笑顔の種
半年の命と、宣告されるお父さんのお話し。
あるところに大工のお父さんが住んでいました。気立ての良い奥さんと二人の子どもと、裕福とは言えないけれどそれなりに幸せに暮らしていました。
大工さんには、棟梁に成る夢がありました。夢に向かって、中学を卒業してからずっと努力を続けて来ました。その甲斐あってあと一歩の処まで来ていました。
今日もいつもの様に張り切って仕事へ出掛けますが、最近何だか身体の調子がおかしいのです。でもお父さんは気のせいだと思い病院には行きませんでした。しかし、一ヶ月経っても調子が良くならないので、お父さんは病院へ行く事にしました。
病院で診察してもらうと。「すぐに入院して下さい」と言われ、その日から入院する事に成りました。
次の日から色んな検査を受けました。大工さんも奥さんも、とても心配でした。大変な病気で無ければ良いと、毎日祈る思いで過ごしました。
しかし、先生に「後半年の命です」と、宣告されてしまったのです。
大工さんは苦しみました。大好きな家族に逢え無く成る事。別れ無くては成らない事。叶わぬ夢の事。悲しくて、悲しくて、涙が零れました。
奥さんは、夫の為にも子どもの為にも笑顔でいる事を心掛けました。毎日泣きたかったけれど、微笑みを絶やさずにいました。
でも、夫の涙を見るたびに苦しくて、悲しくて、泣きたく成るのでした。命に限りが有るのに“前向きに生きる”なんて事は、出来ませんでした。カウントダウンが始まっているのです。笑って生きる事なんか出来る訳が無い。
神様は、悲しみました。
可愛い子どもと、気立ての良い奥さんがいて、まだまだ働き盛りの旦那さんが、なぜ命を落とさなければ成らないのか。本当に、この世の中は不公平に出来ている。
この大工さんには、“笑顔の種”を植える事にしました。神様は大工さんの夢枕に立ちました。
『もうすぐ、皆に逢え無く成ってしまうのに 泣いた顔ばかり見せていたら、泣き顔しか思い出して貰え無い。私がお手伝いしますから、笑って下さい。』
大工さんは、毎日泣いて落ち込んでばかりいる自分の事を思いました。毎日笑ってくれる奥さんの事を思いました。そして、夕べの夢を思い出しました。
「あの人の言う通りだ。泣き顔しか思い出して貰え無いなんて、嫌だ。」
その日から大工さんは、笑う努力をしました。心の中に溜まった涙が溢れそうに成るけれど。大工さんの中の“笑顔の種”が輝いて、くじけそうな心を支えました。大工さんは、この笑顔を憶えて居てくれよと思いながら目一杯笑いました。
そして、もっと心から笑える様に。落語や漫才のCDを買って来て貰い。いつもいつも聞いていました。お坊さんのお説教も聞きました。
半年の命と言われたけれど、大好きな家族と少しでも長くいたかったから、一日でも一秒でも長生き出来る様に、病気に良いらしいという物は何でも試しました。
そして、少しの時間も無駄にしないように、一日一日を大切に大切に、生きて行きました。
大工さんは、仕事が忙しかったので、余り家族を遊びに連れて行った事が有りませんでした。家族旅行の思い出を沢山残してあげたくて、病院の許可を貰って色んな場所へ出掛けました。子ども達も、奥さんも凄く喜んでくれました。
旅行から帰った次の日は、必ず具合が悪く成りましたが、旅行に行く事を止め様とはしませんでした。辛い治療を続けて、調子が良く成って来たら又、家族と一緒にどこかへ出掛けて行くのでした。
大工さんの寿命は、半年経っても終わりませんでした。少しでも長く一緒に居たいと思う気持が寿命を延ばしたのか、病気に良いと思う物は全て実行したのが良かったのか、原因は良く解りませんでしたが、大工さんは寿命を更新して行きました。
「貴方の寿命は、あと半年です。」と、宣告されてから五年が経ちましたが、やっぱりその日は来てしまいました。
大工さんは家族との別れ際「今まで、有り難う」と最後の言葉を残しました。
奥さんも子ども達も、沢山泣きました。でも、大工さんは沢山の思い出を残してくれました。
奥さんも子ども達も、立ち止まる時間は少しで済みました。夫に安心して貰う為に、毎日笑顔を絶やさずに生きて行こうと母子で話し合いました。
夫の残してくれた笑顔と思い出を胸に。母子はこれからも進んで行きます。
子ども達はお父さんの夢を引き継ぎ、大工に成る事にしました。二人共建築科の有る高校に進み、一生懸命に勉強をし、大工の道を歩き出しました。
時々三人は、お父さんのことを思い出しました。旅行した時も病室でも、その顔はいつも笑顔でした。
命は限られていても、その時間をどう行きるかで、後に残された人達の人生も変わって行きます。“笑顔の種”が役に立って良かったですね。と神様は頷きました。
おしまい。
自分が「半年の命」と、宣告されたら…
狼狽え、哀しみ、苦しみ、泣き叫んだのちに、前向きに生きて行く事が出来るでしょうか。
全く想像が、つきません。
知り合いの四十代の女性が、癌で亡くなりました。
どんなに哀しかっただろう。
どんなに苦しかっただろう。
どんなに悔しかっただろう。
そう思うと、涙が零れました。
そんな思いを込めました。