光に魅せられた吾輩
吾輩は光に弱いのではない。
光のほうが、吾輩を見つけるのがうまいのである。
この違いは、案外大きい。
人間どもは何かというと、吾輩のような者を見て、飛んで火に入る夏の虫などと言う。
たいへん失礼な話だ。
まるでこちらが、何の考えもなく明るいものへ突っ込み、勝手に身を滅ぼす愚か者であるかのようではないか。
心外である。
吾輩にも吾輩なりの理屈と、美意識と、そして少々の見誤りくらいはある。
そもそも夜というものは広い。
広くて、暗くて、少し心細い。
そのなかで、ぽつりと灯るものがあれば、気になるのは当然ではないか。
あれは何だ。
なぜあれだけ明るい。
熱を持つのか。
近づいたら、どんな顔をしているのか。
知りたくなる。
これは無謀ではない。
知性である。
もっとも、知性だけで説明しきれぬ部分があることも認めよう。
美しいのだ。
光は。
暗がりの中で、ただそこだけが自分はここにいると言わんばかりに輝いている。
しかもたいてい、揺れる。
じっとしておらぬ。
あの落ち着きのなさが、またいけない。
少しこちらへ来いと言っているようにも見えるし、来るなと言っているようにも見える。
あれでは気になるに決まっておる。
先日も、吾輩は一つの灯りを見つけた。
静かな夜であった。
風はぬるく、草の葉先には昼の名残の気配がうっすら残っていた。
たいへん感じのよい夜で、できれば安全な葉の裏あたりで落ち着いて過ごすのが賢明であったろう。
それでも吾輩は見てしまった。
向こうに、小さな明かりがあった。
最初は、ただの確認のつもりであった。
少し見に行くだけである。
遠目に眺め、形状を把握し、可能なら一度まわりを旋回し、それで満足して帰る。
実に節度ある計画と言えよう。
ところが近づくにつれ、光はますますよくなかった。
いや、よかった。
よすぎた。
思っていたより明るい。
思っていたよりあたたかい。
思っていたより、こちらの感情にずかずか入ってくる。
吾輩は少し距離を取った。
理性である。
ただし、すぐにまた寄った。
これもまた理性である。
近くで見たほうが、より正確に危険を判断できるからだ。
判断のためには接近がいる。
接近した結果として、さらに寄ってしまうことがあるだけで、本質はあくまで確認である。
ここで、灯りのそばにいた別の虫が、吾輩に言った。
「近すぎるぞ」
失礼な言い方であった。
まるで吾輩が舞い上がっているようではないか。
「吾輩は距離感を失っているのではない」
と吾輩は言った。
「対象の輪郭を精査しているのだ」
「その精査、さっきから三周目だぞ」
「慎重なのだ」
「顔がだいぶうっとりしておるが」
余計なお世話である。
たしかに吾輩は、やや見惚れていた。
認めよう。
だが見惚れることの何が悪い。
この世には、近づくことでしかわからぬ美がある。
遠くから安全にわかった気になる者より、よほど誠実ではないか。
人間はよく、危ないものに惹かれる者を笑う。
愚かだ、学ばぬ、懲りぬ、と。
だが吾輩に言わせれば、あやうさを含めてなお美しいものの前で、完全に平静でいられるほうが、少し嘘くさい。
心が動くから近づくのであり、近づくから少し失敗もする。
それのどこがそんなに滑稽なのか。
いや、滑稽なのはわかる。
わかるが、だからといって全否定される筋合いはない。
吾輩はさらに一歩、いや一羽ぶん、光へ寄った。
熱があった。
思ったよりある。
これはなかなかの熱である。
なるほど、ここに長居するのは賢明ではないかもしれぬ。
しかし、熱を持ちながら美しいとは、ますますたいしたものである。
難儀な相手ほど印象に残るというのは、どうやら虫の世でも同じらしい。
「だから近すぎると言ったのだ」と、さきほどの虫がまた言った。
「まだ平気だ」
「羽の端が少しあぶない」
「多少の熱気は、観察のうちである」
「その観察、命がけすぎぬか」
そのときである。
風が、ふっと向きを変えた。
灯りの気配が揺れ、吾輩の体も少し持っていかれた。
おお、と思った。
おお、は、だいたいよくないときに出る。
吾輩はあわてて羽ばたき、どうにか体勢を立て直した。
ほんの少し、ほんの少しではあるが、背中のあたりにひやりとするものが走った。
危なかったかもしれぬ。
いや、かなり危なかったのかもしれぬ。
吾輩は黙って、少し離れた。
先ほどの虫が、やれやれという顔をしている。
まことに腹立たしい。
正論を言う者の顔は、なぜこうも腹立たしいのか。
「どうだ」とそやつは言った。
「少しは懲りたか」
吾輩は羽を整えながら答えた。
「懲りたという表現は適切でない」
「ほう」
「対象の熱量について、事前想定とのあいだに若干のずれがあっただけである」
「つまり熱かったのだな」
「まあ」
「危なかったのだな」
「多少は」
「飛んで火に入る夏の虫だな」
吾輩はむっとした。
そこなのだ。
どうしてすぐそうなる。
吾輩は別に、火へ入りたかったわけではない。
光を見たかったのだ。
できれば近くで。
できればじっくり。
できれば身の安全は保ったまま。
ただ、その三つがいつも同時にかなうとは限らぬだけである。
それを一息に、愚か、無謀、自業自得、と片づけられるのは、やはり少し納得がいかぬ。
吾輩はもう一度だけ、灯りを見た。
美しかった。
先ほどより少し遠い場所から見ても、やはり美しかった。
近づきすぎぬ距離というものも、世にはあるのかもしれぬ。
いや、あるのだろう。
たぶん。
きっと。
おそらく次こそは、そのあたりをうまくやれる。
「帰るのか」と虫が聞いた。
「今日はな」
「今日は、という言い方が気になるが」
「学習はしておる」
「しておる者の目ではないな」
余計なお世話である。
吾輩は夜気の中へふわりと戻った。
羽の先にはまだ少し熱が残っていたが、心にはそれ以上に、見てしまったものの名残があった。
人は、いや虫は、たまに自分でも扱いきれぬものに心を動かされる。
それを愚かと笑うのは簡単だ。
だが、光に魅せられる瞬間のどうしようもなさを知らぬ者に、こちらの本心はわかるまい。
もっとも。
次に見かけたら、たぶんまた少し寄る。
そのくらいの性分でなければ、夜をここまで好きにはなれぬのだ。




