魔法少女の田宮さん
この作品は、私の書いている『弾丸魔法少女ルイ』の、ある意味で雛形とも言える作品です。
どうか生暖かい目で見て下さい。
西暦二〇〇七年。
それまで空想の産物とされてきた「魔法」という概念が世界的に認知されてから、既に三十年が経過しようとしていた。科学では説明できない非常識なものとしてそれを認めようとしない一派も今となってはすっかり鳴りを潜め、今や魔法は殆どの人間にとって、なくてはならない物となっていた。
母親が自ら生み出した炎で目玉焼きを作り、消防士が掌から水を吹きだして鎮火作業に没頭し、銀行強盗が衝撃波を操り金を出せと脅す。三十年前に発見された「クリスタ」と呼ばれる、一七〇センチほどの赤い水晶状の塊に手を触れることによって魔法に目覚めた者たちは、その力を思い思いに、存分に利用していたのだった。
しかし中には、そうした魔法の力を手に入れることを拒み、未だに前時代的な生活をしている者たちも僅かながら存在していた。そうした者たちを時代遅れと蔑む人間もいれば、一方で大昔の文化を体現し続ける存在として保護すべきだとする人間もいる。
どちらにしても上から目線で物を言っているのは事実であり、言葉にしないまでも、そんな「古臭い」連中と同じ空気を吸うことを嫌う魔法使いの方が圧倒的に多かった。
しかしそんなご時世の中で、そんな古い人間に混じって生活をする魔法使いがいるとの情報が、魔法使い専門雑誌「ディアナ」の専属記者であったラン・ハイウッドの耳に届いたのだった。自分もまた「古い」人間であったことから個人的興味を抱いた彼は渋る編集長を半ば強引に説き伏せ、その噂の魔法使いに単独インタビューをするべく北欧の農村地帯へと飛び立ったのだった。
十二月二十三日。
飛行機とレンタカーを使ってランがやってきたのは、やや寂れた印象のある寒村だった。畑や一軒家が点々と立ち並び、村の奥手には二つに連なった山が見えていた。その情景は質素で閑散としており、都会の密度と喧騒に慣れた身としてはどこか物足りなさを感じた。
ランがそこに着いた時には既に日が暮れかけていた。時折緩やかに吹き付ける北風が肌がひび割れそうなほどの寒さを伴ってランの全身を打ちつけたが、それは単に季節のせいなのか、時間帯のせいなのか、それとも村の持つ寒々しい雰囲気のせいなのか、本気でわからなくなる時があった。
その村には目的の人物以外に魔法使いは存在していなかった。全員が真人間であり、畑を耕したり山に入って山菜を採ったりして生活をしていた。肩を丸めながらそんな村の人々に件の魔法使いのことを尋ねると、その人物の居場所はすぐに分かった。そしてその村人の自発的な証言によって、その魔法使いの名前と来歴も判明した。
田宮公子。日本人。二十歳。炎使い。
そして、かつて魔法少女「獄炎女王」と呼ばれている女性だった。
日本では魔法を行使する十代から二十代前半の女の子を「魔法少女」と呼ぶ独自の、ないしある種アングラな文化が存在していた。当然それは、かつては一部の日本人、そして日本のオタク文化に精通した少数の外国人のみが使う言葉であった。
だが魔法という存在が世界に認知されるにつれてその言葉もまた脚光を浴び、今では対象人物に対する半ば公式の呼称として世界規模で使われていた。この言葉がここまで浸透した理由についてだが、ある言語学者によれば「響きが可愛いから」らしい。
人々が魔法少女という言葉に抱くイメージは十人十色だったが、それでも根っこの部分で「魔法少女は華麗で可愛い」という印象を持っていたのは、どこの誰でも一緒だった。それは半ば固定観念として、人々の心の奥底に根付いていたのだ。
そしてランもその一人だった。
その魔法少女に遭える。きっと可愛いから可憐に移り変わったのだろう。そう期待に胸を膨らませたランがたどり着いたのは、外壁がレンガで作られた茅葺き屋根の家だった。家自体はその村ではどこでも見られるような、ごく一般的なものだった。その家の横には薪の詰まれた小屋が、裏手には小さな畑があった。
「すいません。田宮公子さんはいますか?」
そう言いながらドアを叩く。家の中から足音が響き、やがてドアの奥から声が聞こえてきた。
「はい、田宮ですが、どなた?」
「連絡しておいたラン・ハイウッドと言う者です。良ければ少しお話を伺いたいのですが……」
「ああ、はいはい。待ってちょうだいね、ちょっと開けるんで」
なんとも覇気のない、間延びした声と共に、ゆっくりとドアが開かれ家主がその姿を現す。
その様を見てランが絶句する。
「遠い所どうも、お疲れさんです」
跳ねっ返りだらけの、まるで手入れのされていないハリネズミのようにボサボサの黒い長髪。濁り、半目に見開かれた真っ黒な瞳。口の端に咥えられた煙草は今にも落ちそうなほどに傾き、くたびれた赤いちゃんちゃんこを小豆色のジャージの上から羽織っていた。
ランは激しい眩暈を感じた。
魔法少女?これが?
