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<Ⅲ>ラスクとは―MY Hobby is―




彼、トムソン=アンカバードは、細身の20代くらいの男だった。

茶に近いダークブラウンの髪と瞳を持っていて、顔はやや細長く、ややこけている。

服装は土気色のジャケットを羽織り、その下にはきっちりとしたスーツを着ている。



そんな彼は今、町の住宅地を歩いていた。

この時間帯はまだ冷え込んでいるため、人の通りはあまり多いとは言えない

ただ、家からは物音がしたり、煙突からは煙が出ていたりと、外に出る人が少ないだけでここらの住人はちゃんと起床しているようだ。


彼はジャケットのポケットに手を入れ、その中に入っている硬貨を弄びながら、考え事にふけっていた。



「今日は最後の休暇。明日からはまた仕事。今日までに何とか……」

彼は誰に言う訳でもなく呟くと、また早朝のひんやりとした空気の中を進んだ。












彼は何処にでもいそうな感じの、本当に普通の男だった。

一人暮らしで、だからと言って親がいないという訳ではない。

仕事は小さな電話会社で働いている。

給料はと言えば、高くもないしそれほど低くもない、そんな程度の額で生活していた。


彼の今住んでいる家は曾祖父の別荘である。

だが、別に別荘というからに決して豪華なものではなく、何処にでもあるような普通の2階建ての一軒家である。

町の中心部にあるため、それなりの家賃は取られる。しかし、逆に言ってみればそれだけだ。



そう、彼は普通だった。

普通の、何のあたりさわりもない町の住人の一人。

顔が広いわけでもなく、また全く知られていないという訳でもない。

そんな町の一人。




さて、ここで一つ考えてみる。

凡人な人が人々の記憶に残る―――――人を識別するには、一体どうするか、何が必要か。

どうすれば名前、顔を覚えてもらいやすいようになるか。


例えば職業。

“パン屋のAさん”と言われれば、この人はパン屋ということが分かる。それだけではなく、ただ単に人の名前を言われるよりかは記憶に残りやすくなる。



そんな数ある識別のやり方の一つとして、“趣味”というものがある

背高のっぽの凡人だろうが、村に住む空気の薄い少年Dだろうが、だいたいの人は何か一つ“趣味”というものを持っている。

例えば“パン作りが好きな20代の女性”、“雑貨が好きな少年”と言った具合に………


もちろん彼にも“趣味”というものは存在する。


これが好きだ、あれが好きだ。

そう言ったものはやっぱり誰もが必要であり、趣味に浸っている時間こそ至福の時間ではないかと思う。


そう言った意味では、趣味というのはとても大切なものである。







――――――しかし、ときにそれは、誰かに知られたくない、または、知られていけない。


そんなものにもなるかもしれない













「はぁ、これじゃあ完全に無駄足じゃないか」

彼は肩を落としながら盛大にため息を吐いた。


「折角の2日連続の休日。徒歩でもう4時間くらい探しているのに、全く見つからない」


ここで彼は「見つからない」と言っているが、彼自身、実際何を探しているのかもわからない。

一応、やりたいことはあって動いているのだが、それがどうやって解決されるかが分からない,という状況である。

例えるなら、「小説に使いたい語句があったのに、それが何だったか忘れてしまった(ニュアンスは分かる)。だから辞書をめくって「あ段」から順に探す」と言うようなものだ。

