<Ⅳ>ハエたたきの代わり―Ring Ring―
「パンはやはり、外は硬くて中はやわらかいほうがいいと私は思うんです」
「それには賛同する。じゃからと言って―――――」
「でも、どうして食パンの耳はこんなにもおいしいんでしょうか? いくらでもいけますよいくらでも」
「やめろ」
時間帯は午前。
もう少しで昼のベルが正午を告げるだろう。
そんな時間帯に彼女は昼食ではなく、間食を取っていた。
「この地味な硬さと地味なやわらかさ。そしてパン耳を使う料理の種類の多さ」
アリアの目の前には、皿に積み上げられたパンの耳があった。
パンがあれば、その周りを覆う茶色めの、いわゆる“皮”に当たるところが“パン耳”である。
それに砂糖をまぶし、フライパンで焼いたものが今彼女が食べているものである。
アリアはそれを頬張りながら「まさに人類が生み出した最強の副産物食品ですね」などと言っている。
一方のシュレは、その様子を見ながらいつも通り呆れていた。
「アリア、食いすぎると太るぞ」
「大丈夫です。生まれてこの方、太ったことが無いので」
いろいろな人達を敵に回しかねないほどの問題発言をすると、ゆっくりと紅茶を飲み始めた。
ちなみに種類は珍しくアイスのダージリンである(ここに意味はない)。
それっぽくグラスを揺らし、氷のぶつかるカランカランという音を鳴らせる。
シュレはその態度がどことなく腹立たしかったので、
「紅茶厨め。歯が茶色くなるぞ」
「大丈夫です、この後かるくうがいしますんで」
それからアリアは「というかこれダージリンですから」などと要らない補足をすると、グラスを傾け一口飲んだ。
もう何を言っても無駄だということを判断したシュレは一つ、大きなため息を吐く。
一日中食ってばかりなのに、なぜか太らないという、なんとも都合のいい体質が気に食わない。別にそんなもの欲しくはないけれど、なぜかどこか気に食わない。
そんなことを感じている彼だった。
その時、シュレの耳がピクリと動いた。
玄関の方を一度ちらりと見やる。
それから床からカウンターにジャンプして飛び乗った。
それこそ、猫のように。
シュレは玄関のほうを見やったまま、彼女に向けて呟いた。
「お客じゃ」
チリンチリン、と玄関の鈴が心地の良い音を立てる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「おねーちゃん! シュレちゃん! おはよー!」
「……でもなかったようじゃの(ボソッ」
入ってきた人物は、10代を切るか切らないかくらいの年齢であろう。
その少女は、この店によく来る近所の子供だった。
一方、先ほどまで砂糖で焼いたパンの耳を食べていたアリアだが、急に呼び鈴が鳴る物だから、かなり焦っていた。
客の前では飲食してはいけないことは、彼女も承知している。
しかし、この様である。
だが、慣れなのか何なのかは知らないが、すぐに落ち着きを取り戻して迅速に出来事に対処した。
具体的に言うと、隠した。
口の中に。
「………」
シュレは一瞬、「そらみろ」と意地の悪い表情をしていたのだが、その表情はすぐに呆れ顔に変わった。
一方で、
「遊びにきたよー」
少女は元気よくそう言うと、急ぎ足で彼女たちのいるところへ来た。
「あれ? 今日は、学校はお休みですか?」
アリアはその少女に質問した。
少女は答える。
「ううん! 明日に備えてね、――――――」
それから彼女らは立ち話を始めた。
その会話をおとなしく聞いていたシュレ。
彼女らの会話には介入しないで、ただ眠そうな目を向けていた。
「暇じゃ」
そう思った彼はゆっくりとまぶたを閉じる。
その時、ふらりと彼の頭上を何かが通り過ぎた。
家の中に、虫がひらひらと飛んでいた。
おそらく、少女が玄関を開けた時に入り込んできたのだろう。
大きな羽を瞬かせ飛ぶ蝶だった。
シュレはそれを目線で追いかける。
その蝶々は、天井に何回かぶつかりながらも、ふらふらと飛んでいた。
シュレはそれを見て、「ちゃんと家の外へ出ろよ。あとから掃除が面倒になる」などと思っていた。
しかしすぐ興味を失ったように目線を外す。
大きく欠伸をする。疲れてはいないが眠かった。
どうせなら散歩にでも行くかな、などと考え、立ち上がろうとした
―――その時、
「――――――――ということだから、おねーちゃん。お願いね!」
「分かりました。楽しみにしてますねー」
彼女たちの立ち話がひと段落した後の、その時だ。
「……あ、そうだった!」」
少女は叫んだ。
その時、先ほどまで虫を目で追いかけていたシュレは驚いたように少女を見た。
本当にびっくりしていた。
常に半目で怠そうなイメージを受ける彼のまぶたは今、真ん丸に、それこそお月様のように開かれていた。
そんな黒猫など意に反さず、少女は言う。
「はい! お母さんが、おねえちゃんに渡してって、この前の“お礼”にって」
腕に抱えていた箱をアリアに手渡した。
「それは、どうも……」
アリアは少しびっくりしたような表情をした。
どうも予想外だったらしい。
それから少女は指をビシッと目の前にだし「一回その箱開けてちょ!」と言い、それに対しアリアは「了解しました!」と敬礼のポーズを取るなどと意味の分からないノリで返した。
アリアは、少女から渡された箱を開ける。
箱の中から出てきたものは大きなジャム瓶だった。
赤黒い綺麗な色をしているので、ベリー系のなにかだろう。
見た目はそれこそ、宝石のようである。
見るからに甘酸っぱそうだ。
アリアはそれを見ると、とても嬉しそうな表情をした。
具体的に言うと、目が輝いている。
目がキラキラ輝いている。
アリアはジャム瓶を見つめながら「「ありがとうございます」と、お母さんにも伝えておいてくださいね」といった。
その時、少女は思い出したように一言。
「あれ? シュレちゃんは?」
さっきから至近距離にいたのに全く気付かれていなかったシュレ。
悲しいのか嬉しいのかよく分からない感情が渦巻く中、シュレはそっとテーブルを降りた。
それから、隠密に、素早く歩く。
彼は面倒くさいものが嫌いであった。猫らしく。
特に彼は子供というものが苦手であり、うるさいは、ひたすら撫でてくるは、追いかけてくるはで非常に嫌っていた。
そんな彼が今とる行動は一つ。
逃走である。
この一連の行動は少女に見つかっていないので、彼の隠密スキルはなかなかだと思う。
シュレは足音をなるべく立てず、素早く窓の方へ向かって歩く。
しかし、シュレは肝心なことを忘れていた。
「おやシュレ、何処へ行くんですか?」
アリアである。
少女はアリアが目をやっている方向へ向き、それから呆然と突っ立っている黒猫見つけると、
「あ、シュレちゃん! まって!」
「………」
急ぎ足で駆け寄ってきた。
目が輝いているのは、ろくなことが起きない前兆である。
シュレは無言でその少女を見あげ、それからダージリン紅茶を飲んで温っている彼女を(見たときは思いっきり口が出そうになった)交互に見た。
「はい、シュレちゃんにもお土産持ってきたよ」
「………」
少女が取り出したもの。
それは、リボンであった。
赤色の細長いリボンで、少女はそれを不器用な手元でシュレの首に巻くと、リボン結びで飾り付けた。
「かわいい!」
「………」
「…………ぷっ」
アリアは、紅茶を飲んだ後のため息とも似つかない、変な声を出した。