ふざけるな。
「獄炎女王、田宮公子です。どうもよろしく」
ただのだらしない女じゃねえか!
田宮公子の家の中は、その外見に反して小奇麗に纏まっていた。
ランが通された居間の中央には炬燵が置かれ、向かって右側の壁にはクローゼットと箱型テレビが、反対側の壁には襖と小振りの仏壇が、それぞれ横並びに置かれていた。
「炬燵?日本でもないのに?」
「実家から持ってきたんです、冷え症なんで」
「炎使いですよね?」
「関係ないす、体質なんで。それで、今日は何の用で?」
ランに座るよう促して自分も炬燵に潜り込みながら、公子が怠そうに言った。灰皿は置いてあったが、煙草は咥えたままだった。あくまで仕事と割り切り、表面上は愛想良い笑みを浮かべながらランが答える。
「ええと、電話でお話ししたとおり、あなたに色々お尋ねしたいことがありまして。でも今日はもう夜も遅いので、せめて挨拶だけでもと」
「はあ、なるほど。わかりました。わざわざご苦労様です」
「明日から本格的にインタビューに入りたいのですが、よろしいですね?」
「ええ、いっすよ」
そうあっさりと言い切った後、ただし、と付け加えるように公子が言った。
「私、明日も色々やることがあるんで。それをこなしながらで良ければ、ですが」
「それでも構いません。魔法の使えない人と同じ屋根の下で暮らす魔法少女の人となりがどのような物なのか、聞かせてもらいますので」
「そんな大したもんじゃないすよ。私は皆と普通に暮らしてるだけですから」
どこか面倒臭そうに公子がそう言った時、不意に彼女の懐で単調な電子音が鳴り響いた。公子がそこに手をやり、中割れ式の携帯電話を取り出す。
頃合いだな。そう思ったランは家を後にしようと、おもむろに立ち上がった。
「それでは、自分はこれで」
「うい。お疲れ様でえす」
間延びする声で公子がそう答えた後、通話スイッチを押して携帯を耳に押し当てる。そしてランが公子に背を向けた時、既に十分ボロボロだった彼の中の偶像は、またしても粉砕されることになった。
「もしもし、ああ、母さぁ?いけんしたの?……もう、用が無いならわざわざ電話してこないでよ、こっちだってもう子供ほいならないんほいならっでさ」
室内に朗々と響く薩摩弁。だが方言の種類の問題ではなかった。
ランは帰りたくなった。
十二月二十四日。午後二時。
自宅にやってきたランを迎えた公子の服装は、脇にハンドバッグを抱え、先端が直角に折れ曲がり中心部に赤い球体がセットされた七十センチほどの金属製の杖を二本、右手に持っていたこと以外は昨日と全く同じだった。服装はともかく、ランは公子の持っている杖にデジャヴを感じていた。
「そのステッキって……」
「スターダスト・ブラスト=タイプセブン」
その名前を聞いたランが表情をこわばらせる。
「七年くらい前に作られた魔力増幅装置じゃないですか」
「ただの杖っすよ。歩くときに役に立つんです」
そう言いながらもう一本のスターダスト――国際ランクSSS級の一流魔術師にしか携帯を許されていない超高級品――をランに差し出した。因みにその領域に辿り着いた魔術師は、七年前の当時では世界で十二人しかいなかった。
「こいつは相棒から譲ってもらった物なんですけどね。まあ、きつくなったらこいつを使ってください」
ランは気にしないことにした。
「んじゃあ行きましょうかね」
そう言って寒風に肩を竦めながら公子が歩き出し、ランも遅れてそれに続く。そうして暫く荒れた道を歩いた後、二人がたどり着いたのは村の中にある山の一つだった。しかしそこは村人が良く使う方ではなく、道の整備もされていなければ断崖を警告する立て看板もない、完全な野山だった。
「普通に生活する分には山いっこでいいんすよ」
そう言いながら、公子は慣れた足取りでその未開の地を踏み進んでいく。ランは体力に自信があった方だが、それでも山の急勾配や地面に露出した木の根に足を取られることも一度や二度ではなく、登山開始から二十分後、気づけばランは肩で息をつきながら、件のスターダストを地面に突き立てそれに寄り掛かっていた。それの持つアイテム的価値など疲労で吹っ飛んでいた。
「ええと、お目当てのブツは確か……」
そうして休んでいるランを尻目に、公子はその場にしゃがみ込み、何かを探すように地面に生えている雑草をかき分けていた。
「あったあった」
