み出したこの日は、とても体が軽かったのを今でも覚えています。
まるで、羽でも生えているのではないかという感覚でした。
こうして僕は、透花さんの屋敷で働くことになったんです――――――――――。