2.承諾と勘違い
「君と俺は恋仲だった。そういうことにしてフリック王子からの求婚を断るんだ」
「へ…えええ⁉」
想像もしていなかったノクトの提案に、アイリスは間抜けな声を上げるしかなかった。
しかしノクトは至って真剣な顔である。
スッとソファから立ち上がりながら、ノクトは右手の親指と人差し指を立てた。
「これはアイリスにも俺にもメリットがある」
メリットは二つ、ということだろう。
「まず、王子が君を諦めるように動ける。エナエイン王女付きの俺が相手なら、向こうも手こずるだろう」
親指を折り曲げる。
「そして俺だ。俺は前々から王女と恋人関係にあると勘違いされているが…その噂を否定できる。アレにはずっと困っていたんだ」
次いでノクトは人差し指を折り曲げ、コツ…とアイリスの傍らへ立った。
そして穏やかな笑みを彼女へ向け、再度手を差し伸べる。
「どうだい?私の期間限定の恋人になるのは」
「の…ノクトお兄様の…」
「お兄様はなしだ。了承してくれるなら」
うろたえるアイリスに対して、余裕の表情である。これが五つ上の大人の男の態度というものなのだろうか。
けれどアイリスはすぐに喜んで頷くことができなかった。
ノクトの提案が嫌だったわけではない。むしろこれでフリック王子との話を回避できるなら嬉しいくらいだ。
アイリスが気にしていたのは、ノクトがエナエインとの噂に困っていた、という件に関してである。
(お二人が恋仲とは国中が認識しているようなもの…と言っても過言ではないし。私も本当にそうだと思っていたんだけど…)
ブレイジオ公爵家はこの国の中でもかなり地位の高い家柄。そしてノクト自身がエナエインと学院時代からの友人であり、現在は近衛兵として常に側に仕える身。本人の能力もお墨付きで申し分ない。
しかも美しく高潔なエナエイン王女とノクトが並ぶ姿には、民衆の多くが憧れをいだいていた。
つまり「お似合いの二人」なのだ。
伺うように、遠慮がちにアイリスがノクトを見ている視線に気づいたのか彼は少し困ったように付け加えた。
「ああ…。それにエナエイン様も噂をなくしたいと常々仰っていてね」
(あ…)
その表情、一言でアイリスは察してしまった。ノクトはやはりエナエイン王女を想っているが、それは彼の片想いなのではないか。それを諦めるためにも、王女の希望を叶えるためにも丁度今回の話は良かったのかもしれない。
だとしたらこの提案も合点がいく。
アイリスとの関係を嘘でも公言するならば、今度は別の令嬢との恋仲が周りに認識されるということだ。
それを気にしないということは、「誰かとの噂」に困っているのではない。「王女との噂」に困っているだけなのだ。
ノクトは自分の気持ちを置いておいて、王女の気持ちを優先しようとしている。
(健気な方…)
わかってしまったわ。切ない話だけれど、ならば私も遠慮なくその提案を受けられる…!
アイリスはパっと笑顔を作り、元気よくソファから立ち上がった。
「ありがとうございます!このご提案…お受けします!」
「…!そうか。良かった」
立ち上がり向かい合う二人は、お互いににこやかな表情だ。
ノクトは身長が高い方だし、アイリスは小柄なため若干ノクトが覆いかぶさって見下ろす形になる。
「─よし。近々フリック王子へ拝謁できるよう手配するよ。王子が君を諦めるまで、よろしく。アイリス」
「こちらこそ!ノクトお兄…ノクト様!」
(せっかく私のために協力を申し出てくれたんだもの…!)
「私、『恋人のふり』頑張ります…!」
力強く宣言したアイリスは、元気よく手を振り、馬車に乗ってルヴィン家へ帰っていった。
「はあ…」
ノクトは窓にもたれながら、腕を組み息をついた。
静かになった応接間から外を見つめると、アイリスの乗った馬車が遠くに去っていく様子が見える。
「アイリスにはただの災難…可哀そうなことなんだが…」
けれど。思わぬチャンスが来た。
内心こんな提案を呑んでくれるかと冷や冷やしていたが、乗ってきてくれたことにまずはホッと胸を撫でおろした。
ノクトがアイリスと出会って約十年。本来はもっと早くに彼女へ気持ちを伝えるつもりだった。
ノクトにとって、アイリスは妹のような存在ではない。可愛いと思うし、良き相談相手として頼って貰えることは嬉しかったが、それもこれも一人の令嬢として好意を寄せていたからだ。
ノクトはずっと、恐らく出会った頃からアイリスに惚れていた。
アイリスへはいつ他家から縁談が来てもおかしくなかった。彼女は自覚がないようだし、ルヴィン家の人々も褒めそやしていないようだが、彼女は大変可愛らしく美しい容姿をしている。
ウェーブのかかった明るい金髪、アメジストの輝く瞳。小柄で小動物のような愛らしさと、それに反したあざとさのない眼差し。
彼女の魅力は見た目だけではないのだが、とにかくアイリスに誰かが気付いてしまうのはそう遅くない話なのだ。
早く行動せねばと、前々から思っていたのだが…。
学友であったエナエイン王女の希望で、数年前からノクトは共に隣国へ留学することがが決まっていた。その帰国を果たしてからと決意していたのだ。
隣国トスクとの国交は安定しているし、治安も悪くない。だが、万が一ということもある。
留学前に想いを伝えて、もし良い返事が返って来てもアイリスを悲しませることになってしまう。
だから、留学から帰国したらすぐに彼女へ想いを告げようと思っていた。そしてそれは昨年叶い、実際に将来についての話をしようとしたのだが─…。
その時すでにアイリスはエナエインとノクトの関係を勘違いしていた上に、二人を応援すると言い出したのだった。