「何を探しているんですか?」
「――ん?ああ、これっすよこれ」
後ろから眺めてきたランに見えるように、公子が振り返りながら腕を持ち上げる。その手には何束かの草が握られていた。
「それはなんですか?なにか草のような……」
「薬草ですよ薬草」
「薬草?魔力が強化されるような代物で?」
「いんや、腹痛に効くやつでさ」
呆気にとられるランを尻目に、公子が手にした草をバッグに突っ込んでいく。そして再び地面と向き直り、今度は次々引っこ抜いた草を一々ランに説明しながら同じようにバッグに入れていった。
「こっちが解熱剤になって、こっちが頭痛に効くやつ。こいつとこいつを七対三の割合で混ぜれば鎮静剤になるし、これとこれを水と一緒に混ぜれば保湿液に……」
「公子さん」
「あい、なんです?」
「魔法使いですよね?」
「ええ一応は」
「なんでそんなことしてるんですか?」
「村の人たちに渡すんですよ。病気との勝負は一分一秒の勝負ですからね」
「いや、それはわかるんですが、どうしてあなたが」
薬剤師でもないのに。そう尋ねたランに、公子は飄々として答えた。
「私ができるからです。薬草の知識は学園にいたころにあらかた覚えたんで。それに今も絶賛勉強中です」
「はあ」
「かなり時代遅れなやり方ですが、そういう人間が近くにいた方が助かるじゃないですか」
治癒魔法も勿論存在した。というより、外科治療も内科治療も魔法による治療がメインとなっており、旧来の医療機関は殆ど消滅していた。公子は少し目線を空に移した後、再びランに向き直って言った。
「民間療法も馬鹿にできませんよ」
その顔はどこか寂しそうだった。
午後五時。
草つみを終えて帰路につく最中、荒れた道の真ん中で公子が不意に顔をしかめ、その場に立ち止まった。何事かとランが見ていると、公子はそのまま人差し指の先を少し舐め、それを空に向けてまっすぐ突き立てた。
数十秒の間、公子はその体勢のまま微動だにしなかった。どう言葉をかけていいかランが戸惑っていると、公子がやがて掲げていた手をゆっくりと下ろした。そして懐から携帯電話を取り出して、慣れた手つきで番号を押し始めた。
「もしもし、村長さん?田宮です」
なぜ村長に電話をするのか?ランには意味が分からなかった。
「この前はカブとトリニダッドの葉巻ありがとうございます。ええ、どっちもめっちゃ美味いです。それに葉巻の方は大事に吸わせていただいてますよ。すいませんねあんな高級品いただいちゃって――でも村長がやってた、吸い口をナイフでスパッと切り落として作るアレ、フラットカットでしたっけ?あんまり上手くできないんですよねえ。どうしても粗が出来ちゃう。――はあ、練習すればどうとでもなると。難しいもんですねえ」
そのあと公子と通話相手――この村の村長の二人はワインと蒲鉾の話で大いに盛り上がったが、あらかた話し終えたところで、公子が途端に真面目くさった口調で話し始めた。
「それはそうと村長。たぶん今から数分後くらいに雨が降ると思うんすよ。ええ、土砂降りの。だから農夫とか子供とかは早く返した方がいいす。はい」
それを聞いたランが反射的に空を見上げる。雲一つない澄み切った青空だ。とてもそうとは見えなかった。
「はいはい、ではそういうことで。よろしくお願いしますね――というわけで急ぎましょう」
「え?でも、空あんなに真っ青ですけど」
「天気は簡単に変わってしまうものなんです。まあぶっちゃけにわか雨なんですけど、それでも早くしないと全身ずぶぬれになりますよ」
断言するような公子の言葉に釈然としない物を感じながらも、ランは早足で家路に向かう彼女の後を追いかけることにした。
果たして、二人が公子の自宅に戻ってから数分もしない内に、バケツをひっくり返したような雨が村全体を襲った。そしてその雨も四、五分の内にすっかり止んでしまった。
午後七時。
家の外からドアが叩かれる音が聞こえたのは、雨が止んで陽も完全に暮れた宵闇のころだった。自分の夕飯を中断するその物音を聞き(ランも雨宿りの為にこの家に立ち寄り、そのままなし崩し的に公子の家で夕飯をいただくことになってしまっていた)、どこか得心したように頷きながら公子が扉を開けると、そこには公子の胸ほどの背の高さを持った子供が三人、申し訳なさそうに顔を伏せながら立っていた。