自分が今やっていることは無意味だ、と思えば足は止まるし、歩き続ければ何か見つかるかもしれない、と思えば歩は進む。


さっきからこの繰り返しである。


ただただ、漠然とした考えで、ひたすら何かを探すために動いていた。



そして、歩けばもちろんお腹も減る。


「パン屋にでもよるかな、お腹減ってきたし、」

彼は目前に迫ってきたパン屋の看板を見ながらそう考えていた。

歩いていればいつの間にか時間帯が午後直前である。



彼は空を見上げた。


正直もう歩きたくなかった。

しかしもし一旦休んでしまうと、それから動けないかもしれない。

ベンチなんかに座り込んでしまうと最悪、寝てしまうかもしれない。


もちろん、そんなことをしてしまったら彼の目的は果たせなくなる。

さらにはこの無駄にした貴重な時間が報われない。

そう思って活を入れようにも、正直自信がなかった。



気持ちはそうでなくとも、意思は妥協寸前である。



もうどうでもいい、そう諦めかけていた。



その時だ。

彼がその建物を見つけたのは。





そこは、パン屋さんとは真正面に向かい合っている建物。

一見、何処にでもありそうな一般住宅だが、その家の前には看板が立てかけられていた。

その看板に書かれていた文字は、



「『なんでも屋』?」

彼が見た看板は道の脇には通行人に見えるように、黒板の看板に白いチョークで大きく『なんでも屋』と書かれて立てられていた。


それは彼が今まで歩き回って探した物ではない。

しかし、彼はその看板に何故か無性に惹かれていた。



彼は、その目の前に建つ建物を見る。



やっぱりそこにあるのは何とも普通な、何処にでもある建物だった。

この町で標準の木造建築であり、2階建て。

屋根は三角で、煙突が取り付けられている。


ただ、その家の主人の趣味だろうか。

その玄関がやけに飾り付けに凝っている。

錆の付いたジョウロ、鉢に植えられた多肉植物、文字の羅列が彫られた金属板がひっかけられていたり、丸太が積み上げられたりと……なかなか小洒落ていた。


そして玄関の扉には『OPEN』の文字。




非常に興味がわいた。


が、本来なら彼にはそんなことにかまっている暇はない。

しかし、だ。

仮にもし、“その店の名前が思った通りのものなら”、彼は考え方を改めなければならない。


「しかし、これは自分の問題なのに、人に頼ってしまうことになる。だけど……」

彼は迷う。

彼が思いついたのは、どうしても他人頼みになってしまうものだった。

本来なら、自分で解決すべきことであるのに。

他人に任せるなんて、本来恥ずかしいことであるのに。

しかし、先ほどまで彼はどうすればよかったのかが分からなかったのだ。

解決する手立てはなく、暗中模索の手探り状態。

さらに時間もないとなれば、もはや問題外


こうなれば道は一つだ。


彼は何かを決心すると、ひとつ深呼吸をした。



彼はとりあえずはまず、向かいのパン屋に向かった。

先ほど言っていたように、食事を摂る目的もあるが、あの建物、『なんでも屋』について聞くためでもある。


距離は非常に近い。

道を分けて向かいにあるので当然と言っては当然であろう。






橙色の明りが店内を照らす。

店の棚という棚にはいろいろな種類のパンが置かれており、所々にはパイやらケーキなども見られる。


彼がパン屋に入ると、カウンターには一人の女性がいた。

年は50、60歳くらいだろうか。

営業用の帽子をかぶっていて、エプロンを着ている。

帽子の隙間から見える髪は、とことどころが銀色で年を感じさせるが、背筋は伸び、表情もやわらかい。

まだまだ元気そうなおばさんであった。


彼はまず、玄関近くに置いてあるトレーとハサミをとった。

この場合のハサミとは、パンを掴むためのハサミのことを指している。

彼は店の中を見歩き、少し時間をかけて何種類もあるパンの中から数個を選えんでトレーに取った。


それをカウンターへ持っていき、彼はカウンターのおばさんに話しかけた


「すみません、これ下さい」

彼はパンの乗ったトレーごと渡す。

三日月の形が特徴的なパンだった。

もちろん、ジャムや果物といったものはついていない。

彼はついでに、近くに置いてあったマーガリンも購入する。


「クロワッサンが二つに、ラスクが一袋と、あとはマーガリンね」

おばさんは笑顔でそう言うと、「ちょっと待ってね」と付け加え、用意してあった紙袋にそれを入れていく。


「お待たせしました。どうぞ」


「ありがとうございます」

彼はポケットから金銭を出して渡すと、おばさんからパンが入った紙袋を受け取る。


彼は一度店内を見回し、それから何秒か間を開けると、

「あの、すみません。一つ、お聞きしたいことがあるんですが、」


「ええ、なんでしょう?」


「ここから向かいにあるあの建物は一体……」

あまり気にしていない素ぶりを装いながらそう聞いた。


「ああ、あそこはね、若いお嬢ちゃんが営んでる『なんでも屋』さんでね、

最近――――――確か半年前くらい前に引っ越してきたのよ」

おばさんは答えた。

続いて彼は尋ねる。


「あの、『なんでも屋』とは、どういうことを?」


おばさんは少し考えると、


「そうねぇ。話に聞く探偵ともいえないし、でも困った人を良く助けてくれる、そんなお店、かしら」


「それを、お嬢さんが一人で?」


「ええ、あんなに若いのに、頑張ってよく働いているの。わたしが忙しいときに手伝ってくれたりしてね」



「………」


「もし何か困ったことがあったら、彼女に相談してみなさい」

おばさんは柔和な笑みを浮かべてそう言った。

いろいろ察してくれたようだ。


「あの、すみません」


「なにかしら?」


「あと、牛乳も一パックお願いします」










・・・・・・・・・・・・・・・









「とは言ったものの…………若いお嬢さんが一人、ねぇ」

彼はそう言うと牛乳を一口飲んだ。

口調はあまり優れない。

というのも、先ほどのやり取りの中で軽く失望してしまったからである。


『なんでも屋』。

探偵のような、便利屋と言ったところであろう。

彼の予想が当たり、本来なら喜ぶべきところだ。


しかし、


「どうしても、頼りないように思えてしまう」

彼は目の前に建つ建物を見上げた。


彼が持っている問題というのは実は結構複雑で、だからこうして悩んでいる。

だからと言って、下手に生半可な探偵やらなんやらに頼んでしまうとむしろ上の比じゃないほどに大変な目に合う。

それを“若いお嬢さん”に任せるのには負担がやや重いような気がした。



彼はパンの最後のひとかけらを口に放った。

ベンチには3割ほど減った牛乳、三日月の形をしたパンが一個。フタの空いたマーガリンが置かれている。

ここは角度的に建物の影になっているため、暑くはないし眩しくはない。


彼は二つ目のパンに手を付ける。

それにマーガリンを少しつけ、さっきと同じようにちぎったパンを口に放っていく。

彼は最後に残った牛乳を口の中に流し込むと、ゴミをまとめ、ベンチから立ち上がった。


「ま、行くだけ言ってみるか」


彼は看板をもう一度再確認する。

もちろん、その文字が変わるわけない。

彼は看板を通り過ぎ、店の玄関につく。


一瞬躊躇したが、『OPEN』と書かれた板がつるされているドアを開けた。






チリンチリン、


と、頭上から涼しげな音が響く。








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