勇気の種
引きこもりの男の人の話。
あの人は今日も外に出られ無いでいるのか。心の中に付いた傷のせいで人間が怖く成ってしまったのだな……。人間界を覗いていた神様が言いました。
その人は、小学生の頃にいじめを受けていました。クラス中から仲間外れにされ、陰口を言われ、何度も友達に裏切られました。その為心に大きな傷を作り、他人を信じる事が出来無く成っていました。
中学校に入っても、人に自分の心を開く事が出来ませんでした。日常の挨拶や、テストの話し。たわいない話しは出来るのですが、一歩踏み込んだ何処の話しはどうしても出来ませんでした。
そんな調子で、高校に入学しても親友と呼べる友達は出来ないまま卒業してやがて社会人に成りました。
会社では、外回りの仕事に就きました。人と話しをするのが苦手なのに毎日違う会社に行き、毎日違う人と名刺交換し、自社の商品を売り込みます。やがてストレスが溜まって行き、知らず知らずの内に心に負担が掛かってしまったのです。
次第にその人は、他人が自分の事をどう思っているのか気に成って仕方が無く成りました。変わった人だと思われているかも知れ無い。暗い人だと思われているかも知れ無い。
あちこちで話しをする同僚や近所の人を見て、きっと自分の悪口を言ってるんだ。きっとそうに違い無いと思う様に成って来ました。
次第に、家の外に出るのが怖く成って来ました。他人の目が気に成って仕方無いのです。
皆、私の事を馬鹿だと思っている。変だと思っている。会社になんか来るなと思ってるんだ。そう思えて成りませんでした。
家の外で、誰かが話しをしていると凄く気に成りまました。きっと、私の噂話をしているに違い無い。そう思うと窓も開けられませんでした。
数日が過ぎる頃には、カーテンさえも開けられ無く成ってしまいました。一日中暗い部屋のベッドのすみで、小さく膝を抱えて座っていました。
両親はそんな子どもを見て、病室へ連れて行く事にしました。
「“うつ”に成り掛けているのでしょう。薬を出します。無理をせずに、見守って上げて下さい。」
先生はそう言いました。うちの子が“うつ”だなんて……両親は突然の事でとても信じられませんでした。
思えば小学生の頃に「学校に行きたく無い。」と、言った事は有ったけれど。別に大した事では無かったし……。中学も高校も普通に通っていたし……。会社で何かあったのかしら……。
両親は、自分の子どもが苛めにあっていた事に全く気付いていなかったのでした。
「会社を暫く休ませて下さい。……あの……。会社で何か有りませんでしたか?」
両親は会社でそう聞いてみましたが。
「いいえ、何も。お子様は良く働いていましたよ。」
との事でした。会社で何かあった訳では無い様でした。“うつ”に成った原因が判ら無ければ対処の仕方も分かりません。
両親は、がっかりと肩を落としました。朝、昼、夕と、食事を運び。ドアを挟んで色々な話しをしました。
返事を返してくれ無い日が続きましたが、両親は毎日見守る事しか出来ません。それでも諦めずに。季節の花の話しや、小鳥の話し。家に猫が住み着いたとか……。何でもない話しを毎日しました。
神様はその人に『勇気の種』を植えました。どうか枯れずに育ちます様にと、願いを込めて……。
幾日か経って、心に変化が見えて来ました。少しだけ重かった心が軽く成った気がしました。両親の言葉にも耳を傾ける様に成ってきました。カーテンを開けて、外の景色を眺められる様に成りました。
青い空。ぽっかりと浮かぶ白い雲。風に揺れる草木。色取り採りの花々。心にも、すっと風が入って来た様な気がします。
窓を開けてみました。淀んでいた部屋の空気が、澄み渡って行きます。ベランダに出ると、爽やかな風が身体を包みました。心が洗われて行く様です。
庭の桜の花、チュウリップ、菜の花、名も知らぬ花……。その人は、そんな色取り採りの花の絵を描く様に成りました。毎日一枚づつ気持を込めて描きました。庭を歩く猫を描いたり、木の枝に止まる小鳥を描いたり…。
その内に外に出て絵を描いてみたく成りました。学生の時には美術を専攻していました。絵を描いていると何も考え無くて済みます。あっと言う間に時間は過ぎて行きました。
その人は、会社をいつまでも休む訳にはいかないと思い、両親に相談して会社を辞める事にしました。
人と出会う仕事は心に負担が掛かります。無理が有ると感じて 、一からやり直す事にしたのです。自分に合った物を探そう。そう思ったのでした。
外に出る事が出来る様に成ったので、公園に行ってみました。ベンチに座り、砂場で遊ぶ幼児や、滑り台で遊ぶ子ども達、犬を散歩させる老人。ご飯よと、呼びに来るお母さん。そんな人達を、毎日ぼんやりと眺めていました。
ある日、男の子に声を掛けられました。
「お兄ちゃん。毎日何しているの?」
「色んな人、見てる。」
「どうして?」
「……どうしてかな……」
「楽しい?」
「……どうかな……」
男の子は、その人の隣に座りました。
「僕にも、うんと年上のお兄ちゃんがいるんだよ。いつも遊んでくれていたけど、お仕事で、遠くに行っちゃったの。」
「……そうか……。淋しいな」
「うん……。でも、お兄ちゃん頑張ってるから、僕も我慢する。」
「……偉いな……」
そう言って、男の子の頭を撫でました。男の子は嬉しそうに目を細めて笑います。
「なあ。君の絵を描かせてくれ無いか? 明日、ここで待ってる」
「うん、良いよ」
次の日から、男の子の絵を描きました。丁寧に、丁寧に、線を重ねて。輪郭、髪の毛、耳、眉毛、眼、鼻、口、を描いて行きます。
この絵には、絵の具で色も着けました。やり直しの為の第一歩だと思いながら。丁寧に色を重ねます。
何日か経って、ようやく絵は完成しました。キャンバスの中で男の子の笑顔が輝いています。その絵を見て自分も笑顔に成っている事に気付きました。
どれ位ぶりの笑顔だったでしょう。その人は笑う事すら忘れてしまっていたのです。
その絵を作品展に出展する事にしました。絵の題名は『笑顔の花』と、記しました。
その絵は観る人の心も暖かくし、多くの人を笑顔にしました。なんだか心も、軽く成る気がしました。
それから、毎日沢山の絵を書きました。その人は、画家として成功する事が出来ました。
人は自分が苦しい時、自分よりも弱い立場の人を攻撃してしまいます。心に付いてしまった傷は、何年経っても癒える事は無いのです。
あの人は“勇気の種”が根付いて、外に出て行けましたが、世の中にはまだまだ沢山の人が、狭い場所から出られずにいます。どうか、心を強く持って欲しいと願うばかりです。そう神様は思うのでした。
おしまい。
私も、苛めに合って居ました。
身体の傷よりも、心の傷は、後まで尾を引きます。
そんな思いを書きました。