「ああ、やっぱりあんたらか。あれか?懐中電灯?」
「うん。みんなと外で遊んでて、帰ろうってことになったんだけど、その時に家に置いてきちゃったのに気づいて、どうしようもなくなっちゃって……」
「なにやってんのさ。こんな真っ暗闇の中で懐中電灯忘れたら話になんないでしょうに」
「うん、ごめんなさい……」
この村には街灯と呼べるものが一つもなかった。そしてランはこの時まで、そのことに気付かなかった。
「だからその、明かり欲しいなってことで、公子さんの所に来たんだけど……」
「まったくしょうがないね――」
そう言って居間まで引っ込み、クローゼットを開けて中を物色し始める。
「やべ、マッチ切らしてら」
クローゼットの中に顔を突っ込みながら苦々しくそう呟いた後、ダルそうに頭をかきながら玄関へ向かった。そして子供たちの脇を通って家の横にある小屋に向かい、そこから薪を三本持ち出して子供たちの前に戻る。
「バン」
薪の先端に掌をかざして静かにそう呟く。すると掌から炎が一瞬だけ噴き上がり、薪の先に赤々と燃える火を点けていった。
「次は忘れんじゃないよ」
その薪を渡しながら、公子がどこか労わるような口調で子供たちに言った。それを受け取るや否や、子供たちの表情が一気に明るくなっていく。
「ありがとう!後で大根持ってくるから!」
「あたしズッキーニあげるね!」
そしてお礼を言いながら駆け出していく子供たちの姿が消えるまで手を振り続けた後、ゆっくりとドアを閉めて居間に戻る。
「すいません。ちょっと灯り忘れたって子たちが来たんで」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、こういうことってよくあるんですか?」
「時々ね。ほら、この村って街灯が無いじゃないですか。だから夜帰る時に照らすものがないと、どうしようもないんですよね」
「いつもこんなことしてるんですか?」
「ええ。そうですよ。まあ持ちつ持たれつという感じで、見返りとして私は野菜やら雑貨やら貰ってるんですけど」
開けっ放しになったクローゼットの中から折り紙の束を取り出しながら公子が言った。
「昔の魔女なんてこんなもんですよ」
水冷王女の異名を持つジャスミン・ペトロフスカが公子の家を訪ねたのは、午後十時ごろのことだった。
白のワイシャツの上から灰色のスーツに身を包み、胸元には黒いネクタイ。色白の肌にくすんだブロンドの長髪を持ち、細い眉と目を具えたアメリカ人とロシア人のハーフだった。
「キミちゃん、どうせ今年も忘れてんだろうなあ……」
ドアをノックし、その場で返事を待ちながら、ジャスミンが幼馴染兼元相棒の同期生のことに思いをはせた。公子の考えは十分に理解してはいたが、それでも三年連続でばっくれるのは流石にまずい。開催まで時間もない。ここはなんとしてでも参加させなければ。
そうジャスミンが決意を新たにしていると、目の前のドアがゆっくりと開かれ、そこから目当ての人物――公子が顔だけ表してジャスミンと相対した。
「ああ、ジャス。どしたん?」
そしていつもの通りに――二年前から見せ始めたダルッダルな表情のままに公子が言った。最初にそれを見たときは流石に面食らったが、今ではそれにも親しみを感じている。自然と笑顔を浮かべながら、ジャスミンが言い聞かせるようにゆっくりした言い方で公子に言った。
「ねえ、キミちゃん。明日が何の日か、わかってる?」
「明日あ?なんかあったっけ?」
「ああ、やっぱり気づいてなかった。ほらあれだよあれ。ワイズマンズデイ」
「ああ、賢人日。あったねそんなの」
がっくりと肩を落とすジャスミン。そしてすぐに気持ちを切り替え、顔を引き締めながらジャスミンが言った。
「キミちゃんもまだ魔法少女なんだからさ、少しは顔見せした方がいいと思うんだよ。だから一緒に行こう?ね?」
「ああ無理」
取り付く島もない。半分予想していたことではあったが、それでも理由を聞かずにはいられなかった。
「……どうして?」
「千羽鶴折ってんのよ今」
ジャスミンは再び肩を落とした。
駄目だこりゃ。
十二月二十五日午前零時に始まる賢人日「ワイズマンズデイ」は、同日に世界で初めて魔法使いになった一人の男性に敬意を表し、同時に弔うために開かれる祭りであった。
当然クリスマスも残っているが、どちらを優先するかは個人の自由であった。祭り自体はロンドンで盛大に開かれるが、そこに行くことが出来ない人たちも今いる所で思い思いに祝賀を開き、大いに盛り上がるのだった。
しかし世界的に認められているランク持ちの魔法使いたちは全員ロンドンに向かうことが暗黙の了解となっており、そうしない魔法使いは空気の読めない人間として白い目で見られることがあったのだった。
ランはそのことを知っていたが、すっかり忘れていた。
「だというのにこの子はさあ」
午後十時三十分。公子の家に上がったジャスミンは、横で黙々と鶴を折り続ける公子をジト目で眺めながら言った。
「もう時間も無いってのに、こんな所でぬくぬく折り紙とかしちゃってさあ。もうちょっと魔法使いとしての自覚とか持ってほしいんだよねえ。君はどう思う?」
「え?いや、どうって聞かれても……」
不意に話を振られて、同じく鶴を折っていたランが言葉を詰まらせる。最初ランを見た時、ジャスミンは彼と公子を見比べて大いに目を白黒させていた。だがランが自分の素性を明かすや否や態度を軟化させ、今では旧来の友人の如く、若干馴れ馴れしいほどにランと話し合っていた。
「ジャスは昔からこうだったのよ」
「フレンドリー?」
「鬱陶しいくらいにね」
「ちょっとお、どういう意味よ?」
公子の言葉に、不満を隠しもしないでジャスミンが噛みつく。そしてすぐさま噛みつく標的を炬燵に重ねられた折り紙と鶴の山に変え、間髪入れずに二人に話しかけた。
「さっきから何してんの?」
「折り鶴作ってんのよ」
「どれくらい作る気なのよ?」
「千羽」
「どうして?」
「病気の子がいるのよ」
鶴を折る手を止め、公子がジャスミンに向き直って言った。
「うちの村の中から病人がでちゃってさ。重病で、私の作ってる薬じゃどうしようもないんだよね。だから都心の病院まで行くことになってさ。せめて気持ちだけでもって訳で、こうして作ってるのよ」
「頼まれて?」
「そんなわけないでしょ」
「祭りはどうするのよ?」
「別にいいよ」
「また立場悪くなるよ?」
ジャスミンが眉を顰める。
「それがどうしたってのよ」
公子が底冷えする口調で返す。
「……相変わらずだなあ」
困ったようにため息をついた後、ジャスミンがおもむろに折り紙の束に手を伸ばした。
「ジャス?」
「二人で千羽も折ってたら夜が明けても終わらないでしょ。手伝ってあげる」
「でも、ジャスミンさん。賢人日はどうするんですか?」
「諦めるわよ。どれだけ変わっても、一度こうだって決めたキミちゃんが梃子でも動かないのは、昔から変わってないことだから」
「そうですけど、ジャスミンさん本人はどうなんですか?」
「私の方も別にいいわよ。一回休んだ程度じゃどうもならないし。そんなことよりさ、早く始めようよ」
「ええ。そうね。じゃあこの分お願いね」
公子がそう言って折り紙の束を渡そうとしたところで、ランが思い出したように公子に言った。
「あ、そういえばすっかり忘れてたんですけど、公子さん」
「ん?なんすか?」
「インタビューとかいいですかね?」
「ああ、そういえば……」
公子がそこで言葉を区切り、折り紙を眺めてからランに答えた。
「とりあえず、これ終わらせませんかね。全部やり終えてからってことで」
「え、ああ、そうですね」
「魔法は麻薬である」
二十二年前に活躍した魔術学者のレミー・スプリングウインドは、自ら著した「マギ・ウ・スウィング」の中でそう記した。
彼女によれば、魔法とはそれを行使した者に大なり小なり快感と他者への優越感をもたらし、すぐにも再び魔法を使いたいという欲求と、使わずにはいられない依存心に襲われるという。そしてそのような気持ちを持たない魔法使いは、人間である限りこの世に存在しないと断言した。
しかし彼女はそういった魔法の持つ闇の魅力を否定することはせず、むしろそれとそれを行使する魔法使いの関係を仕方のないこととして次のように述べた。
「魔法使いが魔法使いとして存在し続けるために必要な最低限の要素は、魔法を使い続けることである。魔法を使わない魔法使いはただの人間と同義であり、自ら持った力を行使しない存在は魔法使いとして論外である。躊躇うことなく魔法を使い、また、より高い快楽を得るために常に研鑽をつむ。そしてそれを以て自らの力に、自らの世界に絶えずトリップし続ける。これこそが、魔法使いとしての最低の仕事であり、宿命なのだ。
魔法使いとはとても哀しい生き物である」
「私もさ、昔は情熱とかあったのよ」
午前三時。
炬燵の上にはウォッカの瓶が並べられ、そこにはアルコールの為に顔を赤くした三人の姿があった。そしてそれまであった折り紙の束は、全て鶴に代わっていた。賢人日はとっくに始まっていた。
そもそも三十分前に鶴を折り終え、本格的にインタビューを始めようとしたランをジャスミンが制止して「酒入れた方が話も弾むんじゃない?」とのたまったのがこの状況を生み出した原因であった。そして公子が冷蔵庫から未開封のウォッカを持ち出してきた結果、この様であった。だが会話が弾むのはある意味好都合であった。
「私たちは小中高一貫の魔法養成学園にいたんですよ。そんで七年前くらいに転校生のジャスとコンビを組んでから、それはもう持て囃されたもんですよ。極東最強の二人組とか言われてさ。ねえ?」
「うん。フレイム・アクアの、国を越えた最強コンビ。もう向かう所敵なしって感じだったよねえ。でも勿論私たちもそれに胡坐をかくつもりは毛頭なかったし、寝ても覚めても魔法のことばかり考えて、暇さえあればいつも二人で特訓してたよね」
「それは私たちだけじゃなかったでしょ?みんながみんな、自分の魔力を高めようとそれぞれに特訓してたよ――それこそ憑りつかれた様に」
遠い目をしながら公子が続けた。
「パワーのインフレっていうのかな?あのころはかなり激しかったよね。そういうの」
「ああ、確かに。今と比べたらあの頃はかなり酷かったよね」
「そんなになんですか?自分は魔法使いじゃないんでよくわからないんですが」
「んーと、わかりやすく言うとねえ、あの頃は……街一つ吹き飛ばせて普通レベルってくらいかな?」
「ええ……?」
「やりすぎだと思うでしょ?まあ今考えりゃあ、それが正常な反応なんですけどね」
公子が立ち上がってクローゼットから長方形の箱を取り出し、蓋をあけて中から葉巻を取り出す。次いでナイフを取り出して刃を葉巻に押し当て、ため息をつきながら続けた。
「でもあの頃は違った。どいつもこいつも火力だ射程だ規模だ、破壊力のことばかり考えてた。左隣の奴が山を吹き飛ばしたと自慢したら、次の日には右隣の席の奴が湖を消し飛ばしたと自慢してくる。それの繰り返し」
「どうしてそこまで」
「怖かったからじゃないですかね?」
「怖かった?」
「力がなければ相手に舐められる。より強大な力を得て相手より上に立たなければ絶対的な安心は得られない」
「……まるで軍拡競争だ」
「ええ。まったく。確かにあの時、学園内では戦争が起きていたんですよ。中等部、高等部になっても変わらなかった。そして私たちもその戦争に参加していた」
何度かナイフの刃を押し当てた後、勢いよく葉巻の先端を切り落とす。その切り口に少し満足してから反対側に自ら火を点け、切り口を咥えながら公子が言った。
「私たちも不安だった。いつ自分たちの地位が脅かされるのか、気が気でなかった。それに自分たちがトップにいるっていうことを気持ちよく感じてもいた。だから私たちは力を磨く傍ら、常に他人の動向に目を光らせていた。気づけば私たちは、他人に対して対抗心ばかり燃やしていて、仲間意識を持とうとは考えようともしなかった。そしてそれは他の生徒たちも同じで、上の学年になるほどに酷くなっていった」
「同じクラスメイトで戦友だっていうのにね。何が悲しくって疑心暗鬼にならなきゃいけないんだか」
「それでもやるしかなった。私たちであり続けるためにはそうするしかなかった。でも十八くらいになった時かな。ある時こう、うまく言えないんだけど……」
咥えていた葉巻を灰皿に置き、脱力しきった体で公子が言った。
「冷めた」
「冷めた?」
「冷めた」
ジャスミンが自分のグラスにウォッカを注ぐ。公子が大きくため息を漏らす。
「なんか馬鹿馬鹿しくなった」
「それで卒業と同時にコンビを解消して、キミちゃんは魔法の何もかもを投げ出して田舎に引っ込んだ。日本人が簡単に干渉できないような、名前も聞いたことのない外国のド田舎にね。そして私はその後も魔法使いであり続けた」
「ジャスミンさんはそれでいいんですか?」
「まあ辞めるって話を聞かされた時は面食らったけどさ。私も私であの時の火力重視の風潮に嫌気がさしてたんだよね。一抜けするのにはちょうどいいかなってことになって、後腐れなくコンビ解消。周りからは色々言われたけど」
ストレートのウォッカを一息に飲み干してからジャスミンが言った。
「コンビ辞めただけで友達辞めたわけじゃないからさ」
「じゃなかったらこうしてタダ酒くれてやったりはしないよ」
「いいじゃないのよー。私だって鶴手伝ったんだからさー」
そう言ってジャスミンが公子の首に腕を絡め、その肩に自分の頭を乗せる。露骨に顔を歪める公子に、ジャスミンが小さい声で言った。
「それで?こっちの生活はどうなの?」
「どうって?」
「うまくやれてんの?どうなのよー?」
「ああ、うん。ぼちぼちってところかな」
「でもあんまり魔法使ってないんでしょ?」
「余程のことでもない限りね」
葉巻を咥えなおして公子が言った。
「魔法なんかなくたって生きていけんのよ」
気が付いた時には朝日が顔を見せ始めていた。
公子は頭を軽く振りながら立ち上がり、おもむろに仏壇の戸を開いた。
「なにしてんの?」
「ゲン担ぎってやつかな」
うわごとのように呟くジャスミンに公子が答える。そしてそこにあった仏壇の中身、仏壇の中央に鎮座していた一つの像を見て、ジャスミンが目を丸くする。
「……マジでなにしてんの?」
「置くところがなくってさ」
「え、どうしたんですか?」
事情を呑み込めないランにジャスミンが困ったように言った。
「アラディア」
「アラディア……ええ!?」
「私たちの女神様」
アラディア。かつては魔女たちの偶像神であり、今では全ての魔法使いに慈悲と祝福を与える、魔の体現神。世間一般で邪悪とみなされている魔女たちが崇めていた物がなぜこのような扱いになったのかは、今もよくわかってはいない。わかっているのは、この世の魔法使いはこの神に対して持てる限りの敬意を払わなければならないということであった。だというのに――
「不敬過ぎる。宗派が違う」
「敬ってるじゃない」
「そういう意味じゃなくてさ」
「あの、それより公子さん」
仏壇にアラディアが収められている経緯よりもそれを露わにした理由の方を知りたくて、ランが二人の会話を中断させた。
「何するつもりなんですか?」
「だから、ゲン担ぎ。千羽鶴の分の」
「本当に祝福してくれるんですか……?」
不安げに尋ねるランに、公子がしれっとした顔で返す。
「大丈夫ですよ。私たちが祝福受けるわけじゃないんだから」
「それ、屁理屈って言うと思うんだけど」
「うるさい。ほら、二人も私の横に並んで」
「ええ?私たちもやるの?」
「三人で祈った方が効果も増すでしょ」
「そういう問題じゃないと思う」
そう不満げに漏らしながらも、ジャスミンが立ち上がって公子の隣に腰を下ろす。ランもそれに続いて公子の隣に正座で座りこむ。そして二人が座ったのを確認してから公子が仏壇の中にあった線香箱に手を伸ばし、そこから線香を一本取り出す。
「だから違うって……」
「気持ちがこもってりゃいいのよ」
ライターのように指先から小さな火を灯し、それを使って線香に火を点ける。そしてそれを灰の溜まった小さな壺に挿したあと、公子が背筋を伸ばして身なりを正す。
「よろしくお願いします」
そしてそう言ってから顔の前で両手を合わせて目を瞑る。礼儀も作法も滅茶苦茶であったが、では実際にどのように祈ればいいのかは二人とも知らなかった。調べる気もなかった。なのでランとジャスミンも、結局は公子に従って手を合わせることになった。
十二月二十五日午前十一時。
件の少女は自宅の玄関前で担架に乗せられ、街からやって来た救急車の中に担ぎ込まれようとしていた。眠ってはいたがその顔には疲れの色がありありと見てとれ、酷く弱り切っていたのがはた目からもわかるほどだった。
「ああ、ちょっと、ちょっと」
そんな少女の元へと公子が駆け寄っていく。服装も髪型も相変わらずだったが、煙草は咥えておらず、今まで死んだ魚みたいだった目にははっきりと魂が宿っていた。そしてその手には数時間前に折られた千羽鶴が握られていた。
「これも持ってってください」
起こしてはまずいと思ったのか、担架を救急車に運び入れていた救急隊員の一人にそれを渡す。意図を汲んで、白いヘルメットを被ったその隊員も頷きながらそれを受け取る。
「あ……」
そこで少女が目を覚ました。ゆっくりと眼を開き、公子の顔を見る。
「お姉ちゃん?」
「ああ、ごめん。起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫」
そう言いながら苦しげに首をひねる。そこで隊員が持っていた千羽鶴が視界に入り、それを見た少女が驚きながら公子に尋ねた。
「あれは?」
「お守り。日本のね」
「日本の?」
「これを病室に飾っておけば、病気が治るって寸法よ。まあそれも母親から聞いたってだけだから、本当はどうなのかよくわからないんだけどさ」
「……これ、作ってくれたの?私のために?」
「早く病気とかを治してほしいって時にそれを作って相手に渡す。日本ではそういう習わしがあったりなかったりするの」
「どっちなのよ」
少女が必死に口の端を吊り上げて小さく笑う。その後穏やかな表情を浮かべて公子に言った。
「ありがと。大事にするね」
「退院したら何かちょうだいね」
「いつもみたいに野菜でいいかな?」
「キスでもいいよ」
「ばか!」
「不思議な人ですね」
その光景を遠巻きに眺めながら、ランがしみじみと呟いた。隣に立ったジャスミンがそれに同意するように頷く。
「何考えてんのかわかんない時があんだけどさ、なんだかんだで優しい奴なんだよね、あの子。その性格が自然と人を集めるっていうかさ」
「本当、不思議な人ですよね」
ランがそう言ってから、二人は暫くの間目の前の光景を見つめていた。そこでは公子を中心にして人の輪ができており、和気あいあいとした雰囲気が広がっていた。その時、不意にランが言った。
「魔女ってああいうのを言うのかな」
「え?」
「いや、特に意味は無いんですが。村の人たちに、というか、普通の人にできないことを平気でやってのける所とか見てると、なんとなくそう思ってしまって」
「魔女ねえ」
そこでジャスミンが顎に手を当てて考え込み、その後で閃いたように言った。
「どっちかっていうと賢女かな?」
「賢女?」
「だってさ、魔女って言ったら人の知らない知識で邪魔ばっかしてるイメージがあるじゃない。でもキミちゃんは人の役に立ってる。だからそっちの方がいいかなって」
「賢女……いいかもしれないですね」
その時、ランの頭の中では次回号に載せるコーナーのタイトルが決定していた。
会社に帰った後でランの仕上げた記事は、「賢女の日常」というタイトルで雑誌に掲載されることになった。
そして掲載後、ランはその後読者からの手紙を通して、公子のように昔の人間と一緒になってひっそりと暮らしている魔法使いも何人か存在していることを知った。
それ以降、ランはタイトルを「賢人の日常」と改め、各地に住んでいる魔法使い達に取材を敢行。それを記事にまとめていき、一味違う魔法使いの記事として少しずつではあるが人気コーナーの地位を確立しつつあった。
「もしもし、ランです。ああどうも公子さん、お久しぶりです」
そしてインタビューを終えた今でも、ランは公子と個人的に交流を続けていた。公子と同じ暮らしをする魔法使いには何人もあってきたが、やはり最初に取材したこともあって、ランの中では公子は特別な存在となっていた。それ以外の理由もあるんじゃないかと言われることもあったが、ランはそれに関しては答えをはぐらかしていた。
「それより知ってます?ネックレス型の魔力増幅装置が発売されたんですよ。ハート形をあしらってるからアクセサリーとしても可愛いし、結構安いんですよ」
「ええ?まさかそれをお土産にするつもりなんですか?」
受話器の向こうから困り果てた公子の声が聞こえてくる。その相変わらずテンションの低い声に苦笑しながら、ランがそれに答えた。
「まさか、もっと有用なものですよ」
「じゃあなんだっていうんですか?」
「ラム酒」
沈黙。やがて公子の乾いた笑い声が受話器から響いた。
「わかってるじゃないですか」
「普通ならお酒って言われて怒ると思うんですけど」
「それはそれ、これはこれですよ」
そう断言する公子に、笑みを浮かべながらランが言った。
「じゃあ、今から向かいますんで」
「今から?平気なんすか?」
「今日はオフなんですよ」
「ああそうですか。じゃあお待ちしてますよ。お土産付きで」
「ええ。期待して待っててください」
そう会話を終えて受話器を置いたランの顔は少し赤かった。
「さて、頑張れ俺」
西暦二〇〇七年。世界は魔法を中心に回っていた。